「共」に「生」きる。 in 阿蘇

このたび第二十七回三田文學新人賞の最終候補に選ばれた拙作『ひまわり』をbccksにて掲載させていただきました。

このたび第二十七回三田文學新人賞の最終候補に選んでいただいた拙著『ひまわり』をbccksにて掲載させていただきました。

選考委員のお一人である作家の青来有一氏が次のような評を下さいました。
「障がい者福祉の現場からの報告といった『ひまわり』も受賞作として推した三作のなかのひとつ。地方の役所で障がい者行政を担当した経験が自分自身あるので共感にバイアスがかかったかもしれない。ストレスがたまると頭を壁にぶつける自傷行為をする利用者、そうした利用者だけでなく家族が抱えるさまざまな問題にも対処していかざるをえない現場の苦労は大きい。「脱『障がい者』宣言」をめぐるエピソードなど支援しているつもりでもいつしか生じる偏見にも目を向けていて現場の苦労なしには書けないはずだ。利用者の家族のひとりに自分でつくった核シェルターに案内されたり、東日本大震災に結びつけたカタストロフの予感も生活を綴った報告を超える構想力のひろがりも感じた。人生からしたたってきた小説をどこかで受けとめられたらと思う」(『三田文學・春季号2021』より)
最終候補に推挙下さった編集部の皆様を始め、身に余るお言葉を頂戴した青来氏に心から感謝申し上げる次第です。
 
〇受賞作は、滝口葵巳さんの『愛しのクリーレ』です。さっそく読ませていただきましたが、久しぶりに深い読後感を味わわせていただきました。舞台は2023年が設定され、IDDM(インスリン依存型糖尿病)の女性が主人公です。これまでの「病理」ものがとかく陥りがちだった私小説的文脈で体験を追った構造とはまったく次元を異にした作品だと思います。ペン型注射器による強化インスリン療法、インスリンポンプ(作中の主人公はこの療法です)、膵臓、膵島移植と言った科学的流れを直線的に描くことなしに、つまりこの地点で時間軸というもの、あるいは存在にかかわる歴史性を重層的、かつ並立的に描くことが意識的に試みられています。当然、その周囲の関係性、心理、社会的背景も含め、イメージは一度、ずずっと極限化され(そこには博物館での剥製づくりや異種移植としての仔豚からの膵島細胞の摘出シーンなど伏線が的確に書き込まれています)、物語内部の奥底に沈み込ませることによって固定と移行と流動(浮遊)、すなわちコード化と脱コード化のイメージを同時に掴みえることに成功した稀有な作品だと思いました。そのような意味合いで極めて詩的なものであるとも言えます。果たして「治癒」とは何か、「完治」なるものは〝人〟にありえるものなのか。そしてもしもあったとしていかなる系列として連結されていくものなのか。必然的に「病理」の本質を問わずにはいられない、現在のコロナの課題とも通じる作品です。おめでとうございました。https://bccks.jp/bcck/168899/info

コメントはまだありません

Sorry, the comment form is closed at this time.