「共」に「生」きる。 in 阿蘇

『夢屋だより』令和元年・年末号(117号.12/12発行)からの文章です。

 

 

 

 

 

 

 

新しき元号の幕開け、令和元年も大変お世話になりました。

作業所「夢屋」代表 宮本誠一

台風や阿蘇山の長引く噴火、消費税値上げ等々、「令和」の1年目も様々なことが起こったように思えますが、皆様いかがだったでしょうか。農作物など大きな被害がないことを祈るばかりです。さてそんな中、11/13の熊日新聞に平成の大合併後の県内各市の人口推移の調査発表の記事があり、熊本市と合志市以外マイナスであることと、合併地域内でも周辺部の人口減が大きい天草、山鹿、宇城、阿蘇市が上げられ、阿蘇の場合、波野地区の数値がマイナス17.0%と出ていました。そんなことが気になっていた矢先、今度は11/22に合志市の小中学校で給食調理員の不足が続いている記事を見かけ、大変重大と思いつつ、やはり私が驚いたのはその人口増の数字でした。13年前の合併以来、何と児童生徒数が年平均140人増え続けているということでした。両者の合併後のあまりの違いに合志市の抱える問題がどこか〝うれしい悲鳴〟のようにも聞こえてしまうのはやっかみでしょうか。このような「やっかみ」が生まれぬためにも政治は様々な地区経済や医療、福祉、教育サービスにこれ以上の格差が生まれぬよう機能していくべきと思いますが、その差はますます広がっていっているように思えてなりません。
夢屋では11/5日から9日間、小国支援学校の生徒さんが現場実習に取り組んでくれました。地元の生徒さんで、これまで何度も利用してくれていますが、たった1人の重さを宝とし、これからも大事につながっていけたらと思っています。また11/8から5回にわたり一の宮小から35名の児童がパン作りの体験と交流学習に来てくれます。これも総合的学習が始まって以来、市内の多くの学校と色んな形でやってきた夢屋の活動の重要な一つです。最近では、夢屋のメンバーたちも積極的にパンの形成や作り方を子どもたちに教えてくれるようになり、皆の笑顔をつくる一翼を担ってくれているのは心強い成長であり、嬉しい限りです。
では11月から2月までの行事(予定を含む)をご紹介したいと思います。
11/3 蔵原地区のお薬師講と〝よど〟祭りに参加。
11/5~11/15 小国支援学校の生徒さんが現場実習(9日間)にやってくる。
11/8 一の宮小児童7名の児童がパン作りの体験と交流学習。
11/28 阿蘇市人権フェスタで啓発の掲示とパン販売。
12/2 一の宮小児童7名がパン作りの体験と交流学習。
12/9 一の宮小児童8名がパン作りの体験と交流学習
1/20 一の宮小児童7名の児童がパン作りの体験と交流学習 2/3 7名が体験と交流学習。
また私事で恐縮ですが、このたび応募しました拙作(小説)が九州芸術祭文学賞の熊本県地区優秀作に入選しました。同賞は8年前にも頂いており、今回で2度目となります。パンの配達先でお客様から早速、「おめでとうございます。よかったですね」と温かなお祝いの言葉をかけて頂きました。このような執筆ができるのも日頃から「夢屋」の活動を支えて下さっている全ての方々のお力の賜物と心より感謝している次第です。本当にありがとうございました。
最後になりますが、いよいよ来年は東京オリンピック、パラリンピックの年、やるからには事故なく平穏に終わることを願いつつ、皆様にとっても健やかで実り多き一年になることをお祈りしまして、令和元年の年末号のご挨拶とさせていただきたいと思います。

