「共」に「生」きる。 in 阿蘇

2007・『夢屋だより』9月号より~

~【夏休みに過ごした事】~
                           
 ~チー~
08/10~11日、子供の頃読んだ「はだしのゲン」というアニメがドラマ化されていました。
広島に原子爆弾が落とされて、今まで普通の日常生活が一瞬で地獄に変わるというようなとにかくリアルな漫画で、体中にガラスが刺さったままや、お腹が破けて胃腸が外に
でてきているのに感覚がわからず、ズルズル引きずりながら歩いている人もいて、そんな映像がドラマではどこまで表現が出切るのかちょっと怖かったけど観てみました。
さすがに胃腸は飛び出しませんが、ガラスが体に刺さっているのがハッキリ分かり、とても痛々しい感じで、ドラマは作り物という事は分かっているんですが…実際に戦争時の広島の
住民はこんな風になっていたのだ…と思ったら、とても悲しくなりました。
中でも、兄弟の末っ子を演じる男の子がまた演技が上手な子で一つ一つの動作が完璧でした。
ビデオに録画して何度観ても泣いてしまい、最後には目がすごい事になっていました。(笑)
このドラマを観て考えさせられた事は、平和ボケした今の世の中、戦争を知っている人が
いなくなるだろうというなかで、最近は子供から大人まで、自殺したり…簡単に人を
傷つけたりする時代だという事、戦争の中で生きていた人間は必死に“生きる”“生きていく”時代だったという事です。
そんな中、私の日々の生き方を見直すと「何て無駄ばかりな生き方をしているんだろう」と思う事がたくさん出てきて、もっと大切に「有難み」を感じるべきと反省する事ばかりです。
テレビを観る以外では、今年の夏休みは九州を一周?して来ました。
まずは12日に、故郷「対馬」に帰ってお墓を掃除をしたり、知り合いの家一軒一軒回ってお土産をわたした後は、祖母ちゃんの病室に行きそこで寝泊りさせてもらいました。
一緒にご飯を食べたり、たくさんお話して15日に鹿児島に住んでいる同級生と一緒にその人の家へ行き「月末に家族で阿蘇に行くよ」と約束して私だけ一足先に帰りました。
「宮崎」や「大分」など寄り道しながら阿蘇に帰って来ました。
とっても充実した夏休みだったけど、さすがにヘトヘトになり「年だな」と思いました。(笑)


