「共」に「生」きる。 in 阿蘇

ある番組から~

今、NHKのBSでは、『ザ・ベストテレビ2010』として、民放、NHKの枠を取り払い、各地の放送局が作った選りすぐりのドキュメントが放送されています。
昨夜は、四川大地震の震災地の中学校が舞台で、そこでの生徒と先生の姿が描かれていました。
この番組の面白さは、作品放送後、ゲストの4人(映画監督やテレビプロデューサーの相田洋, 石井彰, 森達也、ピーター・バラカンなどがいる)がそれぞれの視点で、なぜその作品が素晴らしいか、あるいはどんなところがまだ力がないか、など忌憚ない意見が交わされる点にあります。
今回の場合、震災によって心に傷を負ったのが生徒たちだけでなく、女性教師も娘さんを亡くしていて、当時、彼女の遺体が発見されると決意したように、その後も自分のクラスの子たちの救出に奔走した先生の姿を涙ながらに回想するクラス長の男子生徒の姿が印象的でした。
人は、究極の状況でどう生きるのか、あるいはどう生きねばならないのか。その生徒は、「先生は生き方を教えてくれた」と語っていました。そんな教師だからこそ、子どもたちとの絆は深く、けっして生徒たちの前では娘さんの話や辛い気持を吐露しない教師の思いをはかり、彼女には内緒でお墓参りの日に全員で出かけ驚かせます。そして一人一人が教師と抱擁し合い、言葉を交わしていくのです。
教師が生徒を支えていたという図式から、実は生徒こそが教師を支えていたのだ、というそんな逆転が起こった場面で、この転換こそドキュメンタリーの本質であると石井氏は話していました。
先日、遠く及ばないにしろ似たような体験をしました。
9年前、5か月ほど夢屋へ来ていた利用者(サトちゃん)が突然亡くなったことを知りました。
53歳でした。サトちゃんは過呼吸の発作をもっていて、夢屋にいるときも発作はつきものでした。普段はとてもおだやかで、皿洗いが得意でピカピカに拭き上げてくれていました。
カラオケに行った時も、強い発作に襲われ、歌うのは無理だろうと家族に連絡し迎えに来てもらうと、少しよくなってから帰りたくないと4曲続けて、得意の演歌を熱唱してくれました。
そんなサトちゃんが逝ってしまいました。新聞のおくやみ欄で知り、お参りに行きました。
お父さん、お母さんが様々な家庭の事情で夢屋を辞め、別の施設に行ってからの様子を話してくださいました。
あまりに急な死に、今でもそこにいるような気がしてふと名前を呼ぶ時があると、お父さんは話されていました。
生き物が好きで、金魚を買ってきては庭の泉水で飼い、じっと飽きずに見ていたそうです。犬も二匹いて、散歩させてくれる主がいなくなり、寂しそうでしだ。
お父さんは、最後に無念そうに、
「よく、夢屋に行きたかて言よったですよ。もう一回、行ってみたかて……そんうち、遊びに行ってみようかねて言よったつですけどね」
私の胸もいっぱいになりました。
「そんなこと言よらしたつですか。生きとるうちにもう一度、夢屋につれていってあげればよかった……」
でも感謝の気持ちもあふれてきました。
たくさんの思い出をくれたサトちゃんが、最後にそんなありがたい言葉を残してくれていたことに。
「夢屋をつくってよかった」
そう素直に思えた一瞬でした。
なんだか、お悔みに行った自分の方が力をもらってきたひとときでした。
サトちゃん、ほんとうにありがとう。
あなたの言葉でまだしばらくは、夢屋をつづけていけそうです。

コメントはまだありません

TrackBack URL

Leave a comment