「共」に「生」きる。 in 阿蘇

蝉の声を聞きながら~

おそらく原初というべきか、遠い遠い御先祖様も共通して聞いてきた、しかもかなり限定された季節感と結びついた生き物の鳴き声の一つに、この蝉の声は入るのではないでしょうか。照りつける眩いばかりの日差しの中で鼓膜を揺すらんばかりにざわめく声、夕立ちの後、じわじわと息を吹き返すかのように広がり出す蝉しぐれ……。
そんなとき、過去の情景がふと浮かび上がり、幼き日の夏の思い出や情景はなくとも深い感情のたゆとう中へ彷徨い出る人も多いのかもしれません。
「である」と「がある」……、哲学の世界では「本質存在」と「事実存在」といわれています。はたして「私」はこれまで「私であり」、ちゃんと「私があ(在)った」のか?
突飛なようですが、蝉の声に象徴される古い地層に埋めこまれた声(音)を耳にすると、時間というものが一度に遡行し、存在の根源の問いへ連れ去られることも少なくありません。
そんなとき、もう亡くなって十数年になる慕っていた陶芸家の言葉を思い出します。
「生まれたからには、自分なりに帳尻を合わせて死にたい」と、よく晩年おっしゃっていました。
作品展前など、仕事が込み入ったときお会いすると、
「売るために、生活のためにこうやって作ることは、正直、苦痛なんです」それでも轆轤に向かい続けていた後姿が今もはっきりと浮かび上がります。
しかし、だからこそ、自分はなぜ陶芸の道へすすんだのか、あるいは自分の目指す陶芸とは何だったのか、考えずにはいられないともおっしゃっていました。そうです。初めて目にした、何の装飾もなく、釉薬もかけられていない、まるで「土」そのもがそこに姿を現したかのような素焼きの感動を熱く語っておられたのを昨日のことのように思い出します。
一人の「陶芸家であり」、一人の「陶芸家がいた」ことを証明すること。それこそが、もしかするとその人の人生の「帳尻」を合わせることだったのかもしれません。
でもよくよく考えるに、けっきょく人とはこの二つの問いを、無意識に自分自身へと投げかけながら生きつづけているとは言えないでしょうか。そして願わくば、その両者の果てのさらなる場所「私でもあり、私もいた」地点(認識)へと辿り着きたいのかも……。
今日も、いろんな場所で蝉の声を聞きながら、それぞれにいろんなことを考えたり感じたりした人がいたんでしょうね。
そして、この『遊びとたちのページ』を覗いてくださり、ありがとうございます。

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