【夢屋の住人】 ~その③~ 《ヨシさん》の巻き
私によく似て意地っ張りで(笑)、人の意見には「いや、違う!」が口癖のヨシさんの事は
「夢屋」に入る前から、お母さんの飲み友達という事で知っていて、よくお母さんに
「ヨシさんはいい人やけん」と聞いていましたが、私が初めてヨシさんにあった時の印象は、お母さんが言うように“根”は、本当にいい人なのですが、「とにかくスケベな女好き」(笑)
「夢屋」の情報局長らしく世の中の情報を仕入れては、まずは、詳しい内容を何も話さずに「あら…すごいなぁ」「あげな話があるもんかなぁ」と思わせぶりに人に興味を持たせておき
誰かに「何の話?」と注目をあびると満足気にニンマリしてやっと続きを話し始めます
いつも私達の“良いお兄さん”(柱)になってくれてメンバー同士での問題や大変な事とか
いっぱいありますが、大事な時は厳しく注意してまとめてくれるのでいつも助かっています。
どんなに疲れている時でも、最後まで私達の話を、しっかり受け止めて聞いてくれる人です。
(チー)
私が夢屋にきたらもうしごとしています。いつもおひるごはんをつくってくれます。
私がゆうこときかないときすぐおこります。私におばさんというときあります。
トイレにはいったらよくおならをします。(ミユ)
まずは、中国から来たけんある程度、知っている。
いろんな話をしてくれるおもしろい人です。
怒ると恐くて、特に深雪さんがおしゃべりが多いとき厳しいです。
たとえばある日、僕とヨシさんが塗り絵をしていた時、Aさんがベラベラと喋っていたら
「うるさい」と怒りました。
深雪さんよりもこっちがびびりました。
でも、やっぱり深雪さんが喋っているので騒いでいるので悪いと思います。
(タク)
いつも、水曜日「夢屋」に行ったとき、一番よくお世話をしてくれます。
マイにはとても甘くて、優しいお祖父ちゃんです。
【マイマイ・(代筆)】
〔ヨシさんのこと〕
                            キヨ
ヨシさん13・4才の頃、私が30才の頃一緒に勉強しました。
朝から「そい そい そい」という感じで走って来てはきのうのこと、一の宮町内くらいのいろいろの出来事を話すわけで、それが済んでから、「なら、勉強しようか」と始まる毎日でした。中華屋を卒業してから熊本市内の「紅らん亭」に就職しました。
ゆで玉子を大がま一ぱいゆでて皮むき、玉ねぎの皮むき ざるに一・二杯。玉ねぎ皮むきが一番つらかったといっていました。
すぐ近くの大洋デパートの火災の時には、若者たちで消火や人身救助にあたって人命救助で表彰されたとのことでした。それから数十年して、会った時びっくりしました。
大たい骨の骨を脊ずいにうめこんだという手術です。
それから腰から下はしびれているし、足はスリッパをはいたがぬけたかとも分からない。
風呂の温度も足では全然感じない状態だと聞きました。
そんなヨシさんが昼のまかないをがんばってやっています。人に対してとても親切です。
先日の我が家の車が他に勤務にいそいでる車にあてました。
山部石油で打油してたのが警察の車も来てて我が家の車が90%被害者の方が10%悪いと診断されました。
私はやまなみ病院に送ってもらっている途中で車をおりて急いで病院に向かいました。
心配で仕方がないけど人身事故でなかったから良かったと思います。
保険にはかなりかたっているので充分修理ができました。
でも、修理の日数のかかることがまち遠しいことでした。
当日の夕刻被害者のところにお見舞いにいきました。
私の知っている人でとても誠実な人でホッとしました。
でも車のなおしている間には慰謝料もあげんでいいのだろうと思いました。
色々検査やレッカー車が二台きて、車をつれていったと聞きました。
かたづけにかかったら、ヨシさんがガラスを集めたりそうじをしてくれていたと夫から聞きました。
その夜は見舞いに何組かの人がみえて一番よく知っている人に「誰から聞いたね」と聞くと
「ヨシ君に」と聞きこんな時だけど思わず笑ってしまいました。
やはり町の情報屋でした。
やちがう!」「そら、ちがう」…自分の「持ち言葉」で納得いくまで話すヨシちゃん。
(同じことを言ってるんだけど~)
だいが豊富なヨシちゃん。どこで仕入れてくるのか最新情報の数々。
(しかし時にはガセネタも……。)
ゃんはい生まれのヨシちゃん。今はすっかり「日本人」だけど、どことなく異国情緒がただよう多国籍人。
にんの困っているのを、見過ごせず、さっと近づき、さりげなく手助けをしてくれる
ヨシちゃん。いつもありがとう!
めさん欲しいけど、ちょっと理想が高すぎて「もうこの年では無理かなあ」と
チョビひげをなぜるヨシちゃん。
ょうちゅうに目がないヨシちゃん。飲む程に酔う程に話題は楽しく、マイクも離しません。
ひるごはん作り主任のヨシちゃん。さすが上海生まれ、ギョウザ作りにかけては
右に出るものはおりません(?)他のも頼むよ、ヨシちゃん!
初めて会ったのは古代の里美術館の店内。「夢屋」というものをつくったから遊びにきてねと誘いに行きました。あれから十二年。
日野さんが、タケシさんが、ハタさんが・・・・。つぎつぎと逝ってしまったけど、そんな「夢屋」に光を灯しつづけてくれているのがヨシさんです。
先の先まで気をくばり、仕事をてきぱきとやってくれます。
「夢屋」へ来るときかならずちょっといきすぎてから入ってくるのはどうしてなのか、一度、本人に聞いたけどわかりませんでした。
でもそれでいいのです。ヨシさんなのですから。
とにかくどんな格好もよく似合います。
あるときはサングラスを粋にかけてジャズのミュージシャン。あるときはランニングに地下足袋はいた腕のいい職人さん。またあるときはアフロのカツラをかぶってちょっと危ないオッサン・・・・。
すべてがサマになっています。何といっても骨格からしてインターナショナル、国際級なのです。
いっしょに酒を飲んだのは数知れず。最近、肝臓が弱って、血圧が高いのがちょっと心配です。
でもこの先も、ずっといっしょにパンをつくりたいし、草取りもしたいし、お酒も(ほどほどに)のみたい、そんな人です。
「いやちがう・・・」「いまんところは・・・・」「あのな、あのな・・・」
やっぱりこのフレーズを聞くと、ホッとするんです。
どうかこれからも、よろしくお願いしますね。ヨッシー!!


~夢屋と北九州のアベックこうりゅう~
ぼくと宮本さんでのなティで北九州市のアベック(作業所)のひとたちをまっていました。
ぼくが外でまっていたら、下のほうから、車がきました。
そして、のなティについてから、すぐ車から、にもつをおろしていたら、ぼくもいしょうに
にもつをはこでへやの中にもっていたら、先生がすぐみんなにへやの中をぞきんふいてね
みんなはふいていたら、つぎわみんなでせんすいきょうにいっておよぎをしていたら、
みんなは、水につかっていたら、柴原先生大きな声でみんなはおんせんにつかっていると
いったのでぼくはおよぎました。
そして、みんなでかえってカレーライスをたべていたら、先生は、ひとりずつきめてみんなでたのしくたべていました。
ぼくは、先生はきびしさもあったり、やさしさもあります。
ぼくは、先生のことをはじめてしりました。
ぼくは、先生を大すきになりました。
きょうの、こうりゅうは、とってもたかったです。
また阿蘇にあそびにきてはいよーねー                           
(ヨシ)


~『マイマイ日記』~     ≪チーさんの日記より≫
①:みんな、それぞれのお仕事を始めたので、私もチョコクリーム作り始めました。
完成してコッソリマイちゃんに味見させてあげたら、すごい笑顔で「おいしい」と
言って笑ってくれたので、一気に疲れが消えました。 【7月11日】
②:今日は、朝から自分の用事で郵便局に行きました。
少し疲れて「夢屋」に帰って来たら、マイちゃんが来ていたので「おはよう」と言ったら
とても可愛い笑顔で「うん」とうなづいてくれたので嬉しかったです。【7月25日】
いつも、笑顔がステキなマイちゃんに、みんなとても癒されています。
お仕事の疲れや、悩み等で苦しい時は、是非、水曜日「夢屋」に遊びに来てください。
マイちゃんの笑顔を見るとスッキリ元気になれること間違いなしです。

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