「共」に「生」きる。 in 阿蘇

『ダスト・イマージュ』/そのニ

 父親が死ぬと当然生活の重みが女三人の家族にやって来た。
 そもそも父親の死は、日曜、職場のソフトボール大会の試合中頭痛がしだし、気分が悪いと倒れたまま会社の系列の産業医へ担ぎ込まれ、検査をしても結局原因は分からぬ仕舞いで、痩せ衰え遠くへ行った死であった。
 他の病院へ移すこともはっきりとした治療も出来ず死亡後の解剖だに許可されることはなかったという。そんな、今から思えば不可解な謎に包まれた死でもある。あのとき、もう少し親戚のものたちが強く会社に申し出てくれていたら、父親もあんな惨めな死に方はせず新しい療法の糸口の一つぐらい見つかり何らかの処方も下せていたのかもしれないと、里子は今でも思っている。解剖にしても後ひと押しがたりなかったのだ。とくに忘れられないのは、何人かの父親の職場の同僚たちが、このままでは死んだ本人が可哀想だと本気で乗り出そうとしたその矢先に、反対に今度は里子の母方の親戚に当る市議を勤めているという男が、誰が認めたわけでもないのに身内の代表の顔をして、それを言葉巧みに抑え込んでしまったという経緯だった。死を迎えてしまった今となっては、ことさら問題を荒立てたくない。死んだ当人もそんなことは望んでいないはずだ。それより静かに今は野辺へ送ってやりたい。同僚たちも血縁ではないとはいえ親戚の一人であるその男の意見をさすがに聞き流すわけにもいかず、しかも、その男はどうやって折り入ったのか、会社と交渉しわずかの補償金と見舞い金を得たことを自慢げに里子たち親子に話して聞かせたのだった。里子は、その男を、今でも恨んでいる。
 「それからその人は、わたしたち家族のすることになにかと口を挾むようになったわ。お母さんの仕事のこととか。わたしや妹の学校のこととか。わたしもこう見えてもまだ中学までは結構勉強できてて、こっちの方じゃわりと有名な私立の高校を受験してみないかって担任に勧められていたのよ。わたしもほんというとちょっぴりその気になっていたところがあったんだけれど、お父さんが突然死んでとてもそういう気にはなれなかった。それにお金のこともあるし。だけどその人がお金のことはこっちで面倒みるから行ってみろって何回もいうの。しつこいくらい。それにつれられてお母さんも、葬儀のときにはとても普通の人とは思えないくらい元気がなかったのに、まるで人が変わったように嗾けては言い出すの。里子はそれでもお父さんの子? 最初から諦めるような真似だけはしないでちょうだい。あなたがT校に通ることは家族も親戚もみんな望んでいることよ。今一番大事なことはあなたががんばってT校に合格することでしょ。わかるわね、里子」
 「……それって、とてもたまらない。」
 里子は確かに黙ってしまったと思う。
 そんなふうにして絆されることに、ぼくはさして悪い気持ちはしなかったが、そのときは、そう簡単にはされまいと逆行する流れ以上に、少々眠気がやってきていたこともまた事実だった。
 「でも、わたしはわたしで、お父さんの死からなかなか立ち直れなかった。わたしだってがんばろうと思ったのよ。もし今わたしにできることが受験に合格することしかないとしたら、それに賭けて精一杯やってみようって考えていたの。それに成績が、今までどおりに気持ちに付いてきてさえくれればできる自信があったし、お母さんや親戚の人を見返してやろうっていう気持ちもちょっぴりないことはなかったのよ。わたしはわたしなりに、学校でそれ相応に他人に認められている存在なんだっていう自負みたいなもんもあったわ。ところがそんなとき、なんだか原因は分からないんだけど熱が襲ってきて止まらなくなったの。気分がわるくってとても勉強どころじゃなくなった。学校はまだ三学期が始まったばかりで、わたしも休みたくはなかったけど、熱が引かないものだからどうしようもなくなったわ。病院にいっても原因をはっきり教えてくれない。お母さんはそれでわたしがてっきり勉強したくないから、それで精神的に負担が大きくなって、それが引き金になって熱が出ているんだろうってそう思ったの。市立の病院の精神科へ強引に連れていったわ。病院てね、自分の意志で行ったていうんじゃなくて、人から入らされたってなると反発が強く生まれて治療とは逆行する方向に向かっちゃうところなの。それでますます酷くなって、三十九度三分の熱が十日間続いたわ。結局は二日に一遍の通院生活が始まって、お医者さんの方も最初はわりと年配の人が担当してたんだけどお母さんが受験のことが原因なんです。