夢屋より秋のご挨拶をさせていただきます。
作業所「夢屋」代表 宮本 誠一
朝夕めっきり冷え込むようになりましたが、皆様お変わりありませんでしょうか。夢屋のメンバーもおかげさまで無事、夏を乗り切ることができました。さて、夢屋の最近の大きな出来事としては、やはり今月13日で小嶋康揮さんが18歳の誕生日を迎えたことではないでしょうか。パンの配達の先々で、またかつて担任された先生方が、背が伸びたことや体ががっしりしたことだけでなく表情も豊かに、凛々しくなったことに目を細められています。そのような日常での出会いが可能なのは、何より地域に作業所があるからですし、近くに生きる者どうしの一番の良さではないかと思っています。これからも阿蘇市の皆様とともに、日々の運営をさせて頂ければこれ以上の幸せはありません。夢屋を代表いたしまして改めて感謝申し上げます。それでは9月から10月までの行事を御報告、御紹介いたします。
9/8.9 一の宮中学校3年生の2名が福祉体験にやってきました。
9/10 阿蘇観月お茶会へメンバー5人で行ってきました。
9/13~15 阿蘇中学校2年生の3名が福祉体験にやってきました。
9/22. 益城中央小から人権学習担当の倉岡先生が訪ねてこられました。
9/23. 野菜ty(のなてぃー)に岡山から7名の宿泊がありました。
9/24. 野菜ty(のなてぃー)に熊本市内から7名の宿泊がありました。
9/24. 宮本の高校の後輩で臨床心理士の竹下さんが訪ねてこられました。
10/1 ネットの『You tube』で、夢屋の様子を動画配信し始めました。
10/3 中島地利世さんが中通小学校の人権学習の授業に招かれ、児童、職員の皆さんにお話ししてきました。児童からはたくさんの質問もあり、大変有意義な時間となりました。
10/5 阿蘇市障がい児・者親の会の例会に宮本、竹原が招かれ、講話してきました。
10/13 小嶋康揮さんが18歳の誕生日を迎えました。
10/15 阿蘇市読書感想文コンクールの第2回審査会に宮本が出席。
中通小の人権発表会に向けての取り組みの一環として劇制作があるそうですが、その関連としてメンバーの中島地利世さんに聞き取りの取材があり、また学校で話す機会を頂いたことは本人にとって大きな自信になったようです。細かな打ち合わせや準備に奔走された人権教育担当の衛藤先生を始め、温かな言葉で励まして下さった校長先生、そして全児童、職員の皆様方に深くお礼申し上げます。このように、この二カ月も皆様に支えられ運営できた日々でした。これから阿蘇は本格的な冬を迎える季節となりますが、人と人のつながりがあれば心温かく過ごせるのではと願っているところです。どうか皆様方もお体、くれぐれも気をつけられ、更なる日々のご健勝をお祈り致しております。
≪第二の故郷 阿蘇≫ *中島地利世*
23年の月日を過ごした故郷(対馬)から阿蘇へ出て来て、この秋で10年が経ちました。生まれ育った島を出て、最初は「対馬」より遥かに広い熊本県に住むという事に少し不安もあり、それ以上に「今度は、どんな町かな~☆彡」という期待の方が大きかったです。
阿蘇に来てまず、最初に大変だったのは、やっぱり「道」や「方言」を覚える事でした。私は方向音痴なので地図を片手に、時には混乱しながらひたすら歩き続け「内牧」を目指すつもりがなかなか到着せず、近くの人に聞いたら、何故か「乙姫」に着いていたり…。地名を覚えるのも一苦労でした。例えば、「内牧」の読み方は(うちまき)と思っていたり、最初は「蔵原」「竹原」の(原)を普通に(はら)と読むのかと思っていたら、皆さん(くらばる)や(たかわら)と読んでいて、「ん!? 何て言ったの?」とわかりづらかったです。後は方言ですが、たたでさえ会話が聞き取りにくいのに「なんばしょっと?」・「そぎゃん」・「こぎゃん」・「せからしい」と次々に聞きなれない言葉が出てきて、「いいよらした」「おらっさん」とか言われると、もうすでに何を言われているのかさっぱり分からず、全く未知の世界にいるようでした。
