「共」に「生」きる。 in 阿蘇

2013年夢屋だより~春号~

いよいよ3月になりました。今年度もほんとうにありがとうございました。

  作業所「夢屋」 宮本 誠一

早いもので、今年度も残すところあと一月たらずとなりました。ご覧になった方も多いかと思いますが、1/20にNHKの『くまもと歌物語』という番組の公開収録に介護支援も兼ね参加する機会があり2/4日の放送も見させていただきました。何百年と受け継がれてきた歌を誇りにする阿蘇神社の氏子さん、「阿蘇の恋唄」が大好きな元バスガイドさん、壮大な自然を歌い上げる合唱団の子どもたちなど阿蘇の地域や人々がこれまでの積み上げてきた歴史の一齣を学ばせていただく中、やはり胸を打ったのは7.12豪雨災害で大きな被害をうけられた畜産業のご家族の姿でした。被災後お孫さんが誕生され、緑豊かな阿蘇の復活を願い「大地」と名付けられたことには本当に胸が熱くなりました。夢屋を開所し19年、こんな素晴らしい方々に囲まれながら営ませていただいていることに改めて感謝と勇気を頂戴した次第です。それでは、1月から3月までの行事(予定を含む)をご紹介いたします。

1/7 初顔合わせ。近所の方々へメンバーが年始の挨拶に行きました。

1/8 仕事始め。さっそく発酵器の調子が悪く、ヒューズを取り替え見事に復活しました。

1/20阿蘇市体育館で、NHKくまもとの風スペシャル「くまもと歌物語 阿蘇のすそ野に響く歌」の収録があり、副代表竹原ナホ子の葉書が採用され、竹原幸範さんとともに参加しました。

1/31 代表宮本の小説『有明』が熊日文学賞最終候補作に選ばれました(2回目)。

2/4 NHK収録番組『くまもと歌物語・阿蘇の裾野に響く歌』が放送されました。

2/6竹原幸範氏、95歳の誕生日を迎えメンバー、スタッフがお祝いのプレゼントや祝福の言葉を贈りました。また、代表宮本『お月さまとゆず』の出版記事が熊日新聞に掲載されました。

2/7熊本大学大学院教育学研究科修士課程の学生9名と教授1名が学習を兼ねた交流後、各自の研究テーマや夢屋のメンバーへの日頃の活動の様子などについての質疑応答などもあり、豊かな時間を過ごすことができました。

2/17 第8回熊本パイロットクラブ・チャリティーダンスパーティーからの寄付を戴きました。

2/23連合熊本の阿蘇大会でパン180個の注文があり、皆で作り、無事届けました。

2/25 山田小学校から児童14名、職員2名が体験学習でパンづくりなどを通し交流しました。

3/5「夢屋だより」春号を発行し、今年度は5、9、12、3月の計4回となりました。

3/3 大ベテラン佐藤清子さんのお誕生日を勤続18年と合わせお祝いさせて頂きました。

3/21 山田小から卒業式の祝いお菓子57個の注文をお受けしました。

3/31 中島地利世さん、高倉深雪さんが10年目を無事終了し、来年度より11年目へ入ります。

さて、4月から夢屋は19年目、いよいよ大台の20年目(鬼が笑うかもしれませんが)も見えて来ました。33歳で教師を辞め開所し来年は53歳ですから、月日の早さに驚きを隠せません。先日、2/7に来られた熊本大学の学生さんから自分も将来、「夢屋」のような作業所を作りたいから色々ご教授願いたいとのメールを頂戴しました。開所当時は想像だにしなかった形で確実に「夢屋」の実践の裾野は広がり次の世代が誕生しつつあることを実感した次第です。これも、これまで支えて頂いた地域の皆様と行政各位のお力と心より感謝申し上げる次第です。

○『~大切な出会い~』                ☆中島 地利世☆

新年が明けて、いつの間にか2月が過ぎていきますが、そんな中「いよいよ今年の4月で勤続㊗10年へ向けてのカウントが始まった‼」と、一人で勝手にワクワクしています。月に竹原幸範さんのお誕生日をお祝いした時に、「人の縁とは不思議なもんで…【夢屋】があったおかげで、ようあんたと出会うたな~」と言って下さいました。

これは、いつも竹原お爺ちゃんがよく言ってくれる事なのですが、その度に私も、まず【夢屋】と出会えた事が、本当に貴重な事だなとしみじみ考えさせられます。

おかげでこれまでの間にたくさんの関係者と出会い、中には、特別に親しく話して頂いて、いつも体の事や顔色まで気にかけて下さる方、お菓子や誕生日プレゼントまで下さる方、本当に、たくさんの方の癒しで支えて頂いていたから、今まで頑張ってこれたのだなと、改めて、感謝と幸せの気持ちをいっぱい感じています。

 

あとこれは、つい最近の出来事なのですが、すぐ下の妹から再び繋がった出会いです。まだ、私が【夢屋】に入所して間もない頃、みんなで古城小学校に総合学習に行きました。そこで、グループごとに分かれ生徒さんと一緒にパンづくりをしたのですが、その時の私の班だった女の子が、今、妹と同じ職場で働いているという事がわかりました。

色々な話をしていると、ふとした事から【夢屋】の話になったらしくて、正直、私はその子に関する記憶が曖昧だったのですが、10年近く経つのに私の事を覚えてくれていました。それどころか「また会ってみたい」と言ってくれて、妹と3人で会って、小学生の時の話から最近の事までたくさんお喋りしている間に、だんだん思い出してきました。その子は少し内気な子で、当時イジメにあっていたらしくて、その時の苦しかった話などした後、「でも、学校で顔を真っ赤にして、一生懸命、自分の事を話してくれた地利世さんを見て、私もその後、少し勇気をもつことができるようになりました」と言ってくれて、「私が今まで、自分なりに必死に(失敗も多々…)頑張ってきた事が、ちゃんと根付いて、少しでも、その子の「キッカケ」になれていた事が、本当に嬉しかったです。

