「共」に「生」きる。 in 阿蘇

2015『夢屋だより』初夏号の文章からです。

『夢屋だより』初夏号からの文章です。

2015年度もどうかよろしくお願いいたします。
                 「夢屋」代表  宮本 誠一
今年もまた送迎の折り、新入生の元気な姿を目にする季節になりました。大きなランドセルを背負い一生懸命歩く最前列で、六年生の登校班長さんがときどき振り返り、道路にはみ出ていないか注意しつつ、和気あいあいと楽しそうです。こちらも尚一層、運転に気を引き締めます。さて、ついに夢屋もこの春で20年目を迎えると同時に待望の新しいメンバー、山内裕子さんがやってきてくれました。彼女の物おじせず何事にも積極的に取り組む姿勢は、早速、他のメンバーにも大きな刺激を与えてくれているようです。そんな風景を見るにつけ、地域で育った子が地域の場である夢屋に新鮮な空気を送り込んでくれているようで嬉しく思うこの頃です。
ところでそんな私ですが、開所当時、実は小学生を見るのが辛い時期がありました。宮地小を最後に教員を辞め作業所を始めたのですが、どこかでその選択に自信が持てない自分がいたからです。やはり学校にとどまり、障がい者と健常者の「共生」の実践を続けていた方がよかったんじゃないか、そんな揺れる思いがあり、できるだけ「過去」の自分を振り返らせるものを見ないよう心がけていました。ところがいつのまにかそんな感情も薄れ、少なくとも夢屋を始めたことを否定的にとらえなくなっていました。それはいつ頃、何がきかっけでそうなったか、考えてみました。すると、これまであったいくつかの大きな出来事の中でも最も危機的だった夢屋を引っ越さねばならなくなったときの周囲の方たちの存在が浮かび上がってきました。
探せど探せど引っ越し先が見つからず、もう辞めるしかないかと諦めかかっていたとき、ここでよかったら使ってみんかいとさり気なくご自宅の敷地の一部を提供して下さった竹原幸範さんのあの一言、「あのー、今度引っ越すことになりまして」と一軒一軒にご挨拶に行くと、「時間的に大丈夫なら、これまで通り持ってきてね」とパンを買い続けて下さったお客様たちの笑顔、蔵原にきて早々、俺にできることはこんくらいばってんと毎年お米を担いではポンと置いて行って下さる農家の方、引っ越し後も毎夏、人権教育の研修の講師としてメンバー全員を快く呼んで下さる学校教職員の皆さん、いつもどこかで見守って下さる地域や行政関係の方々、あるいはホームページやネットを通じての応援メッセージ、そんなすべてのお力の支えがあって、まだまだ未熟ではありますが、弱い自分も少しは成長できたのかな、とそう思います。20年目を節目にした今、心より感謝申し上げる次第です。本当にありがとうございました。
それでは4月から5月までの行事をご紹介させていただきます(予定も含む)

4/1 山内裕子さんが小国支援学校卒業後、メンバーの一員としてやってきました。さっそく市役所へ本人と挨拶に行ってきました。
4/17北海道から「野菜ty」にご宿泊(2名)
4/21 農園の整理やジャガイモ植えをしました。
5/1 サトイモ植えをしました。
5/3~4 長崎から「野菜ty」にご宿泊(3名)
5/15 阿蘇市人権・同和教育推進協議会総会に出席(竹原)。
5/18 北九州市の事業所を視察研修
 

♬『3人目の可愛い妹』♬
 ‡中島 地利世‡

「夢屋」が成人(20年)になる今年、おかげ様で、私は入所12年を迎える事ができました。
正確な日付は4月24日(入所日)から13年目に入ります。
そんな中、2010年に入所して来てくれた美早さんのあと、また1人「山内裕子」さんという後輩が、入所して来てくれました。 
これで、舞ちゃんと美早さんに続き、3人目の可愛い妹のような存在がふえました。
裕子さんとは、彼女が今年3月に卒業するまでの間「宮地小学校」での総合学習や、「小国支援学校」での職場体験などで、何度も交流があっていたのですでに顔馴染みで親しく、何も緊張する事なく、まるで、すでに今まで夢屋へ通っていたかのような雰囲気で始まりました。
最初の1週間は、メンバーには慣れていても、パン作りの作業はやっぱり難しい様でした。
そんな彼女の作業は粉量りやケースぬりから始まり、パン丸め、食パンやカナッペ作りで、宮本さんがときどき、「集中力をもって」とか「姿勢をしっかり」あるいは「体重を前の方へしっかりかけて」など、身振り手振りをいれながら注意しています。
自分の時を思い出せば、その一つ一つが全部12年前に私が注意されていた事、そのままでした。(苦笑)
そんな当たり前の事ができていなかった私は「まずは、時間がかかっても良いから、最後まで集中して丁寧にやるように」と言われて、時間に余裕がある時は、体が覚えるまで急がずにゆっくり作業させてもらい、徐々にスピードアップをさせていく、という覚え方で作らせてもらっていました。
そうして、1つずつ作れるメニューが増えていき、今ではパンこね機、発酵機、オーブンで焼き上げるなど、全てを任せてもらえるようにまでなれました。
今でもその教えはあまり変わってなく、裕子さんも同じように言われ教えていってもらっているようです。そうすると、2週間たった位のころから、食パンやカナッペの広げ方がとてもキレイになって、その2つのパンに関しては、何も言わずに任せる事ができるようになってきました。あとは、バターのせやメロンパン作りなど、出来ることからコツコツ丁寧に頑張ってくれています。
他は、裕子さんは、絵がとても上手で、よく図書館から色々な本を借りてきては書きうつしています。
まるでコピーしたよう(大袈裟?)な絵で感心させられます。
私は絵心が全くありませんが…(笑) それ以外の裕子さんをみていると、入所したての頃の自分に少し似ていて、良い意味で初心に帰れるみたいで刺激を与えてもらっています。
私も、まずは切りが良い15周年を目標に、「感謝の気持ち」を込めた*愛情パン*をこれからもお客さまにたくさんお届けできますように、一生懸命に頑張って作っていきたいと思います。
 

春を迎えて~少なくなったウグイスの声~ 
下村津代

7年ほど前から週に1度、ガイドヘルパーさんに移動支援をしてもらい、買い物をしていますが、ここ2、3年は西町のコスモスや蔵原のエビスパーナ、ホームワイドなどまで足を伸ばすこともあります。バスを使うときは運転手さんが対応をしっかりしてくれますし、その時間にバスがないときは歩いていきます。片道40分から1時間ほどかかりますが、散歩もかねていますので、私にもウルマにもいい運動です。
そんな中、今年、ちょっと変だなって思ったこと。それはウグイスの鳴き声をほとんど聞かないことです。私たち視覚障がい者にとって耳は目の役目をしてくれ、とても敏感です。その私の耳でさえウグイスの鳴き声を今年は2度くらいしか聞きませんでした。阿蘇山の噴火もそうですが、大雨など、ここ数年つづいている天候の異常など、なにか環境の変化に原因があるのでしょうか。
毎年、夏の蝉も減ってきたなあと、気になっていましたので、じわじわと生態系に異変が来ているのではと心配しています。人間も結局は同じ生き物ですし、他の生き物が生きにくい環境は人間にもよくないと思います。いろんな生き物が一緒に生きている地球です。大事にいたらなければいいなあと思っています。

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