「共」に「生」きる。 in 阿蘇

『夢屋だより』(新緑号125号・2021.4/14発行)からの文章です。

〇春も深まってまいりました。夢屋から新緑のご挨拶をさせていただきます。
2021.4.2 宮本 誠一
いよいよ新年度も始まりましたが、いかがお過ごしでしょうか。コロナの収束はおろか、変異株の感染拡大と懸念はつきませんが、どうか皆様の生活に大きな影響がないことを祈るばかりです。さてそんな中、立野では阿蘇長陽大橋が開通し、さっそく車で渡った後、徒歩で中央まで行き、犠牲者にお参りさせていただきました。また、2016年に半世紀ぶりに復活した草千里の野焼きが3月25日、烏帽子岳麓まで広げて行われ、牧野組合員や阿蘇グリーストックのボランティア、そして観光課の方々のご努力に頭が下がるばかりです。さて、二重の峠トンネルや阿蘇長陽大橋を渡って頭をよぎるのは、やはり阿蘇市の将来像です。環境や生活の利便性を発信し、阿蘇市での暮らしへの興味、関心を持っていただくとはよく言われることですが、より方向性を具体的に詰めていくことでさらに何が必要かも見えてくるのではないでしょうか。心地よくする環境は自然だけでなく、当然人的面も含まれるでしょうし、利便性は単なる効率でなく、SDGs(持続可能な開発目標)の視点に立つことが今後必須となってくるでしょう。それらがうまくマッチングすることで、より魅力的な地域へとつながっていくものと思われます。
夢屋の大きな出来事と言えば、やはり笹木博康さんが一年、事故なく通所し続けてくれたことです。蔵原の地元から毎日、徒歩でやってきて活動し、帰っていく姿はそれだけで「共生」を体現してくれていますし、周囲に元気を与えてくれます。また配達の先々や道の途中で声をかけて下さるお客様や地域の皆様には感謝しかありません。改めてお礼申し上げる次第です。
それでは3月から4月までの行事日程(予定を含む)をご報告させていただきます。
3/12 農園の畝づくりとジャガイモ植え。(種イモがなかなかなく、荒尾市から手に入れる)
3/17 高菜をご近所の竹原真理子さんと高橋ふじみさんのご厚意で折らせていただき、漬ける。
3/19 お便りでイラストを描いて下さるオルモ・コッピア女将、竹原さとみさんの誕生日。
3/26 夢屋設立当初、介護支援で協力下さった元くまもと福祉生協代表中村倭文夫さんが来訪。
3/31 社会福祉法人・くまもと障害者労働センターの第3回評議員会に宮本出席。
4/14,16 熊本地震から5年。メンバー、スタッフで犠牲者への黙祷。
最後になりましたが、2月2日に家入輝男先生(満95歳)の葬儀があり、参列してきました。私は1995年3月に教員を退職しましたが、当時、一の宮町教育長をされていました。何かの連絡の手違いで役場での退職の挨拶会に行けず、その直後、お会いした時、「あんたば待っとったつぞ」とおっしゃり「しっかり、よか先生だったって言うとったけんな」と気さくに笑って下さいました。温かく懐の深さを感じた次第です。その後、夢屋を開所してからも、近くの佐藤清子さんとのつながりでパンを買って下さり(今もご遺族が続けて下さっています)、移転で土地を提供頂いた竹原幸範さんとは一宮中時代の校長、教頭の間柄で、幸範さんが自分史『前向きに阿蘇住まい』出版と卒寿の祝賀会をされたときも、駆けつけて下さいました。お二人の息の合ったやりとりを見ているだけで、かつての学校の雰囲気が彷彿され、会場は和やかな空気に包まれました。パン配達の際、メンバーたちにいつも笑顔で対応して下さり、皆、大ファンでした。本当に長い間、ありがとうございました。心よりご冥福をお祈りいたします。
〇『久し振りの楽しい花見』     中島 地利世(チトセ)
