「共」に「生」きる。 in 阿蘇

『夢屋だより』(2021/梅雨号)からです。

●夢屋より、梅雨のご挨拶をさせていただきます。
2021.6.9「夢屋」代表 宮本誠一
今年も、やがて半分が過ぎようとしています。皆様、お変わりありませんでしょうか。気温差や降雨の状態が毎年、激しくなっているようです。どうかくれぐれもご無理なさらず、お体、ご自愛下さい。新型コロナウイルスのワクチン接種も各地で進められているようです。前々号でも書きましたが、副反応や一斉接種による混乱、スタッフの皆様のご負担増などが、可能な限り最小でおさまり、市民の皆様に安心な日々が一刻も早く訪れることを祈るばかりです。
さて、このたび阿蘇市地域包括支援センター様が日常生活に役立つサービスをまとめた『生活支援ガイドブック』を作成され、夢屋の情報も載せていただきました。ガイドブックの「はじめ」欄に次のように書かれています。「このガイドブックは、日常生活のちょっとした支援が必要になったとき、市内の企業やお店、地域住民同士等が行っている支援の情報を一冊にまとめたものです。(中略)住み慣れたまちで、いつまでも自分らしい生活が続けられることを願って作成しました」〝住み慣れたまちで、いつまでも自分らしい生活〟を送っていくことは、まさしく27年前、「夢屋」を設立したときの主旨そのものです。夢屋の場合、地域の小中学校、そして高校を卒業した一人の発達障がいの青年が、家から通えるところで仕事をしながら地域で暮らしたいとの願いをかなえるため、保護者と元担任である竹原(現在の「夢屋」副代表)、そして私で、当時、阿蘇郡では初めての無認可の小規模作業を開所しました。青年はわずか5年後、24歳の若さで亡くなりましたが、次世代がその意志を受け継ぎやっていっています。
それでは5月から7月までの行事日程(予定を含む)をご報告させていただきます。
5/1お隣の竹原忠信さん(農事組合法人「碧水」代表理事)が提供下さったビニールハウスの半分で、例年通りトマトの苗植えを行い、豊作を願う。
5/24地域包括支援センターから『生活ガイドブック』取材に宮岡光子さん、山本龍平さん訪問。
6/5阿蘇小3年児童と担任の先生が、〝まちたんけん〟の学習で来られ、夢屋のことをお話しし、裕子さんが描いた四コマ漫画プリントでくわしく伝える。
6/8 近所の高橋ふじみさんより、作業着などに使ってほしいと古着をいただく。
6/29 阿蘇市人権作文集「かけはし」編集会議に竹原が講師として招かれる。
7/14 阿蘇小「生活綴り方」研修会に竹原が講師として招かれる。
7/26 阿蘇市学校人権・同和教育部会課題別研修会に夢屋のメンバー、スタッフで講話。
私事で恐縮ですが、教員の初任地は菊池市の戸崎小学校というところで3年から6年まで同じクラスを担任しました。現在、その子たちも四十代になり、人生の曲がり口でもあるようで、設計の仕事から夫婦で実家の農業を継いだ子がいます。今はハウスでアスパラづくりに精を出しています。フェイスブックに茎の成長ぶりや近くの畦にヒバリのヒナを見つけた話などを載せてくれています。もちろん、慣れない仕事に大変な面もあるようですが、自然を相手にした仕事はどこかゆったりした空気を伝えてくれ、私自身いやされ、励ましてもらっています。地球温暖化やマイクロプラスティックによる環境問題などいろいろ試練は尽きませんが、次なる世代が新しい知恵とアイディアで未来を切り開いてくれるのではと期待もしているところです。
●『真夜中の避難』          中島 地利世(チトセ)
今年の梅雨入りは、昨年よりは少し早いような?…毎年ぼやいていますが、季節の中で夏が一番!苦手な私は、特に梅雨時期の生暖かい今が一番つらいです。(苦笑)
一日中100%という日も続いて、5月中旬からが特に酷くなったと思います。
5月17日の明け方3時過ぎの事、グッスリ就寝していたら、いつの間にか集中的に大雨になり、「避難して下さい」と繰り返されている町内放送の声で目覚めました。
自分の住んでいる家は、県道より若干 斜め下の所に建っていて、雨が流れ込みやすく、更に2012年の「九州北部豪雨」と2016年の「熊本地震」でも家の裏側が少し損傷している所が残っているので、そこの部分から床下浸水が始まりだして、「確かにこれは、避難するかな…」と迷っていたら、突然、誰かが大きな音で玄関のドアを叩いてきました。驚いて「こんな時間に誰だろ…」とちょっと怖くて固まっていると、私の名前を呼ぶ隣近所の女性の声が微かに聞こえました。急いでドアを開けると、その女性と市役所の方がいて、「避難所を開設しましたので、一緒に行きますか?」と、わざわざ迎えに来て下さいました。
