「共」に「生」きる。 in 阿蘇

小学校六年のときに建った体育館は、そのままの姿でありました。

  かつて学んだ小学校も、どっぷりと夕もやに包まれていました。

玉名を過ぎる頃は、日が西に傾き、新幹線の高架橋が長く田園を貫いていました。

        新しいバイパスが通り、2011年の鹿児島ルートの新幹線開通に向け、交通網が整備されていました。

12月30日に阿蘇から荒尾へ出発したミヤさんは、まずは、いつものように今年たいへんお世話になった関敬さんにご挨拶をしに、菊池恵楓園へ向かったのでした。

      関さんから、とれたての大根や人参をいただきました。ありがとうございました。

パンくんとサングラスの男が気になりつつも、2008年最後の仕事として、鶏小屋の掃除をしたのでした。

  サルとくればトリ、かつての十二支さんたちごくろうさん。心をこめて土をいれ、ほじくられた地面をならし、さらさらと乾燥するよう大鋸屑をまいておきました。

神社にかつてそびえていたご神木の横には、今や阿蘇を背負った一匹のサル…、そう、あのパン君がいたのでした。

      そしてあらわれたのはサングラスをかけたなにやら怪しげな男…。2008年は、その男の影がミヤさんの脳裏に残りつつ、おぼろげな白昼夢のように過ぎていったのでした。