「共」に「生」きる。 in 阿蘇

2008・1/16に宮地小学校で行った、チーさんの授業(講演)への子どもたちの感想をまとめてみました。~4年1組編~

宮地小学校4年生のお礼(チーさんへ)
《1組》

チーさん、この間はお話しを聞かせてもらってありがとうございました。話しを聞いたときチーさんの初めてしったことがいっぱいありました。しかも、私は、チーさんたちと会っていっぱいしったことがあります。それは、しょうがい者でも、みんなと同じところがあるとゆうことです。しょうがい者でもふつうの人とかわらないくらいで元気で明るくてすごいと思います。でもふつうの人より明るいよーなきがしました。
わたしも夢屋さんの人たちみたいなしっかりしたゆめをもとーかなとおもいました。


ぼくは、あんまりいじめられたことはないけど、チーさんみたいにいじめられたらかなしいと思った。しょうがいでいじめられたらぼくも、ぜったい学校にいかないと思った。チーさんにあわなかったらしょうがいの人をいじめると思いました。耳がきこえないで目がふつうの人よりも2倍くらいだってはじめてしった。いいと思いました。


チーさんはすごいな、りゆうはしょうがいにかかっているけどみんなのやくにたっている。だからほんとにすごいんだな。


ゆめやのみなさんといっしょにいてよかったなぁと思ってるのかなぁと思いました。
手話で歌をうたってチーさんが手紙でとてもよろこんでくれているのがよく分かってとてもよかったと思いました。チーさんの役にたってうれしかったです。ちーさん、この前いろいろきつかったことや、うれしかったことをくわしく話してくれて本当にありがとうございました。とてもくわしく、ゆっくり、ていねいに話されていたのでとてもよくチーさんのことがわかりました。本当にありがとうございました。


チーさんの話をきいて思ったのは映画館でもとくとう席にすわれてラッキーと思ったりかみなりの音もきかなくてビクビクしなくていいなどなんでもプラスむきにかんがえれるのがすごいと思います。私は障害を前はかわいそうだと思っていたけれど「みんなちがってみんないい」のだからかわいそうと思うのがはずかしく思えてきた。行事や交流をして思った事は、手話をやった時、障害をもつ人達のちょっとだけ手伝いができたような気がした。


わたしは、最初チーさんが、いじめられているとしって、かわいそうだなーと思ったけど、今は、たのしそうに、えがおでパンをつくっているなーと思った。チーさんは、ゆめやにいったから今のチーさんがいるし、チーさんがいなかったらわたしたちともあえなかっただろうなーと思った。交流して、さいしょは、あまりつらくないのかなーと思ったけど、ほんとうは、つらいんだなーと思った。じっさいわたしのおじいちゃんは、しょうがいで、かた手やかたあしがうごかなくて、わたしは、しょうがいってつらいんだなーとあらためて思った。でもいつもたのしそうにしていた。


チーさんはよく小さいころからのいじめやさべつなどにたえられたなんてすごい。と思った。さいしょに見たときは、この人たちみんないじめなどからたえてきたんだなーと思った。夢屋さんのみなさんといっしょに七夕かざりをしなかったらまだ知らないことがたくさんあったかもしれません。最初、障害をもっている人をバカにしていたけど夢屋のみなさんもバカにしていたかもしれません。夢屋さんの話をきいてバカにしてはいけないと思った。


最初お話を聞いていじめにたえたってすごいなと思いました。障害は人の体を不自由にする物。でもチーさんは、いじめられても前向きで、いつも笑顔いっぱいのチーさんをおてほんにしていきたいです。いじめにあってつらい事をおしえてくれてありがとうございました。


私は、最初「なんで、チーさんだけいじめられたのかなぁ。他にも、障害をもっている人はたくさんいるのに。」と思っていました。でもチーさんの話を聞いて、「みんな、それぞれ、ちがうのだから、最初の考えは、ただ、自分の思いこみだったのかも。」と
思いました。みんなせいかくや、顔とか、口ぐせとか、せいちょうの早さとか、全部ちがう。一人だけ「かわいそう」だとか、「つらかっただろうに。」と思う自分がはずかしくなってきました。「みんな、同じではないから、一歩ずつ、前へ進んでいけばいい。」と思いました。夢屋さんのパン毎週買ってます!とてもおいしいです!