また新しい年度がわりの季節。相変わらずのコロナ状況で、いつまでもマスクが手放せず、最近は暖かくなってきたので、装着し続けていると口周りの肌が荒れてしまい、なかなか大変な思いです。また、たまたま観たニュースでも「第4波、到来か!?」という文字が目に入り、思わず大きなため息が出てしまいました。
昨年から、たくさんの行事やイベントも中止になることが多く、とても寂しい日々が続きましたが、無事に学校も始まって、毎朝「夢屋」の送迎の車を待っている時、小さい身体に大きなランドセルを背負い、一生懸命 歩いている楽しそうな笑顔の子供を見ると、新年度もまた休校になったりしないことを願うばかりでした。
そんな中、中島家では、今春は母の体調を優先に考えて、近場(自宅前の広場)で、花見をしました。☆ 昨年まで、いつもお世話になっていたケアマネージャーの方が、「退職して、暇になったけん(笑)」とわざわざ誘いに来て下さいました。
その人と母と私、妹の4人で出かけました。
幸い、満開の桜の下、お空はカラッと晴れた気持ち良い日射しで、私達以外は誰もいなくて、貸切状態のような場所で、密集することもなく安心でした。
それでも、念の為に衛生面はしっかり気をつけて、早速、芝生の上にレジャーシートを敷き、お弁当を広げると母も大喜びで、気分が良くなったのか、一人カラオケが始まりました。その後もマネージャーさんとデュエットしたり、一緒に踊ったり、おかげさまで家に帰りついた後も余ほど楽しかったのか、入浴後もずっとその日の話題でウキウキ気分。♪ 喋り疲れると、グッスリ眠ってしまいました。このマネージャーさんは、退職されてからも、何度もわざわざ母の様子をみに来て下さったり、病院まで一緒に来て下さって、母のことを実の姉のように接してくださいます。とても心強く、本当にいくら感謝しても足りません。
最後になりますが、4月24日が過ぎると「夢屋」に入所して、19年目に入ります。
18年前の初めての見学の日、引きこもりだった私は、最初は「嫌だ、行きたくない」の
一点張りで母と喧嘩までしましたが、ここまで通い続けることができたことに、正直、自分が一番 驚いています。過去の職歴では、なかなか障がい者を理解して貰えない環境の場所ばかりだったので、一番長い職場でも、半年くらいが限界でした。
これも全ては、優しくて面白い宮本さんや竹原さんが作りだした、居心地の良い空間や、日頃「夢屋」と関わって下さっている皆様に支えられてのことだと、改めて、今の自分は本当に良いご縁に恵まれているのだな…と、こちらも感謝で胸いっぱいです。
いよいよ、来年の20年目 突入に向けて、また元気に頑張っていきたいと思います。
2021年度も宜しくお願いします。
〇こんなコロナ禍だからこそ。        甲斐聡美
米の小売業を始め、71年になります。これまで皆様のお力で地道に営ませていただき、熊本地震の際も、なんとか乗りきってこれました。そんな中、昨年は、思いもよらなかった新型コロナウイルスの影響でお得意先のホテルやレストランなど大口がほぼなくなり、たくさんの新米の在庫を抱え、どうしようかと悩んでいた時のことです。
5月5日、熊日新聞(國崎千晶記者)で、ひとり親家庭等の食事支援をする「子どもから地域へ拡がれネットワーク」が食材や募金、ボランティアの活動参加を呼び掛ける記事を見ました。コロナ禍で多くの「子ども食堂」が活動休止に追い込まれ、なんとか維持しつつも、使う食材や資金はどんどん不足していっているとのこと。ハッと思いました。こんな厳しいときでも子どもたちのために頑張っておられる方たちがおられる。このお米をぜひ役立ててほしい。子どもたちのために。〝寄付〟などと言うおこがましい気持ちではけっしてありません。精一杯、農家の方たちがつくられ、長くその方たちとつながりながら業を営んできた者として、とにかく阿蘇のおいしいお米をむだにすることなく役立てたい、その一心でした。
