「共」に「生」きる。 in 阿蘇

2008・1月16日の宮地小学校4年1組と2組での、チーさんの講話の内容です。

「不便な事は、かわいそうではない!」
         ~前向きに頑張っている姿~       チー 
今日は、私は耳に障害がある事で、何かと不便だけど、それは「かわいそうな事」ではなくて、「ありがたい事」もあるというお話をしに来ました。
まずは、簡単に自己紹介《プロフィール》(出身地を覚えているか聞く)
私は、長崎県の「対馬」という所で生まれて23歳の秋に阿蘇に来ました。
耳が聞こえない事がわかったのは3歳の時で、小学校に上がるまで
「これが自分だ」と「人とちょっと違う」という実感はなくて、特に何事もなく暮らして、入学してから何かと不便だと思う事が出てきました。
私達、聴覚障害を持った人が会話する時、必ずする事は相手の口の動きをじっと見ます。
たとえば、私が小学校にあがったときの話です。
この行動をした時、
「何で睨むのか」
とか、そうまでして口を見て、わからなかった時、
「話を聞かんでバカにしとる」
とよくイジメにあい、移動教室で別の部屋に行く時にも、先生が言った場所が聞こえなくて、わからないままで、トイレに行って帰って来たら
みんな先に行ってしまって「何で私にも、わかるように教えてくれないんだろう」と先生やクラスメートに対して腹立つ気持ちのまま一人で学校中ウロウロしていました。
音楽の時間にもこんなことがありました。音感の練習や縦笛の練習では必ず人とずれて、「わざとしてない?」と先生に怒られてばかりで、通知表の音楽はずっと1が続いたので悔しかったです。
《コソコソ話が気にならなくなった事》
人が陰に集まって何か話しているのを見かけると、「私の事かな?」とすぐ気になってしょうがなかったけど、夢屋に来始めてから、少しずつかわっていきました。
耳が聞こえない事で気付く「良い事」と「助かる事」があることがわかってきたのです。
例えば、映画館で優先席に特別扱いされる事に、ここでも「あなた耳が聞こえないの…かわいそうね」とよく言われましたが「全然、おかげでこんな良い席に座れました」
カミナリや突然の大きな音で、心臓に負担がかかる事もない、視力の力が2倍になった気がします。
耳で聞くより先に口を見つめたり、足やお腹、体で感じながら聞くという感覚を覚えてきました。そして、何より、もし耳が聞こえていたら「夢屋」とそこに集う仲間たちに出会う事はなかったと思うので。
夢屋のメンバーといっしょに、今日みたいに人前で自分の体験を話すことも増え、人に何て言われてもあまり気にしなくなりました。ミヤさんの、何事に対してもプラス思考(ちょっといいかげんな)性格がうつったからだと思います。

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