私たちと夢屋さんとのさいしょの行事は花うえからでした。たいへんだったけど夢屋のみなさんのためにがんばりました。七夕かざり作りは、夢屋のみなさんが大雨でびしょぬれになってまできてくれたのでとてもかんどうしました。障害とは小さいころからびょうきをしょっていて大人になったいまでもびょうきと戦っている人や、いじめをうけてけがをしてそれからしょうがいをもちだしたという人もいます。わたしはなぜ『障害』というびょうきが出てくるのだろうかと思ったこともあります。わたしはときどきびょうきなんてこのよにない方がいいと思ったこともあります。


この間は昔のつらかったかもしれない話しをしてくださいまして、ありがとうございました。おかげでべんきょうになりました。チーさんの話しを聞いていたら家にとじこもるほどのつらい思いをしたとわかりました。ぼくは、かなしいことばかりなのかなぁと思ったけどみんなはカミナリの音にビックリしていたけどチーさんは聞こえないからいいと言うとこもあった。チーさんは耳が不自由でなかったら夢屋さんのみんなに会えなかったからいいと思った事でしょう。これからもがんばってください。


私は、最初かわいそうだなと思っていました。でもチーさんのお話しをきいた時「ラッキーなこともある」とチーさんが言った時、私はいやなことばかりじゃないんだなぁと思いました。「ラッキー」と思うことがすごいなぁと思いました。チーさんは、人とちがうところがあるかもしれない、でも思いはいっしょだと思う。あと、チーさんこの前お話しをしてくれたのでチーさんのことがよくわかりました。ありがとうございました。


チーさん、たくさんつらかったことや、うれしかったことを話してくれてありがとうございました。私は最初はじめてあったときしょうがいをもっているのになぜあんなに明るいのかなぁと不思議に思いました。でも、チーさんの話しを聞いて、前のチーさんとかわれたからかわいそうじゃないのか!だから、あんなに明るかったんだと思いました。夢屋のみんなと花植えなどをして、今は私の“大切”な友達の一人になったと思います。


チーさんは、耳がきこえにくいからかわいそう。いじめるのは、ひどいよ。体育かんにいくときは、みんないっしょにいけばよかったのに。夢屋さんでチーさんががんばっているのがすごいとおもいました。ぼくも耳がきこえなくて入院しました。みなさん耳を大切にしてください。


他の人にはチーさんの気持ちはわからないと思います。だってチーさんはみみがわるいだけなのに、他の人はムシとかおもったりしていて、ぼくは、こうおもう。ムシとかおもうなら、近くにいってきけばいいとおもう。


この前は、昔の事はなしてくれてありがとうございました。わたしは、チーさんのはなしをきいて、「昔は、色々とたいへんだったんだ」とおもいました。でも今は、いい事ばかりあるみたいですね。たとえば手がきようとか、あと、服がかわいいとか、ほかにも色々いい事がいっぱいあっていいですね。それにヨシさんも手がきようですね。
そういえば、チーさんは耳がきこえないから、かみなりやへんな音がきこえないからいいなぁとおもいました。


チーさん、この間はきてくれてありがとうございます。私は、どうして、チーさんは、いじめられて、どうして、耳がきこえなくなったのかなと思いましたがチーさんが言ってくれたのでなぞがとけました。チーさんは、かなしい思い出を思い出しながら、話していたかもしれないから、とても、かなしい気持ちになっていたと思います。七夕かざりをつくっていた時、チーさんは楽しかったから、わらっていたんですよね。私も「ありがとう」の言葉が大好きです。


わたしは、チーさんは、耳がわるいけど話す時に明るくて、人の気持ちがわかるんだなと思いました。さいしょは、チーさんがゆめ屋さんに入っていないころ家にとじこもっていてゆめ屋さんがさそってくれてゆめ屋さんにいきはじめたという話を聞いてわたしは、ゆめ屋さんがさそってくれたからチーさんは今の方が楽しいんだなと思いました。


いじめられてつらかったと思う。チーさんはいじめられて家にとじこもるきもちはわたしでも、わかるし、わたしもいじめられたら家にとじこもると思う。発表会のときにわたしたちは、手話で歌をうたって、チーさんにわかってもらえたかしんぱいしていたけれどわかってくれてよかった。七夕かざりのときもマイさんやチーさん、ミユさんたちが楽しそうにねがいごとを書いていてほんとうによかった。


チーさんは、ごかいされたり、自分の思いが伝わらない時があるから、耳が聞こえなかったり、1つ障害があるだけで、本当に苦しい思いをするんだなぁと思いました。前は障害のある人はすごく悲しい気持ちなんだろなぁと思っていたけど交流して、障害をもってる人でもふつうの人みたいに、すごくあかるくて、ビックリした時がありました。障害をもった人は、私たちみたいに自由になれない、障害もあるのでかわいそうだなぁと思いました。チーさんのすごい所は、自分も障害があるのに他の人のめんどうまでみられる所だと私は思いました。


