「共」に「生」きる。 in 阿蘇

ちまちまと映画?を楽しむ方法もあるのですね。

お盆に帰省していると、寺島しのぶがインタビューをうけていました。
言うまでもなく、今や日本を代表する実力派女優ではないでしょうか。
お茶の間では大河ドラマ『竜馬伝』の竜馬の姉、乙女を熱演し、また最近では若松孝二監督の『キャタビラー』でベルリン国際映画祭最優秀主演女優賞を受賞しています。
個人的には車谷長吉原作の『赤目四十八瀧心中未遂』の綾役など絶品のものがあったと思っています。
さて、熊本でも『キャタビラー』が上映されているということで、見に行こうかどうしようかと考えましたが、予告を見て、とりあえず今回はやめにしました。
出征し両腕、両足を失い帰ってきた夫、もちろんその主眼は戦争のむごさであり、例え身を犠牲にして戦っても、その後の生活に何の保証もない当時の兵士や家族の置かれていた状況等、見応えのあるものとは思いました。
さらに視点を変えれば、帰還した夫がPTSDでのたうちまわり、頭部を部屋のあちこちで激打するシーンは、「戦争」とは別の意味で、一人の「障がい者」と彼を取り巻く周囲の在り方という観点からも、充分、現在と重なるものがありました。
しかし、それがあまりに、今のメンバーの調子を落とした姿などとダブッてしまったため、私としては、見るのを敬遠してしまった次第です。
さて、その置き土産ではないですが、若松孝二監督が『エンドレス・ワルツ』(1995年)という映画を撮っていることを知り、それをなんとPCのYou tube で見ました。
そうです。約8分ちょっとずつ、誰かが12分割してアップロードしてくれている画面を順につなぎ合わせ見たのでした。
内容は60年代末にフリージャズのサックス奏者として一世を風靡した阿部薫とその恋人であり妻の作家・鈴木いづみとの出会いと別れ、そして各人の死(阿部は1978年、29歳でブロバリンを多量摂取して中毒死、そしてその7年後鈴木も36歳で縊死しています)の実話をもとに書かれた稲葉真弓の同名小説が原作になっていて、二人にとっての「愛」の姿を、互いの「自我」と「自我」の壮絶なぶつかり合いを巧みに織り交ぜながら描かれていました。
ところで、なぜ、私がYou tubeの小さな画面でせこせこと見続けれたかと言うと、伝説のサックスプレーヤー阿部薫には以前から興味がありましたし、何とその役を芥川作家の町田康が「町田町蔵」の名で演じていたからでした。それがなかなかうまいのです。
あらすじをあれこれ書くのはやめますが、見終わった時、一つは一般的な意味での生きることの「濃さ」というか、果たしてそこに時間の長短(長生きしたとか早死にしたとか)がどのくらい関係しているのか、ということ、それと一人の優れた『表現者』はやはりその置かれた「時代」と密接に結びついており、滅んでいくのもまた必然なのだということ、さらにそこに男と女の「愛」が絡むことでより運命的な彩は強くなり、両者の出会いと別れも含め、連関性がメビウスの輪のように生起しては、言葉を越えた始原的な世界へといざなってくれること……、
そんなことを小さな画面を追いつつ、ちまちまと考えたひとときでした。

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