「共」に「生」きる。 in 阿蘇

野菜ty(のなてぃー)ご宿泊のお客様が、こんな素敵なエッセイを書いてくださいました。

野菜ty(のなてぃー)に宿泊した早朝、外に出てみると、空はすっかり晴れあがり、星や三日月が輝いています。今日は昨日とうってかわって冬型の気圧配置でグンと冷え込むという予報ですが、今のところは寒くありません。ここに来ると、色んなことを考える、また思い起こすことができます。

よく考えるのが「人が生きる」ということです。

両親の死を通して、それまで過ごした人生が、やがて誰も知ることなく消え去ってしまうことに気が着きました。母の兄弟姉妹もすべて亡くなり、母のことを知っている人は誰もいないのです。だから、本当の母(若い時)母の生きてきた時代は激動の不幸な時代でした。そのようなときに青春期を過ごした母は何を考え、何を思っていたのでしょうか。わかりません。父は若い頃から日記を書く習慣があり、肺炎で倒れる前の日まで記入した大学ノートが山のようにあります。そこには、若い頃からの考えや出来事が記されてあり、すべて読み通すにはかなりの時がかかりそうです。人生の記録をとることは時代と共に消え去ってしまうのに、少しでも抵抗出来るのかなと思います。このノートに好き勝手に書き込むのは、そう思うからです。 

○パンのこと~この2週間、全くパン(ホームベーカリー)を焼いていません。道具もすべてしまいこんでしまいました。ちょっとスランプ気味。この2週間、全くパンを焼いていません。道具もすべてしまいこんでしまいました。ちょっとスランプ気味。在庫も尽き、そろそろ焼かないといけないのですが、気がのりません。何か自己満足に過ぎないようで……。 

○好奇心~子どものころから好奇心が強く、何でも知りたいということから失敗を繰り返してきました。その思い出を2つ。 

①「まほうびん」~和30年代の中ごろ、当時はそのように呼ばれていたポット。今でこそステンレスでできているが当時は中の真空ビンがガラス製。薄給の中で購入したであろうその「まほうびん」が茶ダンスの上にあったのを見つけた私は、それを「確かめよう」としてとったところ、期待どおり? 落下させてしまい、一度も使うことなく廃棄することに。当然のことながら母の怒りを買ったのはいうまでもない。

②{クリスマスケーキ}~昭和30年代後半になると、クリスマスになるとバタークリームケーキを予約して当日受け取り、全員で食べるのがブームになっていた。当日、学校から帰って来て、誰もいないときのこと、冷蔵庫の上にそれが置いてあるのに気がついた。例の好奇心が「どんなケーキ?」と僕に語りかけ、そっと見ることにした。そこでまたしても①の再現。あわれ、箱は上下さかさま、美しくデコレーションされたバラのバタークリームは,ただのかたまりに姿を変えた。何とかしなければ……。僕にバラをつくることは全く不可能。できるのはダンゴだけ。僕は急いでバタークリームのダンゴをつくり、のせて、何もなかったように箱を元に戻した。夜になって、家族がそろい、いつものように箱をあけると、そこには「美しい」デコレーションケーキが……。母の怒りが爆発したのはいうまでもない。                                                                                                                                                              by 休業中のパンパンマン

 

野菜ty(のなてぃー)は、家族がますます大好きになりました。またすぐに帰ってきます。おかげさまで、いい結婚記念旅行を過ごせました。また、来ますね!

                                                                     パンパンマンの連れより

  

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