今までは、利用させて貰っていた避難所が自宅の近くで便利だったのが、コロナの影響の一つで、「一の宮体育館」のみになって、結構 歩く距離があるから、本当に有難かったです。すぐに、普段からいざという時の為にまとめている荷物を持って行きました。
会場に着くと、まずは玄関先で念入りな消毒、検温チェック、健康状態の問診があって、やっと館内に入れて貰えると、視野に入って来るのは、ほとんど段ボールの壁…密集しないように、一家族ごとに丁寧なスペースで仕切って下さっていました。「出来るだけマスクを外さないで欲しい」と言われたので、そのまま装着したまま寝ようか考えていたら、ボランティアの女性の方が「呼吸 大丈夫ですか? 良かったらどうぞ」と、マスクの内側に重ねる、【シリコン製マスクフレーム】と書いてある便利グッズを分けて下さいました。
軽いし、口周りに隙間ができて呼吸しやすいので、本当に便利グッズだな~と、おかげ様でとても快適でした。
夜が明けて午前中、同じ住宅の皆さんと「少し雨が弱まっている間に帰ろうか?」と話していたら、なんと、帰る時までスタッフの方が家まで送って下さいました。本当に有難い限りです。帰宅して家の中の様子を見たら、少しですみましたがやっぱり床下浸水していて、大変でしたが大掃除して、ついでに不要な物の断捨離もして、サッパリしました。
急な大雨のバタバタ避難で、その度に感じますが、今回も市役所のスタッフの皆様、ボランティア関係者の皆様方が、いくつもの場所に高齢の方を迎えに行かれていたり、見回りまでされていて、最初はコロナが流行っている中の避難は不安もありましたが、万全な対策でご自身の方が体調を崩されないか、心配になるほどお世話を尽くして下さって、凄く安心して休む事が出来ました。お世話になりました。本当にお疲れ様でした。
●こんな方と出会いました
~訪問美容を始められた山本龍平さん巻~
〇簡単な経歴をお教え下さい。
阿蘇市生まれです。高校卒業後、大阪の美容学校に進学し、美容室に8年勤務し、10年間、自分で経営してきました。心斎橋から一駅くらいのところでやっていました。
〇美容師になりたかった理由と、実際になられてのやりがいとご苦労を教えて下さい。
偶然、テレビでヴィダル・サスーンというイギリス人の美容師を知ったのがきっかけです。彼の技術は現在の日本人美容師の基本で、とても勉強になります。どの世界も理想と現実のギャップはあるとは思いますが、お客様一人一人に応じた「接客」はしばらく壁になりました。ただ、経験を積むにしたがい、むしろ苦手だった対応がやりがいにもなってきました。
〇生まれ故郷の阿蘇にもどってこられたきっかけ、もしくは理由を教えて下さい。また、あらためて帰ってこられて、阿蘇はどんな感じですか。
母が病で倒れたのがきっかけです。当時医者から「助かる見込み4パーセント」と告げられ、妻(ナタリーさん。ベルギー出身)がすぐに「帰ってあげよう」と言って決断できました。母はその後、幸いにも持ち直し、現在、孫(旦(あさ)ちゃん。2歳)の世話もできるほどになっています。阿蘇は故郷ですし、原風景を体感できることが何より幸せです。細胞が反応してるんですね。ただ、通ってた中学校が閉校し、そこに病院ができたりと時代の変化を感じています。
〇こちらで訪問美容をされようと思われた理由と現在のサービス内容をお教え下さい。
我が家もそうですが、高齢化の中でとにかく必要性を感じたのが一番です。微力ですが地域ケアの一端を担えれば嬉しく思います。(詳しくは080-3007-3341/本人直通でお確かめください。)
〇お仕事に関しての今後の夢と生活も含め、将来、阿蘇がどんなふうになってほしいですか。
阿蘇がどうこう言うより、「こういう世界がいいのでは」という基準で過ごしています。例えば環境問題だと市販洗剤でなく妻の手作りせっけんとマグネシウムを使い。生ごみもコンポストに入れ再利用してます。将来、太陽光や水力でエコエネルギーに代替できればと思っています。

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