知人から熊本で発行されている詩誌『アンブロシア』をいくつかを送っていただき、その中の57号に特集されていた〈深町秋乃『柔らかな水面』を読む〉を拝読し、自分なりに、そこで引用されている作品の一部と批評されている方々の言葉になにか隔靴掻痒のような感覚をもったため、これは詩集全部を読んでみないとわからないなと購入、さっそく“全作品”と”あとがき“まで、一気に読ませていただきました。意外にも私の印象は裏返り、作品、ひいては詩集全体に通底するのは『喩』でなくむしろ言語表現の音的側面を意識的、あるいは天性のものかは定かではありませんが「音韻」であり、「韻律」であると思いました(もちろん細かく分析してみないと正確にはわかりませ
んが)。問題はそこと形象的感覚との必然性、つまりは不可分性でしょうが、その度合いによって、作品一編一編の《自立性》の深度はかわりますし、これについてはさらに検証が必要であり、ここで気やすく書けるものでもありません、ただ言えるのは、形象的感覚と意味とをむすびつけようとする(もちろんそこには重層的なレトリックがあり、単純な構造ではありません)意志に先立ち、「音」的要素の介入が意外にも大きいのではと感じたことと、読まれた方個々の捉える幅がそれにより、より〈社会化〉されていない方向へ拡大されるであろうこと、そして最後は、それらにより作者が最もその飛沫(幸不幸含めての“返り血”のようなもの)を内面へ、ご自身の詩へ取り組んでいく今後の課題として「感覚」としてあびられていくのではと思った次第です。にしても日常を生きる上でどこかで直視することを避けている境界や性的世界(母子関係も含む)、またはそれらに対する違和を、今では死語化されつつある「女性性の身体性」とともにグロテスクに垣間見せてくれる一面もあり、私からすれば〈奇妙=曲線度の高い意〉にも生々しいエロティシズムを抱えた「個」としての力のある作品集だと思いました。
















