「共」に「生」きる。 in 阿蘇

夫婦二人三脚で、これからも「夢屋」とかかわっていきたいです。 佐藤清子

宮本さん、おめでとう。
40代、50代、60代と一番充実した年月をこの館で活動していくのですね。私たちもメンバーとしてうれしくなります。私なんか、もうばばあが近いので、いくつまで通えるかしら……。
想像すると面白くなります。館の中に入ると木の匂いがプーンとします。
よくある新建材ではない、いい匂いです。パンつくりの工程に従って機材が並べてあり、さぞつくりやすかろうと思います。私もつくりたい。うずうずしていますが、それが不可能で仕方ありません。
話はかわりますが、竹原幸範先生には3年間、一の宮中学校でご指導をうけました。先生の指導?で、忘れられないことがあります。ちょうど同和教育の始まったころ、先生は「同和問題の見方、考え方」という本を皆にわたして、これで共通理解をしようという計画でした。私などは、あの本で同和教育の原点を学びました。
ナホ子さんは、今年退職でしたが、当時、私が給料をもらいに行ったりして職員室から眺めていると、4、5人の男の子がはだしで逃げげかくれようとしています。
そのあとを、ズボンをまくりあげ、裸足でそろりそろりと追いかけているのが彼女でした。
研修でも、遊びながら学ぶということを聞いたりしたことがありましたが、新採の彼女はすでにやっていたのです。そんなことでナホ子さんも知っていました。そういった縁のある方たちの敷地の一角をいったりきたりする私ですので、一度挨拶をしときたいと思いましたが、いつも、お昼寝の時間と重なってしまい、なかなかはたされませんでした。
ところがようやく、3時過ぎにお会いすることができました。
一の宮中の校門を入ってすぐの和願園の庭づくりに一生懸命だった話などなつかしい記憶がよみがえりました。そして自分史『前向きに阿蘇住まい』をいただいて帰ったところ、それを夫が先に読んでしまい、「先生に会おうかな」と言うではありませんか。
さっそく、次の日に会うことができました。夫は、今、趣味で庭の花を写真に撮り、パソコンで処理してハガキなどに印刷しては楽しんでいますが、それを、ナホ子さんに2、3枚持って行きました。夫のシャイ(内気)な性格にはこれまでいろいろと苦労してきた私ですが、先生と会うことができたことは、とてもうれしい出来事でした。宮本さん、ご安心を!!
2人できることはパンの配達、そして昼食の一品をみんなにできるだけつくっていくことです。
これからも、私たちも2人でがんばりますのでどうかよろしくお願いします。

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