わかっているんですって最初言ったもんだから、それならなんとかしましょうってそれに関係したことばっかり聞いたり質問したり色々するけど……、もちろん本人にしてみればそんなこと少しも理由じゃないんだから、ぜんぜん効果がなくて駄目だった。お母さんもお父さんが死んだ上にわたしまで病院に掛りっきりになったからとてもすることなすこと乱雑になってきたわ。私に対する口の聞き方も以前とは雲泥の差よ。これでわたしはあなたに一生縛られなくてはならなくなった、どうしてくれるのって文句をあけすけに言い出してくるの。わたしの方だって、学校を週に三日休まなくちゃいけないことがとっても耐えられなくなってきた。当然でしょう。でも少しは幸運だったのが、そんなときしばらくしてお医者さんがまだ研修を終えたばっかりの若い人に変わったってことね。カウンセラーのときとにかくいくらか自然な気持ちでこれまでのことを話せるようになってきたわ。そしたら、わかった、君はほんとうの病気じゃない。お父さんが亡くなったショックでそうなったんだねってすぐにそう了解してくれて納得すると内科に移してくれた。……腎臓がわるかったのよ。でも問題はなかなか解決しないものよね。それからは白い錠剤薬を日に何回も飲まされて、その副作用で体重がどんどん増えていくことになってしまったの。わたし、もともと好き嫌いが激しかったせいでガリガリに痩せていたから、最初は頂度よくなったってよろこんでいたぐらいだったんだけど、でも太るのは止まらないしそのうち心配になって。拒食症にだけはなるまいって注意してたけど、やっぱり少しづつご飯食べなくなっちゃって終わりの方では点滴とか栄養注射で間に合わせるようになってしまったわ。あれって躰にほんとよくないからこれじゃだめだってなんとかしようって、料理の本買って研究した。とにかくどうしたら痩せれるか真剣に考えたの。何千カロリーでどれだけ食べれるかとか炭水化物をできるだけ減らして、動物性じゃなく植物性蛋白質を多くとるにはどうしたらいいかとか、その他もろもろよ。工夫して自分で料理して。運動も適当に取るように、病院から帰るときは一駅手前で電車から降りて家まで歩いて帰るようにしたの」
 里子の話をぼくは、蒲団の中で聞いていたのかもしれない。寝息は微かに、軟らかい骨を持つ生き物が鳴き声を遠く山を隔て響かせ、それが幻惑のようになって聴きとれるようでもあり、闇の薄い被膜の中に二人だけが心音となって幽閉されているようでもあった。置き時計の鳴る音が壁を静かに伝い、宙を溶け詠めいた。
 市電の駅から降りたぼくは、自分のアパートに帰り、里子の言葉を思い出してはみたがとても脈絡のあるものとは思えなかった。話は、筋そのものの通っていることと対等にその反対分だけ今の彼女とそぐわぬことの方がおもしろく、多少合点の経路を止どまらせやや遠回りにさせていた。どこか知らないが終わりにいくに従い霧散させてしまっているようなところがあった。ぼくは取り敢えず予備校に行ってみることにした。予備校までは、アパートから歩いて十分とかからない。
 ビルの二階の部屋へ向かう階段には、煙草の吸殻が何本か無造作に落ち、滑り止めのゴムが土を漉しふやけたように灰白色に染まりながら外に晒されていた。部屋は市電の通る道路ぞいから外に向かってガラス窓で覆われた教室が一つと、事務所に挾まれる形で真ん中に職員室とも生徒の溜り場ともつかぬ奇妙な部屋が閉ざされた蒼白い巣窟めいた雰囲気でつくられていた。
 数学を担当する篠見が、生徒と一緒に煙草をふかしながら、なにやら彼独特の畳みかける話し方で、周りにいる者を諭すように動作を交えていた。
 「お、リョウイチ君、久々の登場です。なにしてた最近顔も見せずに」
 ぼくが扉を開けるとすぐに、その声がこちらの方に投げられ、その隣に椅子を近づけ構える姿勢をとっていた男子生徒の大田と佐伯が、ニヤリと嗤いながら、しばらく欠席していた者に対する揶揄めいた矜持と、それでもその底ではすばやく宥め合うぎこちない親しみを顔色に走らせ、迎えてきた。彼らにとって欠席とは、授業に出ないことではなく、この部屋に姿を見せるか見せないかということだった。「柚木、お前、ほんと今までなにしてたんだ? つまらんなあ」
 篠見は、おもむろに煙草の灰を皿に捨てながら、眼鏡越しに笑みを心底馴染ませた瞳で、ぼくの動きに合わせ気色を追うように首を持ってき、なんとはなく落ち着けた。教師用の机が向かえ合わせに置いてあり、そこに横付けする形で矩形のかなり大きなテーブルが据付けられ、教師二人に生徒が五人もくれば一杯になるその部屋には、煙草の煙が厚いガスのように頭上に円形を占め充満していた。
