「共」に「生」きる。 in 阿蘇

自分自身へ、またこれからの生き方について考えさせられました。

今朝、新聞を見ると『阿蘇市内の小学校教諭が酒気帯び疑いで逮捕』という、大きな見出しが飛び込んできました。警察の発表によれば事故が起きたのは午前11時45分とあります。「容疑者は市道左側に駐車中のトラックに接触。さらにごみ置き場のブロック塀をなぎ倒し、その奥に駐車中の軽乗用車とも接触。駆けつけた署員が調べたところ、呼気1リットルから基準の5倍以上の0.84ミリグラムのアルコールが検知された」そうです。
その教諭の名を見て、私はショックを隠せませんでした。教員時代のつながりはありませんが、人権教育にも熱心な先生で、夢屋を始めてから研修会などへ行くと会場で私だけでなくメンバーにも気さくに声をかけていただいたり、また、個人的に夢屋の実践に興味があるということでレポートをいただき、その感想を書いて差し上げたり、意見を述べさせていただいたりしたことが、数回あったからです。
私には、これと類似した事件でショックだったことが18年前、阿蘇に赴任した年の9月にあります。前任地は菊池市だったのですが、同じ教育事務所の管内に勤めておられた先生が、小学校の運動会が終わった後の慰労会で飲酒運転をし、老人を引き逃げ死亡させ、翌朝逮捕されたのです。その先生は、とくに体育の授業で優れた実践をされており、地元の新聞などにも連載された方でした。私も体育主任をやっていたこともあり、研究会で御一緒したり、一度宴席も共にさせていただいたこともあります。飾らない人柄で、何か自分にとっては、こんな先生の授業を私も小学校時代に受けていたらなあと思うような人でした。
今回の教育長のコメントではありませんが、本当に残念でなりません。しかし、何に対して残念か。私の場合、自分が教師を辞め、作業所を始めたときの状況や心理が浮かびあがり、残念さと、無念さと、悲しさと、そして何とも言えぬ腹立たしさ(それは自分自身へ向かってくるものでもあります)に近い感情がわいてくるのです。
私は教員をやめたとき心に期したことがあります。
絶対にこれからの生き方を通じて、当時受け持ち、またそれまで受け持ってきた教え子たち、保護者、自分の家族を始め周囲の人たちを、二度と悲しませたり落胆させてはならないと。
それは同時に「夢屋」を何としても軌道に乗せ、つづけていくことで自分がやろうとしたものを具現化していくことでしか返すことはできないし、どんな言い訳も通じないのだということを意味していました。合わせて、結婚し、二人の子どももいる33歳の男が教員を辞め、ほとんど無収入な作業所を始めることは、それほど代償の大きな行為だったのです。
そしてそれは今も、これからもつづいていくと思います。
一人の人間はだれしもでしょうが、少なくとも家族まで持った人間は、自分自身が作り上げた関係と責任の中ではかりしれない大きなものを背負って生きているとも言えるでしょう。また、私自身がこと「教師」に対しての思いが人一倍強かったこともあるかもしれません。単なる紙上のテクニックではなく、「生き方」そのものを通じて生徒や児童に言葉では伝えられない何かを教える仕事だと今も思っています。
今回の事故が人身事故につながらなかったことは、発生時刻や事故状況などを考え合わせれば奇跡かもしれません。
事故を起こされた先生もそうですが、これからの生き方で必死にまた、悲しませた方たちに思いがとどくまで努力しつづけ差し示していくしか道はない。
私も改めて自分自身に言い聞かせ、これからの作業所運営をやっていこうと思います。

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