「共」に「生」きる。 in 阿蘇

ミヤちゃんのちょっと気になった番組~みんなロックで大人になった~

12月23日、NHKのBSで「みんなロックで大人になった」(イギリスBBC制作)という、ドキュメンタリー番組が再放送されていて、ついつい3時間つづけて見てしまいました。
興味深かったのは、ヘビー・メタルの誕生の章で、イギリスのハード・ロックグループ、「ブラック・サバス」のギターリスト、トニー・アイオミの右手の中指と薬指の逸話でした。
彼は、デビュー前、プロを志していたとき、鉄板の機械工をやっていて、たまたま欠勤した工員の代わりに不慣れな切断の現場へまわされた結果、事故で指の第一関節の上を失ってしまったというのです。
これは、左利きのギタリストとしては致命的で、一時は夢をあきらめかけたそうです。しかし指の先端に洗剤のプラスチック容器を溶かして作ったチップをはめて、鑢で研いだり、さまざまな工夫をするうちに、むしろ重厚で硬質な音が出せるようになりました。番組では、これがヘビメタサウンドの誕生の歴史の一ページであると言っていました。
さて、この話を取り上げたのは「障害」を負った人がハンディを克服し、成功していったというサクセスストーリーを評価してではありません。なるほど、そういった点でも確かに見逃せないのですが、僕自身は、まさしくここにこそ、新しい分野(この場合「ロック」)が裾野を広げていくときの核心があるように思えたからです。
別のバンドは、新しい音の模索に苦しんでいた時、やけくそになり、アンプをカッターで切り刻んだところ割れるような響きが起こり、面白いフレーズができあがったと話していました。   
そうです。すなわち、それまでノイズや不快な音として排除されていた<非正規>の「音」が、クラシックからポップスまで耳慣れた<正規>な「音」たちがもてはやされ、凌駕する領域へ割って入り、かつ今度は新しい感覚の上で認知されながら、カテゴリーを確立していく道程、それこそが新しい音楽、すなわちロックの始まりであり、どの分野にも通じる歴史の必然性が絵に描いたように語られていたからです。
けだし、新しい歴史とは、そこにひょっこりと芽が出るわけではなく、むしろ、それまで無価値と思われ排除されていたものが、時代のまなざしをもって必然性とともに領域を確保し始めるものではないかと。
当然、そのような音が必要とされる歴史的背景(条件)、感性の地ならしは事前に必要で、そのことも忠実に追った構成だったと思います。
見ていて、「あれ、ツェッぺリンは、ビートルズは、イーグルスは出てこないの?!」と不満や奇異に思った人も多かったかもしれませんが、私たちは、むしろそのようなビッグネームのバンドを語ることによって、自明性のもとに見落としている(語られない)歴史が、あるときは本質を握ってることもあるのだということを知っておくべきではないでしょうか。
それにしても、ストーンズ、クラプトンはロックがまだ高らかに産声を上げていないブルースのリズムで演奏されていた時代からその名がつづいているのですから、これはまあ、別格だなと思った次第ですが…。(苦笑)

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