「共」に「生」きる。 in 阿蘇

2013年『夢屋だより』年末号より

今年も、大変お世話になりました。年末のご挨拶をさせて頂きます。

作業所「夢屋」代表 宮本 誠一

さて、早いもので今年もあとわずかとなりましたが、皆様につきましては、お変わりありませんでしょうか。夢屋のメンバーは幸い大きな怪我や病気をすることもなく元気でしたが、家族に入院や亡くなられた方がいたり、また日頃よりご愛顧して頂いてきたお客様のご家族が亡くなられたりと、寂しくつらいこともあった一年でありました。そんな中、長くパンを買って頂いてきた方のご自宅へお悔やみに伺ったときのことです。亡くなられたご主人は、パンの配達のたびにメンバーたちに優しく声を掛けて下さり、最初の頃と比べしっかりした顔になって来たね、などと温かく見守って下さっていました。仏壇には夢屋の食パンが置いてあり、一緒に行ったスタッフ、メンバーの胸にはいっぺんに込み上げるものがあり言葉になりません。いつもパンが来るのが楽しみで独り占めして食べておられたとのこと。最後に奥様が「また、配達はお願いしますね」そう優しく言って下さり、涙が止まりません。

そのご家族だけではありません。たくさんのお客様からいつも温かい励ましや感謝のお言葉をいただき、毎日の活動は支えられています。本当に、これまで応援して下さった大事な方が、あるいはそのご家族が、お一人お一人と亡くなられると、そのたびに悲しみと寂しさで落ち込むことも多いのですが、逆にそんな私たちを力強く励まして下さるご家族、そして地域の皆様のお力と心の支えこそが夢屋の原動力と言っても過言ではないのです。この平成25年という年を夢屋は、皆様のそんなお力で乗り越えることができました。心より、本当に心より感謝申し上げる次第です。

では、12月から1月初めの行事(予定も含む)をご紹介させていただきます。

12/1 熊本県立聾学校寄宿舎職員の方が見学に来られる。

12/3 お薬師様の最後の落ち葉掃き。

12/4 阿蘇市人権フェスティバルでパンの販売。

12/27 パン作りの仕事納め。

12/23 クリスマス・ケーキづくり

12/28 夢屋、野菜tyの大掃除後、オルモ・コッピアで忘年会。

1/7  パンづくりの仕事始め。

来年は午年。夢屋には長老の竹原幸範さんを始め、中島地利世さん、井上拓郎さん、そして池邊美早さんと4人います。のんびりと歩いたり、たてがみをなびかせ疾駆したり、ひなたぼっこをしたり、馬にもいろいろあるでしょうが、それぞれに自分なりの充実した年でありたいものです。また余談ですが、私の友人で、阿蘇で恋人を見つけ結婚した乗馬のインストラクターが、コツコツと貯金し、いよいよ独立の第一歩として馬三頭を購入したという知らせを笑顔で持ってきてくれました。まさしく馬尽くしです。そんな夢屋から、皆様のさらなるご多幸とご健康をお祈りいたしまして、今年最後のおたよりのご挨拶とさせていただきたいと思います。そしてまた来年もどうかよろしくお願い申し上げます。

 

『本当~に、大変だった! 一年間』 (+o+)              ☆中島 地利世☆

来年は、いよいよ自分の干支の年! ちなみに【夢屋】は、私を含め午年の人が4人もいます。なかなか珍しい?です。今年も残りあと少しになり、「こんな事」や「あんな事」があったね~と振り返る時期に。私にとって【夢屋】で今年最大の出来事といえば、やっぱり「高倉深雪」さんの卒業です。10年も一緒に過ごした大切な仲間ですので…その後、本当に寂しい日々でしたが、新しい施設でもだいぶ慣れて来て楽しくすごしている事を宮本さんからも聞き、ホッとしています。これからの幸せを心から願っています。

明るい話題では、小嶋康揮くんが20歳のお誕生日を迎える事ができた事です。康揮くんと初めて出会ったのは,彼がまだ宮地小にいた時でずいぶん前から知っているので、今では可愛い弟のような存在です。そんなこうき君の貴重なお誕生日会に招いてもらえて、本当に嬉しくて心から楽しい時間を過ごす事が出来ました。

個人的には、前号でも書きましたが、とにかく病院関係とのご縁が多かった事です。母の付き添いがほとんどですが、自分まで腕を少し痛めて母と同じ医者に診てもらう事になるとは、思ってもみませんでした。(;一_一)

そこで病院内であった出来事ですが、母と待合室のイスで待っていた時リハビリステーションから、足が不自由な患者さんが看護士さんに支えられながら、一歩ずつ一生懸命に、歩いてこられました。その時、「たぶんここに座っていると邪魔だな…」と私が移動すると、その方はとても喜ばれました。また車椅子の人が看護師さんに押されて来て「トイレに行きたいんだけど」と言われましたが、看護師さんはその人が一人でできると思われたらしく、「どうぞ」と一言言われて、診察室の方へいなくなってしまいました。私が、押しましょうかと言って車椅子を押しトイレ前まで行くと、中まで付いて来て手伝ってほしいと言われ、介助をしてあげたこともあり、自分としては当たり前のことをしただけなのにとてもその方もお礼を言われました。そんなふうに障がい者や高齢者の方に「こうしたら助かるかな…」とか、一つ先の事を予想して色々と行動できるようになったのも、すべて【夢屋】でメンバーのお世話などのお手伝いをさせてもらっているおかげだと、本当に感謝しています。

ドジな自分が言えた立場ではありませんが(笑)、どこでどんなケガや事故が起こるか本当にわからないので、みなさんも、どうかお体には気をつけて良いお正月をお過ごし下さい。

来年はサラブレットのように優美で(←無理?)元気に駆け回れたら良いと思います。

今年も一年間、本当にお世話になりました。

 

夢にまで出てきたウルマ       下村津代

今年は病院に始まり、病院に終わったような一年でした。まず年が明け、たまに両手の掌が少し痛んだりしていたのですが、それが徐々にひどくなってきました。病院へ行っても、最初は原因がなかなかわからず、いろんな検査や診察の後、手根管症候群であることがわかりました。手根管(腱と神経が通っている手首内の管)の中を走る正中神経が何らかの原因で手根管内圧が上がったため圧迫され、引き起こされる疾患です。

私の場合、目が不自由なため生活の中で腕や手に依存することが多く、そのためかなり負荷をかけてきたことも考えられましたが、中年以降の女性に多いとのことでした。やがて痛みは痺れへと変わっていき、熊本市内の病院で外科手術をすることにしました。もちろん私は視覚障がい者ですから両手が使えなければ、抜糸されるまでは、食事を始め身の回りのことはまったくできなくなり、入院するしかありません。ウルマも福岡の盲導犬訓練センターで預かってもらうことにしました。

手術やその後の経過は順調に行ったのですが、ウルマと離れてみて初めてその存在の大きさに気付かされました。ただ単に、物理的な手助けになってくれてたのではなく、どれほど私にとって精神的な支えになってくれていたのかが改めてわかったのです。ときには夢の中で一緒に散歩をしているときもあり、ハッと気付いたときは病院のベッドにいて、目覚めてからしばらく、本当に寂しく心細い思いに浸ったこともあったほどでした。

結局、退院後もすぐにウルマと暮らすことはできませんので、丸一か月、離れていたことになります。現在もまだリハビリの途中ですが、ウルマといられるだけでもとても心が落ち着きますし、あの一番つらかった時期を思えば、とても幸せな気持ちでいます。

 

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