最後に、一つ面白い?お話を…↑先に書いた知り合った方から、今年の誕生日に貰ったお手紙の内容で「自分が相手の事を好きと思えばその相手も、きらいだ~という人は、いません」「出会った人、みんな友達にしちゃいなさいよ」と書いて下さった励ましの言葉に感動して、勝手ながら私も、これまで知り合って来た方、これから出会うかもしれない方、全ての人をお友達だと思わせて頂きます。どうか、みなさん嫌がらないで下さい。(笑)

そうして、第二の地元で少~しずつ「阿蘇人」になっていければ良いと思っています。

 

○2月25日(月)、山田小6年生となかよし学級のみんなが来てくれました!

【夢屋での活動の感想のいくつかを抜粋してご紹介します】

・ぼくは夢屋さんの見学に行って、障がい者と自分とのちがいはないと思いました。なぜかというと、障がい者は、ぼくたちと同じように笑ったり、怒ったりするけど、それをうまく表せないだけで、ぼくたちと同じように心の中では思っているからです。たとえば、口や耳、目も少し使いにくいだけで、手助けがあればちゃんとできることもあると思いました。障がい者は、苦手なだけで、ぼくたちと同じだと思いました。だから、障がい者だからといって相手にしないのは、差別だと思います。その人の障がいを知って、その人がうれしくなるような接し方をしていきたいです。

・ちとせさんの話の中で、「夢屋に入って一番うれしかったことは、何でもやらせてもらえたこと」とおっしゃっていました。それほど夢屋に入るまでは、つらかったんだなぁと思いました。今までぼくは、障がい者と聞いただけで他の人とちがうと決めつけていたけど、今回の学習を通して、障がい者は他の人と思っていることは同じで、楽しい時は笑っているということがわかりました。ぼくはある意味、障がい者を差別していたと思います。

・ぼくは夢屋さんに行って、最初はこわかったです。なぜかというと、障がい者はストレスがたまったりしたら、たたいたりけったりするという話を聞いたことがあったからです。ぼくたちは授業で個性について学習しました。一人ひとりのちがいや、苦手なこと、得意なこと、いいところなどを考えました。そしてぼくのそばにも障がいのある子がいます。よく考えてみると、なぜぼくはその子はこわくなくて自分から寄りそっていくのかなと思いました。ぼくの考えでは、その子に慣れているからじゃないか、同じ登校班だからじゃないかと思いました。その子のことを知っているから自分から話せるんだと思います。だから、ぼくもいろいろな障がいを持っている人を知れば、こわくなくなって接することができるようになると思いました。

 

・私の知らない障がいを持った方に会えて、とても勉強になりました。今までの苦労やつらさが伝わってきました。この世の中に障がい者をいじめる人がいるのはすごく残念です。私は、おじいちゃんが障がいを持っています。体の半分が動きません。車いすで生活しています。まわりの人は、いやな目で見たり、悪口を言ったりしないで、とても親切に接してくれます。なので、おじいちゃんも笑顔でくらしています。親切な人がまわりにいることで、障がい者は安心してくらせると思います。だから、そういう安心できる場所、夢屋のようなところがたくさんできるといいと思い   (皆さんの感想、どれも素晴らしかったです。ありがとうございました)

○ちょっと耳より、ご紹介コーナー(25回) 

今年度最後にご登場願ったのは、熊本日日新聞社阿蘇総局長 今村浩さんです。

A:新聞記者になられた動機と、熊本日日新聞社を選ばれた理由は何ですか。

Q:子どものころから作文が苦手で新聞記者になろうとはこれっぽっちも思っていませんでした。ただ、人とかかわることは好きで、東京の大学生だったとき実家から送ってきた新聞で、たまたま求人広告を見て郷里で取材を通じ不特定多数の人とかかわれる仕事に興味がわき、応募してみました。

A:お仕事で苦労されている点、またやりがいのある点はどんなことですか。

Q:事実関係の確認には一番神経を使います。間違えると新聞の信頼性を失いかねますので取材先に問い合わせたり、取材メモや資料を再度見たりして何度も行います。やりがいは、これほど素晴らしい資源に恵まれた世界に通用する阿蘇を舞台に多くの方たちに情報発信できることです。

A:阿蘇総局長3年目を迎えられ、阿蘇市に対する感想、またこれからこんな市になってほしいという思いがありましたらお聞かせください。

Q:自然や食材など他地域にない恵まれた素材にあふれていることに地元の人たちは意外に慣れっこになっているのかもしれませんね。一人一人がもっと地域に誇りをもって、自然が与えてくれる癒しの力を生かしながら、さらに人にやさしい市になってほしいです。

A:最後に「夢屋」に一言、お願いします。

Q:阿蘇五岳に連なる往生岳を望む人々の拠り所だと思います。これからも「陽だまり」のような存在であっていただきたいです。 

 

○春を待つ       佐藤清子 

今まで経験したこともない大雨

千年に一度の大雨

屋根の雨音は大変な音だと思った。

朝、起きて窓を開けたら、阿蘇の外輪山は、

あっちもこっちもてっぺんからはげ落ちている

車の走る音がはげしく聞こえる

のみこまれて亡くなった人たち

家を直撃された人々

おにぎりつくり、トン汁つくりに何回走ったことか。

災害を受けた人々の「癒し」はいつくるのか。

春が

春は、必ずやってくる

 

 

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