チーさんは、昔いじめにあったと聞いてまえはかわいそうだなぁと思っていたけど、今は夢屋のみなさんもいるから今はかわいそうには思わない。チーさんは耳が聞こえないから人とあんまりしゃべったりすることができないんじゃないかと思ったけどチーさんは人の口のうごきを目で見て話ができるからすごいなーと思いました。
また、会ったらなるべく多く話がしたいなーと思いました。


私は、最初チーさんと会ったことがない時に元気じゃないのかなぁと思ってたけど、チーさんと会ったら以外と明るかったので、私は、すごいなぁと思いました。なにがあっても、チーさんみたいに明るくなりたいなぁと思いました。それと、四年生の学習発表会をいそがしいのにわざわざきてくれたのでうれしかったです。


ぼくはチーさんがいじめられたのはかわいそうだと思ったけどいい事もあるんだなと思いました。七夕かざりをいっしょに作った時にヨシさんがこより作りがとくいだということを初めて知りました。ぼくはすごいなぁと思いました。耳が聞こえなかった
らえいが館でせきをゆずってもらったりかみなりがなった時に心ぞうにふたんがかからなくていいなと思いました。


わたしは、チーさんの話しを聞いて、1つごかい(?)がとけました。わたしはしょうがいしゃはとくべつあつかいみたいなかんじだと思っていたけど、そうでもない人もいるということがわかった。すこし、しつれいだと思いました。苦しいこともいろいろある中いばしょをみつけたときの気持ちはすごくうれしくて、仲間もできて、そのきもちは話しをきいてつたわってきました。


わたしは、チーさんのお話しを聞いて、しょうがいがあるだけで、元気な人とちょっとちがうけれど、そのちょっとのさではんだんしたり、いじめたりするのは、よくないと思いました。わたしは、前のじゅうたくで、しょうがいのある人がいましたから、わたしは、しょう害をもっている人は「元気じゃないんだー」と思っていました。けれど、夢屋さんの話を聞いて、しょう害をもっていても、いい人だと思いました。わたしは、前のじゅうたくにいた人に、「1人じゃないよ、みんな、なかまだぁ」と伝えたいです。


私は、自分がいじめられたらやめてとか言うかもしれないけど、チーさんは、こわくてそれをいえなかったんだなと思っていました。でも自分がいじめられてるときは、いじめられてる人はいやなんだなと思いました。耳がわるい人には、手話とかは、だいじなんだなーと思いました。手話とかは、だいじにしないといけないんだなと思いました。私は、手話で宮地っ子発表会のときに「歌ではあんまりわからなかったけど手話でよくわかったといってくれたからよかった。


私は、障害ていうのは、耳が聞こえないとか、目がみえないことかなと思った。チーさんは、よくいじめられてたえれたと思いました。わたしは、いつもたえないから、たえないといけないんだなと思いました。わたしは、ゆめやさんとこうりゅうしてなかったら、バカにしていたかもしれない。だから障害のことやゆめやさんのことがよくわかった。ミユさんはきんちょうしてなみだをながしながらいってくれたからよくわかった。あと障害ていうのがもうちょっとわかったらいいなと思いました。


おいそがしい時に、来てくれてありがとうございました。チーさんのお話しをきいて、チーさんのことがいっぱいしれました。チーさんは明るいから前にいじめをうけていたなんて思いもしませんでした。でも今は、夢屋さんのみなさんとすごく楽しそうにくらしていたのでチーさんはしあわせそうだなと思いました。しょう害をもつ人は、みんなきついことばかりだと思いました。でも楽しいこともいっぱいあるんだなーとしりました。


私は、宮地小に来て2年目になります。去年は、時々夢屋さんのパンを買うだけでしたが、今年はいろいろと交流させてもらって、ありがとうございました。夢屋のみなさんは、初対面の私や子どもたちにも、自分のことを話してくださるのに、私は目の前の子どもたちに、自分のことをどれだけ語っているだろうかと問いかけることもありました。チーさんのお話を聞いてますますチーさんのことを知り、チーさんの魅力を感じることができました。知ること、知り合うことは、大事なことだと思いました。
前向きに、たくましく生きていくことのすばらしさを教えてもらいました。私は私に自信がなく弱い人間です。子どもたちに強い人間になってほしいと願うのならば、私自身ももっと強い人間にならなければいけないと思います。4年生の子どもが「人に優しく自分にきびしくありたい」という言葉をだした時に正直すごいなあと思いました。
この一年間4年生と学習をすすめてきて、又、夢屋のみなさんとお会いして、これからどう生きるか、どんな自分でありたいかということを、子どもたちと考えることができました。自分捜しをしていきます。

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