『令和誕生!を振り返って』

中島 地利世

今年の5月に「新元号」が誕生して半年がすぎましたが、今年 最後のおたよりは、また、母の周囲で変化した事でも書きたいなと思います。
まず「令和」の名前が生中継で発表された時、その日は母と一緒にテレビを観ていました。母に「お母さん、これからは「令和」だってよ」と言うと、「牢屋!?お母さん、なんで牢屋に入らないけんと!?」と、謎の質問が飛んできました。落ち着かせて聞いてみると、「れいわ」と「ろうや」を聞き間違えたようです。その時は、ただバカバカしいと思っていましたが、その当時を思い返すと、クスッと笑ってしまいます。
先の号でも書いてきましたが、目を離すと家を勝手に出て行く、幻覚、幻聴、被害妄想が強いのでなかなか大変でしたが、そんな9月4日の受診日の事です。発病当初からお世話になっている居宅介護支援事業所のケアマネージャーさんと熊本市の訪問看護士の方が、2人も付き添ってくださって「そろそろ薬のバランスが合ってないのでは?」というお話と、「利用できる施設の紹介を…」と、一緒に主治医に必死に頼み込んで下さいました。その結果、いきなりその日から1ヶ月間の入院が決まり、病院で観察してもらいながら「新薬」も組み合わせたバランスで試飲してみるという計画になりました。
飲み薬だけじゃなく貼り薬もあって、それが少しずつ身体に馴染んできたのか? 表情も明るい日が増えてきたように思います。
そんな母もいよいよ退院の翌日、10月9日から通所先のデイサービスが決まりました。☆そこで職員の方や他の利用者さんに親切にしてもらい、カラオケ大会や周囲の紅葉見物、お風呂に入れてもらったり、綺麗に髪を結ってもらったりと、おかげさまで、毎日を楽しくすごしている様子です。
最後に、、今年も無事に参加させて頂きました「人権フェスティバル(11/27)」、そこであったお話も書きます。メンバーの裕子さんが日頃、指の関節の音をポキポキ鳴らす癖があって、それがお客様の前だとちょっと行儀が悪い感じなので、事前に注意していたのですが、やっぱり癖というものはついつい出てしまうようで、体育館の販売コーナーでもやってしまいました。それも、なんと佐藤市長の目前で…私はすぐに謝ろうとすると、市長は、嫌な顔一つされず、「お~っ!♪」と、いつもの明るい笑顔で、自分も手を揉む仕草で、ノリノリな冗談で返して下さいました。少し安心して笑う事ができましたが、ヒヤッとした瞬間でした。(苦笑)市長だけではなく、わざわざ「売り切れる前に買っとかんと!」と、到着して真っ直ぐに購入しに来て下さる常連の方もいらっしゃいました。本当に有難い限りです。!(^^)!
今年も、日頃パンを購入して下さっているお客様や、活動面で色々と関わって下さっている方々に支えて頂き、大きな事故や病気もなく過ごす事ができました。感謝!m(_ _)m
皆さま、お身体にお気をつけて、良いお年をお過ごし下さい。

『道路が少しでも歩きやすくなることを願って』

下村 津代

今年も、あっという間に過ぎ、はて、何があったかなと、あらためて思い出すのもなかなかむずかしい感じです。そんな中、国会議員に障がい者の方が御二人なられました。最初どのくらいの障がいをお持ちか知らなくて、実際にかなり重い方たちだったので、議員の仕事をどうなさっていくか心配しましたが、会議場のバリアフリー化などもどんどんすすみ、やはり当事者が入っていくのは大きいなあと感じ、これから少しずつでも世の中がかわっていくんじゃないかと期待を持ちました。それとの関連で思うのが、阿蘇市のなかなかすすまない道路のバリアフリー化です。ロダン(盲導犬)と一緒に歩くには、今のままではとても危険すぎて、なかなかできないのが実情です。狭さもですが、凹凸や民家の垣根のでっぱりも多く、かなり危険です。私たち視覚障がい者はちょっとしたでっぱりでも躓いてしまい、大事故につながります。同行支援の方も、実際に私と歩いてみて、こんなに歩きにくいとは思わなかったとおっしゃいます。警察や国土交通省などにも要望を伝えに行ったことがありますが、資金面や、市内にいる視覚障がい者の人数などを聞かれ、道路を利用する中で少数者として部外者のように扱われたりもしてきました。でもバリアフリー化は高齢者や幼児、ベビーカーなどにも必要なことだと思いますし、道路施工の計画段階からそういった当事者が会議のメンバーに入っていれば、より安全な道路づくりの意見も生かされていくのではと思っている次第です。元号も令和に代わり、来年は東京オリンピックやパラリンピックもあることですし、共生へ向けての第一歩としてまずは誰もが安心して歩ける道路づくりが進んでいってほしいと願ってやみません。

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