皆様へ、このたびの震災の心からのお見舞いとお悔やみを申し上げます。
「夢屋」代表 宮本誠一
「夢屋だより」のご挨拶文を書かせていただくにあたり、どんな言葉から始めればいいのか、これほど悩んだ号はありません。しかし、少しずつでも前へ踏み出していく勇気と希望を込め、ありのままの気持ちを書かせていただきたいと思います。
皆さん、大丈夫でしたでしょうか。お体や大事な身内の方、あるいは家屋や田畑、思い出の品が傷つき、悲しんでいらっしゃる方も多いかと思います。不安の中、睡眠が充分にとれず体調を崩されている方もおられるんではないでしょうか。またそんな自分を奮い立たせ、周囲の方たちと励まし助け合いながら必死に新たな一歩へと立ち向かっていらっしゃる方もおられると思います。本当に改めて心からお見舞いを申し上げます。
夢屋のメンバーも14日の前震後、15日はいつものように運営をしたのですが、予想もしなかったまさかの16日未明の本震と言うことで大変な状況になったようです。当日の午後、連絡はとれたものの、皆、近くの公共の避難所内の敷地などで車中泊をしたり、近親のお宅などへ身を寄せ何とか難を凌いでいるとのことでした。電話越しにも切迫感がひしひしと伝わってき、こちらもどんな言葉をおかけしたらいいのか、大きな怪我を負った者もないという無事の知らせに、ただただ安堵に胸を撫で下ろしていった次第です。私自身は激震の最中、手足に傷を負ってしまい、夜中とはいえいざこうした事態が突然に襲ってきたときには、理性的どころか我を忘れうろたえてしまう現実に、自然の猛威の凄さと己の油断と無力さ(未熟さ)に痛く反省し、今後の教訓とせねばと思っているところです。
そんな中、26日には活動が再開でき、お客様にパンをお届けすることができたことは喜びに堪えません。パンをお渡しする際、お一人お一人から温かな励ましのお言葉をいただき、メンバーもホッとしたように笑顔で応え、こちらも胸が一杯になりました。まだまだこれからも余震や降雨による土砂崩れの危険も予断は許されませんし、生活の立て直しには相当の時間が必要かと思います。どうか皆様がお体気を付けられ、ご無事に過ごされんことを今は願うばかりです。それでは4月から5月前半までの活動のご報告をさせていただきたいと思います。
4/7 この春開校する一の宮小学校を宗千賀子先生が案内してくださいました。
4/19 熊本地震後、夜に電気が復旧し、本格的に外部の支援者にも情報発信が可能に。
4/29 簡易宿泊所『野菜ty(のなてぃー)』の被害状況確認と片付け。日本基督教団錦ケ丘教会の川島直道牧師と小平善行さんから支援物資。早速メンバーへ配っていきました。
5/2「被災地障害者センターくまもと・JDF熊本支援センター」から支援物資と5/8にも『野菜ty(のなてぃー)』を視察していただきました。
5/7 真和中学高等学校の吉田祐一先生よりASEのポスターを頂きました。
この一月だけでもたくさんの方々に支えられ、乗り切ることができました。この場をお借りして心より感謝申し上げたいと思います。また、地域、行政、民間の支援団体の皆様におきましては、どうかこれからもくれぐれも健康にご留意されるとともに、被災された皆様の日々の暮らしが一日でも早く再建されんことを切願し、ご挨拶とさせていただきたいと思います。
『後輩になった母』
中島 地利世
以前、私の母が「パーキンソン病」になった事をチラッと書きましたが、またそのお話をこの場をお借りしてもう少し詳しく書かせていただきました。
母と同じ病状の人は、薬が効いている時を「オン状態」そうではない時を「オフ状態」とよくご説明に使われているのを聞きますが、その言い方の通り、オフ状態の時は体の調子が悪くて、支えがないと倒れそうで座っているか安静に寝転がっていないといけません。
最近の母の調子は、初診から3年たっても「長時間 効く薬」にめぐりあえないようで、今ではますます症状も重くなり、一日24時間のうち9時間しか「オン状態」がありません。
多いのは震えや筋肉のこわばりで、常に足がつった状態のような感じになるらしいです。
薬を飲む時間は朝8時半、昼1時半、夕6時半で調整してあり、それぞれ3時間位しか効かないので、夜の9時半過ぎから翌日の朝の薬を飲むまで約11時間もの間は、症状に悩まされながら眠りが浅い日々が続きます。
そうすると、今度は血圧や心臓にまで負担がかかり、時間外受診が増えてきたので改めて、4月から薬の調合バランスを組み直す事を担当医と話し合い様子を見て行く事にしました。
口を開けば「そのうち、完全に動けん日がくっとやなかろうか…」と、今までは何に対してもマイナス思考ばかりでしたが、「どうせ寝ころんどかないけんなら…」と、そのまま足をあげて運動したり、色々な動きのストレッチをしています。
昼間の「オン状態」の時も、毎日30分~1時間位、町内を杖つきながら歩いています。
そんな風に頑張れるようになったのは、宮本さんからの励ましの言葉や、宮本さんもまた腰痛が復活しないように日々筋トレなどをされているお話を聞いたのが大きいようです。
そんな中、3月始め頃くらいに、宮本さんが「ちょっといい?」と話しかけてきたので、「私、何か失敗してしまったかな…」とハラハラしていたら、【夢屋】の相談事業の利用者のメンバーの一人として正式に私のお母さんにも加わってもらっても良いかというお話でした。私達の方こそ、とても有難いお話だと思って、ぜひ、よろしくお願いします、とお願いしました。
一応、家に帰って母にもその事を話すと、自分も夢屋の活動の一員になれたという事で、とても喜んで「あんたの後輩になるたいね…ハハハ!」と嬉しそうに笑っていました。
4月が近づき、やっと桜がぽつぽつ目立ち始めた頃、母と「花見ばせなね~」と話しました。
うちの家族は、母の体調も含めなかなかみんなの時間がそろわなくて、一緒に出かけるという事が無かったのですが、たまたま休みが重なる日がありました。
「今後どうなるかわからんけん…たまには、家族そろって出かけたい」そんな母の希望で、みんなで花見をする事になり、場所は母が大好きな大津町にある「昭和園」にしました。
今年は、なかなか暖かい日が遅いのか…私たちが行った時には、桜はまだ少しだけでしたが、大好きな猫が何匹もいて、家族みんなそっちの方に夢中になってしまいました。(笑)
自由気ままにのんびり日向ぼっこをしている猫を見て「焦るのが一番いかんな…なるようにしかならん!ハハっ」と、どこか吹っ切れたような顔で笑っているのが印象的でした。