2011年も支えていただき、大変ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。 作業所「夢屋」代表 宮本誠一
今年もいよいよ最後の「夢屋だより」となりました。ニュージーランドに引き続き3.11という未曽有の大震災から始まり、今も被災地の方々は厳しい環境にありますが、まずはこの冬を無事に過ごされますことを心よりお祈りする次第です。夢屋は、小嶋康揮さんの扁桃腺手術の入院もありましたが術後の調子も良く、一安心。また中通フェスティバルでの中島地利世さんと夢屋の出会いを題材にした演劇発表など、より密度の濃い交流が出来たと、製作に当たって頂いた児童と職員の皆さんへの感謝と共に喜んでいるところです。それでは10月半ばから12月までの行事をご報告いたします。
10/30 宮本が応募作『蓬莱』で九州芸術祭文学賞熊本地区優秀賞に選ばれる。
11/1~8 小嶋康揮さん、扁桃腺切除のため入院。9日から元気に夢屋へ。
11/6 中通フェスティバルで、『阿蘇に来てよかった~一歩ふみ出す勇気』観劇。
11/14~16 一の宮中学校から職場体験(2名)
11/17.18読売新聞記者が障がい者の就労に関する記事執筆のため取材。
11/20 オーガニックの祭典~熊本ゆうきフェスタ(農業公園)にメンバーと共に出かける。
11/29 康揮さんの元中学校担任が訪問。懐かしい話に花が咲く。
12/2 阿蘇市人権フェスタにパン販売のため出店。皆の力で完売。
12/22 パンづくりの仕事納め。
12/23 ご注文を受けたクリスマスケーキづくり。
12/26 夢屋と野菜ty(のなてぃー)の大掃除と忘年会。
多くの犠牲者を前に喪に服する年となりましたが、それだけに一日一日の有りがたさを実感し初心に帰り活動できたような気がします。改めてこの阿蘇の地で素晴らしい活動の場を与えて頂いていることに深く感謝する次第です。
さて、いよいよ来年は夢屋の設立18年目であり、最も長い佐藤清子さんが17年、中島地利世さん、高倉深雪さんは10年目を迎えることになります。コツコツと積み上げてきた共に活動してきた日々がこのような長い年月になることは、同じ地域に生活してきた証ですし、これまでパンを購入することで支えて頂いたお客様、そして地域の方たち、行政関係者の皆様のご理解とお力の賜物と心よりお礼申し上げます。
世の中は、エネルギー問題や経済面で大きな転換点に差し掛かっていますが、どんなときも基本は「人」でしょうし、それぞれが自分自身の生活を見つめつつ、これからも原点を大事にし、日々の活動を通しての肌と肌の触れ合い、言葉の掛け合いの中からメンバーやスタッフ、そして地域の皆様との「信頼」や「絆」をつくり出していければと願っているところです。皆様の新年のご多幸を心より祈念し、今年最後のご挨拶に変えさせて頂きたいと思います。
≪今年一番の大きな出来事≫*中島地利世*
今年の秋、10月3日に中通小学校の「人権学習」で私へ講話の依頼があり、小学校時代から【夢屋】に入所するまでの事をお話してきました。私のこれまでの生い立ちを真剣に聞いて頂き、終了後に質問も沢山して下さいました。
今まで、宮地小学校と内牧小学校でも講話の授業はありましたが、どちらも質問内容が聞こえずらくて困った時などは、いつも宮本さんに頼りっぱなしでした。今回も、宮本さんは一緒に来てくれるけど「一切、口は出さずにどこまで一人でやれるか…」という事で、やっぱり最初はちょっと不安もありました。
当日、中通小学校に到着するといきなり校長室にお招き頂いて、緊張でガチガチになっている私に、校長先生がとても優しく話しかけて下さって、すこしずつ気持ちを落ち着けていく事ができました。授業が始まると最後までずっと、担当の衛藤先生がすぐ隣に座って、通訳士のような役割で話しやすい雰囲気にして下さったので、本当に有難かったです。結局、今回も自分一人の力では進行できず衛藤先生に助けられっぱなしでしたが、いつかは、担当の人にも頼らず、一人で流れを作っていける力をつけていきたいと思いました。
