「共」に「生」きる。 in 阿蘇

ふとさあー、ここんテレビ!!

今年は、黒沢明の生誕100年だそうですが、山本薩夫も同じく100年ということで、NHKのBSでは特集があっています。
『不毛地帯』『華麗なる一族』『金環蝕』など社会派監督ならではの作品が、つぎつぎと放送されていますが、私が中でも面白いと思ったのは『忍びの者』です。作品はその後シリーズ化され、別の監督などにより8本つくられています。彼は最初の2本つくっていて、いわばその記念碑的作品です。原作は村山知義、主演はあの大映の看板役者市川雷蔵、そこに超個性派俳優の伊藤雄之助が顔を合わせています。
山本薩夫については、別番組で彼個人にスポットを当て、当時、彼を支えていたスタッフや彼の作品に出演した俳優、また遺族がインタヴューに答える形で放映されていました。学生時代の反戦活動をした罪による検挙、戦争中兵役で受けた非人間的扱い、戦後東宝の従業員組合の結成に伴い、労働環境の改善を求めくりかえしたストライキに争議終結後待ち受けていた不当な解雇……。
その後、彼は当時未踏の領域だった独立プロを立ち上げ、農民映画の傑作といわれる『荷車の歌』(三國連太郎主演)や自らの屈辱的な戦争(兵士)体験を重ねた『真空地帯』など数々の問題作を放っていきます。しかし、時代とは因果なもので、テレビの普及とともに急速に映画産業が斜陽に向かいつつあるとき、その救いの手として大手会社が白羽の矢を立てたのが、少ない予算でも確実に観客を呼べる玄人好みな作品を地道につくりつづけていた彼だったのです。まさしく孤高からの凱旋とでもいうべきでしょうか。
そんな辛酸を嘗めつくした彼ですから、ただの忍者や武士のチャンバラものではありません。まさしく忍者を組織の一員(歯車)と位置づけ、戦乱の時代に翻弄された一人の人間として、その内面をいぶりだすような陰影深い描写でリアルに描こうとしています。人間離れした今でいう特撮(SFXやワイヤーアクション)の忍術はなく、う~ん、かなり鍛錬すればやはりここまではできるんだろうな、という範囲で(だからこそ、やはり忍者はすごいなと感嘆する形で)、しかも「妖術」と言えば、むしろ肉体的な攻撃以上に、敵側の人間の心理をいかに欺くかということに力点が置かれ、ここまでやるのかという非道な手段(時と場合によっては自分の妻をも囮に使い人心を奪わせる)で相手の息の根を止めてしまう(ただし、簡単には殺しません。利用できる者はとことん骨の髄までしゃぶるのも忍術の一つです)姿が映し出されます。
少し前置きが長くなったようです。さてここで、ようやく今回のタイトル「ふとさあー、ここんテレビ!!」の本題に入りたいのですが、この台詞こそ、私が生まれて初めて映画に連れて行ってもらった時、館内で上映が始まるやいなや大声で叫んだ言葉なのです。
小学校入学前、ときは1967年、そうです。このとき上映されていたのがこの『忍びの者』シリーズの何本目かの作品です。私の記憶には主人公市川雷蔵の眩いばかりの姿形が明確に記憶されています。そしてもう一本同時上映されていたのが、当時人気のあった漫才コンビ「晴乃チックタック」の唯一の主演作『爆笑野郎・大事件』だったのです。
「チックタック」と「雷蔵の忍者姿」、これだけははっきりと覚えていて、それをもとに今回『忍びの者』を鑑賞しつつ、過去の記憶をひも解いて言った次第なのです。
で、そこまでなぜこの思い出だけははっきりさせたかったといえば、まさしくあの私の絶叫「ふとさあー、ここんテレビ!!」、そしてその瞬間の場内の反応が決定的に脳に刻まれ、少なからずその後の私の生き方に影響を与えているからにほかありません。
テレビという媒体しか知らぬ小学校に上がる一年前の私が、素直に出した比喩と表現、それはテレビにたとえられたスクリーンそのものだったのです。
しかも、私の奇声により場内の観客はすべて私に集中し、一瞬静まり返り、大曝笑に満ちたのでした。その後はしばらくこの私の言動は逸話となり、家族や親戚の笑いの種となっていました。しかし当の本人は真剣、いや本当に、あのテレビの大きさには度肝をぬかされたのでした。
なんということはない。『爆笑野郎・大事件』は、「私」そのものだったのであります。

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