「共」に「生」きる。 in 阿蘇

錆びたり、曲がった釘で思うこと

あれこれバイトをしながら通信教育で免許を取り、4回目の採用試験でようやく合格した小学校教員を、わずか5年で辞め、障がい者の作業所を始めて早くも27年目になるんですよね。月日のたつのはほんとうに早いものです。
そんな中、今でも思いだすんですよね。錆びて曲がった釘を見ると。
最初の一年目は、とにかく場所づくり。古いがらくたが集まった倉庫みたいな店舗の内部を来る日も来る日もバールとハンマー、鏨(たがね)やくぎ抜きで解体してました。
それはもっぱら僕と今は亡き発達障がいの青年の仕事です。
といって二人はずぶの素人ですから、大まかな指示は知人の木工職人のYさんにやってもらってました。
「この壁、はずしといて」「この床、はつっといて」と言われ、指定された日までに終わらせとくわけです。
それでよく出てくるのが釘なんですね。
錆びてて、しかもバールやペンチで引き抜くから曲がってるんです。
でも僕から見たら、固い土台に載せ金槌で叩いたら、ある程度元に戻るし、まだまだ充分に使えそう。
あるとき、その機会が巡ってきて、Yさんにこの釘、使えませんかって聞いたら、すぐにダメだしされました。
「なぜですか」
「一度使ったやつは、絶対に使いません」
答えはそれだけです。どう見てもまだまだ大丈夫そうなのに。でもなぜか、そのときの僕にはその言葉が腑に落ちて、それ以上、言い返すことはしませんでした。
お金をいただいている仕事に一度使ったものは、たとえ釘一本でも使わない。
そんな意気込みが伝わって来たし、勝手にそう感じたのかもしれません。
こういう現場は、そういう価値観なのかあとも思いました。
また、あるとき、こんなことも聞いてみました。
「仕事の依頼が来て、現場に行って自分の想像以上に難しそうな状態だったとしたら、どうするんですか」
いわく。
「どうにかするしかありません」
実にシンプルです。
これにも返す言葉は見つかりませんでした。
学校の教員の現場とは、何か根本的に違うなと思いました。
で、またまた、こんなことも聞いてみました。
「やっぱりプロでも、丸鋸で指を落とすことがあるんでしょうね」
「あります」
「どんなときですか」
「他のことを考えてるときです」
なるほど。わかりやすい。これにも納得でした。
解体が終わり、基礎でコンクリを流す時がきたんですが、そのときは工務店に頼みました。
その店主がユンボーを操作されてたので、またまた聞きました。
「こんなこともされるんですね」
「うちらのような小さな工務店は、なんでもできなければ話になりません」
これまた率直かつ明瞭。
けっきょくは、作業所作りには、丸一年かかり、僕はYさんから丸鋸やはつり機の使い方から柱や腰板の入れ方、最後は漆喰をこね、塗るところまで教えていただき、とても感謝しています。
さて、錆びた釘。ぼくは、やっぱり曲がったり錆びたやつでも使えるやつは今でも大事に使ってます。
愛着や再利用の考えもなくはないんですが、素人で、商売じゃないんですから、それでいいんじゃないかって思えるんですよね。
(夢屋代表 宮本誠一)

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