「共」に「生」きる。 in 阿蘇

フォトジャーナリスト・國森康弘さんの言葉から~

知人の新婚夫婦。
初めての子を授かった。男の子。名前も決めていた。出産予定日の1週間前になって、お腹の中で赤ちゃんが亡くなっていた。
3日後、母は分娩に臨んだ。いきんだ。
生んだ。
真っ赤な赤ちゃんだった。
抱いた。
温かかった。
だんだん冷たくなってきた。
三日三晩、抱いた。
あやした。
写真を撮った。小さな手の、かわいい赤ちゃんだった。
納棺して、送った。
赤ちゃんを抱き、写真に写る夫婦は、すっかりパパ、ママの顔をしていた。


今朝早く、フォトジャーナリストの國森康弘さんのホームページを見たところ、こんな文章(詩)が載っていました。http://www.kunimorifoto.net/
私が彼を知ったのは、日本のフォトジャーナリストの第一人者である広河隆一さんが編集責任をつとめる月刊誌『DAYS JAPAN』を通してでした。
その射程は広く、イラクを始め、ソマリア、スーダン、カンボジアといった紛争地からイギリスなど先進地の延命医療の骨髄移植のドナーの取材、さらに国内では失業者の実態や島根県知夫里島の介護・看取りの家「なごみの里」に暮らした90代3人の最晩年を追った「人生最期の1%」(写真展)の開催、そして平凡社新書から『家族を看取る~心がそばにあればいい』を出版するなど、写真や文章を通して社会へ強烈なメッセージを提起されている方です。
この文章(詩)は、写真家として培った彼の対象を見つめる確かさと生命を愛しむ温かな眼差しが土台となって、情景の一コマ一コマがはっきりとした映像となって浮かび上がってくるようです。
思い起こせば、夢屋をやって15年半、お会いする親はそのほとんどが障がい者(児)の親でした。
直接お会いしたり車で送迎にいった際、話されるのは、ちょっとした仕草の変化や顔色の様子、調子は上向きか下り坂か、用便の方は、自傷行為はでているか、よく眠れているか……と、その心配事は尽きず、本来なら子どもの成長にしたがい基本的な養育から解放されるはずなのに成人してもなお、養育(介護)の手を休めることのできぬ保護者の皆さんに、常に親というものはどうあらねばならないか、深いテーマをつきつけられているようでしたし、同時にそのような今もって厳しい現実があるからこそ、「社会」の『制度』や『システム』の改善によって少しでもその「負担」を軽減する必要があるのではという思いもありました。
今年の夏の暑さも加わり調子を落とし気味のコウキさんを、土、日の休み明け迎えにいくと、いつもは強気のお母さんが、
「もう、自分でもときどき、どうしたらいいのかわからなくなります」と涙声で呟かれます。
私はそんなお母さんの言葉を黙って聞いています。
「調子が悪いからと言って、家でじっとしているより、外に出た方がいいですよね」
そんな縋るような口調に、私も思わず、
「ええ、やっぱり気分転換にもなりますし、コウキさんもみんなといると楽しいみたいですよ」
と咄嗟に返事します。
私は、ほんの数時間でも、ここ数日付ききっりでおられたお母さんの心と体を休めてあげればとそんな気持ちで一杯なのです。
「コウキ、夢屋さんがきたよ」
お母さんの言葉に、コウキさんも私の顔を見ると、布団から立ち上がり、着替えを始めます。ズボンを履き、私の手を求め、車へと向かいます。
夢屋ではそんなコウキさんを皆が気遣い、パンをつくりながら声をかけたり、手作りのおもちゃをわたしたり、隣にいって抱きしめ話しかけたりしてくれます。するとコウキさんも、独特のいつもの声や動きがもどってきます。
やがておもむろにテーブルに手をかけ、仁王立ちになるコウキさん。
「あっ、ちょっと臭ってきたみたい」チーさんの声に紙パンツを覗くとりっぱなものが…。
「やったあ、よかったよかった、出てよかったねえ」
歓声を上げ、トイレへ連れていく私。
休み中、ご飯も喉を通らなかったと言うのに、しっかり好物のカレーをペロリ。仲間の力を感じる一瞬です。
お昼過ぎのお母さんからの様子を心配する電話に、これまでのことを話すと、「ああ、よかったです」と安堵の声が。
しかし、また夕方、自宅へ送ったとき、お母さんの心配そうな表情から、これから二人の予測不可能な時間が待っていることを痛感するのです。
思春期を迎えた時の重度の知的障がい者、とくに男子の難しさを私は今は亡きタケシさんから身をもって教えられ、コウキさんにも同じことを感じつつ、それでも日々、皆と力を合わせながら夢屋の運営をやっています。
國森さんの文(詩)同様、親とは我が子を、一生、いやもしかすると命を失してからも形や方法の違いはあるにせよ「三日三晩、抱き、あやし」つづけねばならない存在とは言えまいか……。
だとしても、涙や苦悶や疲労ばかりがつづく毎日でいいのか。
生命なく生まれた悲しみとそこから湧き上がる親の愛の姿を見つめさせていただきながら、この世に生命を与えられた素晴らしさを思うとともに、日々の取り組みのことなど、いろいろ考えさせられたときでした。

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