【夢屋】にお客さんが来られて、初めて聞く方言がでて困っていた時に【夢屋】のメンバーの中に細かい方言まで詳しい人がいてくれたおかげで、たくさん意味を教えてもらい、何とか少しずつ会話が理解できるようになりました。10年の間に、本当に楽しい事つらい事たくさんありましたが、その中で、家族同様に思えるほどの大切な人達との出会いもあり、後はなんといってもこの大自然…「対馬」では必ずどこかに海が見える場所に住んでいましたが、今度は山に囲まれている所で暮らせて、どちらもわざわざ観光客がお金を出してまで旅行に来るほど景色も空気も素晴らしい場所なので、よくよく考えればこんなにも恵まれた大自然の中で暮らせて「本当にありがたいな~」と改めて、日々…忘れがちな感謝の気持ちを思い出させてくれます。
最後になりましたが、一つだけ最近のちょっとした出来事を書いて終りたいと思います。ある知人に、近くで「不審者」が生活していると噂を耳にして、「今、本当に大変な世の中になってきているね…」など話していた時、夜に冬物の着替えを入れたリュックを背負い、兄の家から自宅に帰っている途中、男性に「ちょっと…」とわざわざ手招きで呼びとめられて、「あんた、ゴミを散らかしっぱなしはいかんばい!ちゃんと片付けてくれな!」といきなり言われたので、「はっ!?」とビックリして「何の事ですか!?」と聞き返すと、「あんたどこから来たつね?…最近、夜になったらこのあたりをウロウロしとるやろう!」と聞かれて、私も焦っていて「はい、だって宮地に住んでいますから、昼も夜もウロウロしていますよ!?」とよく考えたらおかしな返事をしてしまい、話していくうちに「あ~、あんたこの辺の人やったつね?」と誤解がとけてホッとして、「まぁ…確かにこのタイミングでこの大荷物じゃ誤解されるかもな…」と一人で笑いながら帰りました。阿蘇に来て10年目にして「不審者」に間違えられるとは思いもよりませんでした。大震災後の余波がいろんな形で、この遠く離れた阿蘇にもきているのかもしれないと、ちょっと心配になりました。
弟の逝去 佐藤 清子
弟が亡くなった。その数日前、兄弟とその連れ合い、私の娘たちも見舞いにいったばかり、これほど揃うのは珍しく、弟も喜び、ベッドから起き上がり、喉がやられているので声を失い、筆談で皆の質問に答えていた。弟の家へ向かう車の中で、弟嫁に、ごめんね! こんなに早くに逝ってしまってごめんねと、何回も言っていた。66歳だった。退職して、まだまだたくさんやりたいこともあったろうに。息子も無事就職し喜んでいたし、娘夫婦には孫二人に恵まれていた。でも、まさかこんなにも別れが突然やってくるとは。弟が高校三年と浪人一年のとき、私は大学に行っていてそのとき熊本市内の安アパートで二人暮らしをした。弟は受験勉強に、私も卒論や教員採用試験に励んだ。その甲斐あって弟は無事に熊大に、私も教員に採用された。その後、弟は建設会社に就職し、情熱的に働いた。愛する伴侶も見つけ、精一杯、生き切った人生だった、そう今は思っている。
~簡易宿泊所『野菜ty(のなてぃー)』からのお願いです。~
一昨年のオープン以来、たくさんの方にご利用頂き、ありがとうございます。さて、いよいよ今年も冬の季節を迎えますが、営業と致しましては12月~3月までは冬眠させていただきます。それでもどうしてもとおっしゃる方、素晴らしい雪景色とマキストーブの炎、降るような星座を見ないと落ちつかないお客様には、ぜひ次の点をご注意願います。まず、下の道路から野菜ty(のなてぃー)までは積雪のため、何か所かツルツルになります。昨年も、だいぶ溶けたから大丈夫かなと寄られた方が、一箇所を突破するのに四苦八苦、たいへん御苦労をされました。そこで車を含め寒さ対策(スタットレスまたはチェーンの準備、厚着、火の燃やし方など)をよろしくお願いいたします。お湯も、省エネ対策も兼ね、マキを使っておりますので、室内設備は完備してはおりますが、気持ちとしてはアウトドア感覚でよろしくお願いいたします。
<ちょっと耳よりコーナー・ご紹介コーナー>~第14 回目~
今回は、一の宮町のしにせ『菓舗佐藤』さんで~す。
Q:菓子屋さんはを開くきっかけは、いつどんなことだったのでしょうか。
A:明治38年に、初代庄太郎がつくったお店です。現在は3代目と4代目で製造しています。
Q:お仕事で苦労されている点、またやりがいのある点はどんなことですか。
A:食べ物なので、衛生面と鮮度には、すごく気をつかっています。やりがいは、皆様に「おいしかった」とか、喜んでいただけたときにやっていてよかったなあと思います。
Q:最後に、「夢屋」に一言、お願いいたします。
A:心のこもったおいしいパンを、いつもありがとうございます。