今、NHK、BS2では、なんでもブルース・リー生誕70年ということで、『燃えよドラゴン』『ドラゴン危機一髪』『死亡遊戯』の3本の映画が放映されています。今さら言うまでもないことですが『燃えよドラゴン』が公開されたのが1973年、まさしく私が小学から中学校へ上がる時期で、周りを見渡せばだれもが、その声やカンフーのポーズ、ヌンチャクのまねごとをしていたと記憶しています。
思えば、ビートルズを知ったのもそのころです。友達からかりたレコードを姉のもっていた小さなプレーヤにかけ、その前にじっと固定させたラジカセで録音し、明けても暮れても聞いていたのがアルバム『レット・イット・ビー』の収録曲でした。学校にいけばジョンやポールの歌真似をするやつが必ず一人や二人はいましたし、ラジオでは、ビートルズのベスト10や、ビートルズ何々といった企画番組が跋扈し、ビートルズってすごいんじゃと馴染んだときにはすでに数年前に解散した後で、幻のグループになっていたのです。ブルース・リーも映像で知ったときは他界してましたし、よくよく考えれば、「憧れ」と「喪失感」を強烈に同時に感じさせてくれた点で、両者はかなり共通点があるなということに気づきました。(しかもジョン・レノンも今年、生誕70年ですよね。)
で、今回、このようなとりとめもないことを書こうと思った最大の理由、それは何と、私の誕生日、11月27日がブルース・リーと同じだということを知ったからでありま~す。(ここで俄かに口調が変わる自分がこわい。でも、偉そうに言ってますが、これまで知らなかったという点では、私も大したファンではないのです。トホホ……)
そこで同じ月日に生まれたのを知った機会に、ぜひ『燃えよドラゴン』を一度ちゃんと見てみようとしっかり堪能、うう~ん、なるほど、この映画は良くできてるなと思うところが大きいのでした。ブルース・リーのアクションについては多くの人が語ってることでしょうから、私は私なりの感想ということで。
つまりですね、悪役のミスター・ハンと彼が牛耳る小島が象徴しているのはまさしく当時まだ共産党一色強き「中国」でありまして、そこへバラバラとそれぞれの諸事情で乗りこむウイリアムス、ローパー、そしてリーはまさしく資本主義から自由をもたらしに(もちろん本人たちはそんな大義は持ち合わせていませんが)やってきた開拓者なのではないかということです。
試合に「賭け」を持ち込んだり、ハンのメイドの美女と色恋の感情を抱いたり、また悪事を暴きつつ妹の仇を討つといった三人の生き方はまさしく組織に縛られない自由主義国側のまあ、いわばイギリス植民地という立場ではありますが「香港」陣営の姿とは言えないでしょうか。何度注意されても練習着を着ず、自分の着たいものを身につけ試合に臨むリ-の態度などはよくそれがあらわれています。圧巻は最後の大乱闘シーン、片やリー側は、誰の命令もなく、それまで捉われていた囚人たちも含め、無手勝流にやりたいように向かっていくのに、ハン側はいちいちハンが名前を呼び指差さないと立ち向かってはいきません。まさしくハンをピラミッドの頂点とした上意下達の指示系統で、硬直した組織そのものです。
もちろん大衆は映画にそんな政治的なことを当てはめて見てるはずもないんですが、でも優れた作品というのはそういうものですよね。作品の作り手が意図しようがしまいが、必然的に大衆の無意識(に溜め込まれた閉塞感や脅威、不安感を打ち砕くべく)を知らぬまに通奏低音として反映してるものなのです。
その意味でまさしく『燃えよドラゴン』はすばらしきエンターテーメントだったと言えるんではないでしょうか。
同じ誕生日をネタにちょっとだけ書いてみたくなった今日でした。