《私のこと》 ~佐藤清子~
11月の中旬だったと思いますが、宮地小学校の庭に標語を書いた白柱が何本かたてられました。その中のひとつ「早くみつけて、相手のいたみ」この標語が私の胸深く落ちた。そうなんだ、これなんだとウォーキングしながら考え込んだ。考え込んだ下向きの歩きでは、歩かないがいい。
ちょうど阿蘇高校の近くで、三人の男の子にあった「おばちゃん、おばちゃんに聞いていいね」「いいよ、何でも」「目の所どうしたのね」「これは私がおかあさんのお腹にいる時くっついたの…赤ちゃんの頃は、はしでちょっとついたようなものだったのが私が成長するのと合わせて、この母斑も大きくなったの」三人は「ふ~ん」といって「ずっと前から聞きたかった」「目はみえるのね?」「痛くないのね?」といった。
「うん、痛くないよ、普通に見えるよ」「ふ~ん、痛くなくてよく見えて良かったね」といい三人はスキップして帰りました。
人権啓発の学習の結果がでてきたのだろうか。
話は変わりますが、8月を中心に市民の健康診断がありました。
以前は、町の保健の人を中心に汗だくでされていましたが、今は一つの集団でプロ化したようで、すいすい進みます。
身長・体重・尿検査・血圧・心電図・エコー、そして先生の診断されるところに行く。
お医者さんは「心電図はいいよ」そして、私の方をみられた「ああ母斑だなぁ…これはこれで、悲しい思いしたろうね」「はい、何回も」そして、この母斑、私の背中に移動してくれないかとも思いました。何回も思いました。
でも、実は、私はけっこう平気でした。かがみを見るか、写真をみるかしなければ見えないし、でも母はきつかったと思います。私が居れば見えるし、一番の難所にくっついているから。
こんな私でも、24才~25才の頃はいくつも縁談がありました。「あぁ…これが潮時だ」今、結婚の相手を決める時だと思いました。早期にきまりました。
私のこの母斑を「何でもない」、「問題にならない」といった彼と結婚しました。
私は、ありがたいと思いました。
いつもいい顔しとこう、ニッコリ笑っていようと決心しました。決心して、何日目でしょうか?ニッコリどころか鬼の顔になりました。何とかわいげのない私なのでしょう。でも彼は一度も母斑のことは口にしません。私は、この母斑のあることで人のいたみをとても早くきづきます。
こんなお医者さんに会うのは初めてでした。先生の部屋から出て私はボロボロ涙をだしました。
やさしく言葉かけてもらうと弱いです。
このあと、アンモグラフィー(乳ガンの検査)子宮ガンの検査で終わりました。
胃と腸については、毎年9月頃に専門医のところでおねがいします。
ただひとつ、ほねの量の検査がなくて残念でした。
9月の中旬に結果がわかりました。コレステロールが高いけど〇〇が多いので良いとのこと。
「毎日、元気であることが仕事」と思っています。
どうして私、片づけられないの?―毎日が気
私は23年、ず~っと、自分と周りの人との「原因のよく分からない違和感」に悩み続けてきました。行動が遅く時間の感覚が鈍い、人の表情や空気が読めてないのは何となくわかるけど、でもどうしたらよいか分からない。方向音痴で、普通の人があきれるほどの時間を掛けないと道を覚えられない。。。一度に色んな事を思
コメント by あいねのブログ — 2008年2月7日 @ 6:31 PM