「共」に「生」きる。 in 阿蘇

8/4の阿蘇市学校人権同和教育部会「共生の教育」で夢屋が発表のときの先生の感想で、共通したテーマを持った二つがありましたので載せさせていただきます。

理屈は通じない。そうしたい理由がある。等、目からウロコでした!
特別支援学級の児童とかかわる中で、言葉かけなど反省する点が多々あった。
障害があっても働ける環境づくり……。母が理容師でも耳の聞こえない職人さんがいた。イジメもあったようだが、母がその人をいつもほめていたので、言葉がはっきりしなくても、私は大好きだった。「少し支援をする人がいれば働ける」ということは本当だと思う。
今日はありがとうございました。
オルモ・コッピア大好きです。お店で出される夢屋さんのパン、とってもおいしくて大好きです」


共生を土台とした就労の場というテーマでお話をしていただき、私にもとても関わり深いテーマでした。というのも、現在は小学校で学習支援をしておりますが、大学卒業後は5年間焼き物の窯元で陶工として働いていました。
そのときに当時30歳の知的に障がいを持つ兄弟子が働いていました。
中学を卒業してからすぐ窯元で働き始めた彼は15年のキャリアがあり、それはそれは生き生きと仕事をしていました。
というのも窯元の師匠は彼の得意とする仕事をよくわかっていて、彼のしやすい作業の工程を(師匠の手作りの)彼のために改良した道具を使って、作業をさせ、そして私の前ではしっかりと兄弟子として彼を立てていました。
兄弟子は数年前にこの世を去りましたが、夢屋さんや私の働いていた窯元のような「共生」を土台とした就労の場がもっと増える社会を目指さなければと思います。
今日は、貴重なお話、どうもありがとうございました。


どちらも、身近な労働の場にごく自然な形でごく当たり前のように「共生」の姿があったことを書いておられます。だんだんとこのような場が減ってきているように思えるのは私だけでしょうか。
改まった形でなくても、それぞれの職場でごく普通に仕事を分担しあいながら共生していく道をこれからも、夢屋は夢屋なりに模索していけたらと思っています。

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