すぐに電話しました。自分の思いをお話すると、本当にありがたがられ、数日後さっそくスタッフお二人が訪ねてこられました。そして様々な今の子どもさんの置かれている状況や食堂の様子などを聞いているうちに、私はますます、お役に立ちたい気持ちが強くなってきました。
実は最初の電話で30㎏を5袋差し上げようとお伝えしていたのですが、10袋どうぞ、と申し出たのです。さらに恐縮がられ、喜ばれるお二人。
今思えば、視覚障がいの息子がいることや、私自身入院したときなど、ご近所や地域の皆さんがいろんな面で助けて下さったことなど、周囲の方々のお力でこれまでやってこれました。それは開所以来、息子とかかわって下さっている夢屋さんもその一つです。そんなことが身にしみているからこそ、他人事とは思えなかったのだと思います。
人は一人ではけっして生きれない、そう思います。だからこそ、これからも人と人のつながりを大事にしていきたいですし、お金はなかなか無理でも、いろんな方々が野菜や服などできるものを届けたり、そのときそのときで、できる範囲で協力していけば、きっと子どもたちの力になるんだということを今回のことを通じ、改めて思った次第です。
その後、代表の豊田謙二さん(熊本学園大学シニア客員教授)から次のようなお手紙をいただきました。
コロナ禍のなかでも、日々陽気の拡がりを感じる今日この頃でございます。
山のごとく積み上がったお米を仰ぎつつ、これから届ける「子ども食堂」の人たちの笑顔を想像しておりました。誠に有難く、心より御礼を申し上げます。
御志を私どもの社会貢献活動の路上に掲示しつつ、地の塩になる所存であります。
今後ともご指導、ご教示を賜わりますようにお願い申し上げます(2020.5/26)
こちらこそ、お米がむだにならず、お役に立てて助かりました。この場を借りて心からお礼申し上げたいです。本当にありがとうございました。
〇2021.2/13に『母と女性教職員の会in 阿蘇(オルモ.コッピアにて)』があり、宮本と竹原が講師として話をさせていただきました。先生方の感想から抜粋し、ご紹介させていただきます。
・阿蘇で長い間、教員生活をしています。夢屋さんのこと、宮本さんのことは何とな~く知ってはいましたが、このように直接お話を聞けたのは初めてでした。一人の発達がいの青年との出会いから始まった宮本さんの新たな人生。夢屋を立ち上げ、ずっと共に歩んでこられた原動力は何なのだろうとただただすごいなあと頭が下がります。
・私も宮本さんや竹原先生のように、いつでも困り感のある子どもたちや親さんと向き合える人でありたいという気持ちはあります。おせっかいや偽善ではなく、心を許し合える仲間として人間として支え合える社会が身近なところでほんの少しでも築けたらいいなと思います。
・宮本さんや竹原さんのお話を伺った後、『游人たちのうた』を読みました。宮本さんがお話しされていたことの内容が詳しくわかりました。自分が住んでいる社会がまだまだ共生の社会とはなっていないこと。自分もその社会の中に住んでいることに気づきました。自分なりに何ができるか考えていきたいと思いました。
・「糸」という歌を思いだしました。資金の問題だけでなく、メンバーの死、移転の問題…、いろんな荒波がある中、宮本さんは前を向いて話をして下さいました。それはどんなことがあっても宮本さんや竹原さんが人との出会いを大切にされてきたからだと思います。
・阿蘇市の課題別研修会とかで聴くお話かなあと思っていたら、今日はいつもより本当の気持ちをお話していただけたというか、何か心にずーんと大きなものが乗っかったような感じです。
・支援のいる子たちが学校を卒業し生活していくってほんとうに難しいことだと思います。そんな中で、夢屋を通してそんな家族に「ゆめ」を届けてこられたんだと思いました。

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