その授業の内容を、11月6日に中通小学校で行われた《中通フェスティバル》の人権劇で使って頂き【夢屋】の皆で見に行って来ました。ほとんど私が話した通りに演じて下さって、特にお祖母ちゃんと一緒に過ごした時の事がとても上手で、その頃の様子を懐かしく思い出しながら見ていたら泣きそうになったので、ときどき周囲のお客さんの顔も見てみると、たくさんの方が真剣に見て下さっていたので、本当に嬉しくて幸せな気持ちになりました。
劇が終わったあとも、児童の皆さんが疲れた顔一つされずに集まって下さって、わざわざ私達が見に来た事へのお礼を言ってくださいました。私こそ感謝の気持ちでいっぱいなのに上手に気持ちを表現できませんでしたので、この場を借りて書いてみました。ちょうど「阿蘇人」になって十周年!の秋に、これまでの私の生い立ちを素晴らしい形で沢山の方に発表して下さった「中通小学校」のみなさん、本当に有難うございました。そして「このご縁もやっぱり【夢屋】があってこそのものなのだな」と、改めてみんなの大切さを確認できる経験でした。
高岳につぶやく 佐藤 清子
機械がうといということもあり、私たちは車の中では、あんまり話さないようにしている。話にのって夫の運転があやしくなったこともあり、何かにびっくりしたときなど、たとえばイタチが道路を横切って、私が「あっ」と言うと、もうおしまいである。だから車の中ではほとんど話さないように努力している。この無言のパンの配達の時間に、高岳の稜線を眺めることにしている。母の顔にとても似ているところがあるからだ。まゆ毛、まつげ、鼻と口のところ。老いた母の顔にそっくりなのだ。そこに向かって話しかける。ときには訴えるように話しかけ、つい涙ぐんでいることもある。このち無言の時間が大好きである。
~ちょっと耳よりコーナー ~ 今回は、夢屋のお隣、オルモ・コッピアさんです。
Q1 オルモ・コッピアさんは、オーガニック・レストランと聞いていますが、どんなところにこだわっておられるのでしょうか?
Q2 オープンして4年目になられますが、これまで目指してこられたこと、またこれから目指していきたいことは何ですか?
A 震災から9か月になりますが、阿蘇に移住してこられる方の多さに驚きました。阿蘇に求められているもの、阿蘇でしか出来ない事など色々あると思っています。なかなかお店一軒では出来ることも限られますが、大変嬉しいことに移住してこられた方や新規就農された方々がお店を尋ねて来られる事も増えてきています。そんな方と小さなつながりを沢山作り、小さな仕事上の関係(オルモと夢屋さんのような)を築いていけば、阿蘇にとって何かちょっとした新しい流れになるのではと思っています。
Q3 観光地であり農産地でもある阿蘇で営業されながら、「食」を通じてこれからどんな夢を描いておられますか?
A 全国から阿蘇を目指して引っ越してこられ就農されている方が多いということは、やはり、阿蘇という土地の持つ魅力であり求心力だと思うので、元からここに生まれ育った者としても何かしないと情けない話で(笑)、僕らには幸いにもこれまでやってきたお店や料理がありますので、この場を最大限にいかし、阿蘇・農業・食、辺りを繋げる何かを是非やりたいと思っています。鋭意模索中です。
Q4 最後に、「夢屋」に一言、お願いたします。
A 隣りにあって、勝手口から真正面でいつも見ています。最近オルモもメンバーが3人に増えさらにドタバタしていますが、夢屋さんはその倍ですよね。色々ありながらも、なんだかんだで凄く安定感のある夢屋さんに感服です。楽しそうな様子も、聞こえてくる歌もすっかり日常にとけ込んでしまって気にもとめなくなっていますが、無くてはならないものにもなっていると改めて感じます。これからも末永く宜しくお願い致します。皆さんくれぐれもお体に気をつけて、元気で頑張って下さい。