 「最近どうしてたね、病気はしてなかったかい」
 篠見の言映ゆい質問は、ぼくには予測できていたことであっても、今さらそれを聞かずにすまされようとは思っていなかった。その声は優しげであり、事実、なんらかの粘着と皮膚を通してくる許容の響きをもってないこともなかった。ぼくが初めてこの予備校にやって来たとき、アパートに最初に訪ねてきたのが篠見だった。
 ぼくは、そのとき街に出てぶらぶらと酒を飲み帰ってきたのは深夜だったのだが、鍵の掛けられた扉の前で彼は待っていたのだった。篠見の言葉には、聞き入れる構えと一緒に、それがたとえ逸れても取り込もうとする楽観の匂いの籠もった見掛けと、悪く言えば充分応え切れぬ筈なのに取り敢えず聞いてしまおうという成し崩しの相手への受入れの感情とが共存していた。ぼくはそれをわかっていながら、今日もまた里子と別れ、新めて知るよすがもなくこうしてまた、彼の言葉を耳に留めてしまうことを自分自身納得した上でここへやってきたのである。それは、日頃から行われている聞き慣れていた声に一応の歯止めをうち、実行に移さねばならぬ、決められた経路でもあった。
 「さては、サトコちゃんとなにかあったな」
 篠見の突然のその言葉に、今更、両側にいる生徒たちは別に驚きもしないし、冷やかしめいた口調をすることもない。それどころか、あんまりこの頃福島さん、ここに来なくなったと、髪を伸ばし後ろで束ねた大田が反対にぼくに変わって心配そうに言葉を継ぎ、一息するとまたさっきまで読んでいた漫画の本を机の上から拾い上げ、開きながら、風邪気味か鼻の辺りを気に掛け気に掛け手の指を当て、鼻を鳴らし首を横に軽くぶらす彼独特の動きを決まり切ったようにそつなくやってみせる。そんな生徒たちの中で見え隠れしながらときどき姿を外に現す篠見の表情は、笑いかけるといった目立った動作はなくとも生き生きと相手一人一人へ対応を分け、それが彼そのものの資質とうまく結び付いているように、ぼくには映った。時を刻むように停滞しては消滅する言葉、その言葉の流れと羅列が篠見の発する感情の起伏のうねりを特徴づけ、ここへくる高校を中退した生徒たちはそれに憚れ時間を埋めている。
 「そろそろ、社会見物でも行くか」
 篠見が生徒の顔を見ると退屈そうに煙草を揉み消し、待ち遠しいと言った感で背を少し後方へ伸ばした。
 「久本が新車買ったから足になってくれるそうだ」
 久本は、今一月半ぶりに英語の授業を受けていた。佐世保からやってきた生徒で、この予備校ではぼくの年齢にも一番近い二十になる。今英語を教えているのが地元の大学の一年生を非常勤で雇っていることからすると、教師の方が年齢ははっきりいって下ということになる。ぼくはこれまで彼と会ったことは春の入講式以来で、その時もおよそ話らしきものはせず、当然会ったと言う強い印象はなく、今すぐには思い出せなかった。そんなことなどを考え合わせれば、もし時間が経ち授業が終わってお互い各自の表情を見交わしなんらかの一瞥を加えたとしてもそれは煩わしいことでは別になく、これから引き掛かってくる多少の縁をそれなりに適度にごまかし成り行きとして受止め、そうこうしているうちにやむをえぬ引き際の遅延を招きかねないと言えないこともない。確かにあのとき、街中の文化会館の小ホールを貸し切って行われた入校式のとき、今ならまだ何らかの理解が持てそうな気がし、誰とはわからなく音楽の話を少しばかり興じたという記憶がぼくにはあった。結構名の知れた若い歌手のバックバンドを東京でやっていたとかなんとか、幾らかの話題を蒔き、だがその相手がはたしてだれであったのか。後で開け切ったようにあっけらかんと喋るのが、どうもその相手の特徴のようだった気もするのだが。もしかするとあれが久本か。ぼくは、誰に言われるというわけでもなく椅子に腰掛けると、今は煙の中に瞳の膜をいくらか濡らしながら、この部屋へ来てしまったことへの多少の疑念を自分自身へ晴らすため、そんなことを考えていた。漫画を読んでいた大田は、束ねていた髪を後ろにやり、今吸ったばかりだというのに煙草をまた取り出した。篠見はそんな彼らにいつもと変わりなく話しかけているようだ。

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