「共」に「生」きる。 in 阿蘇

『エデュケイショナル・スノウ』そのニ

              第一の報告
 総司令官閣下、先頃、この地域の教育を司る機関の独自の調査によって、小学、中学就学者数の発表に合わせ、地方公共団体の設置した公立並び監督庁の認可する学校法人等の管轄内にある教育施設以外に通う子どもの総数が発表されました。そこには、学校をなんらかの理由で不登校になり、もしくは免除された者を含め、中途退学者などもいるほか、この地域の最大の目玉であるJUKU産業の隆盛による併学パターンが顕著に見られたそうです。たとえば第六学年を例にとれば、全体数に対し、なんらかの形で他の施設へ通っている生徒数はほぼ、その三分の二に達し、時間数にすると一人当たり年間のべ、約半分の割合をしめるほどになっていたといいいます。これは、最近、この地域でようやく現実となった週休二日制にもっともその原因の多くがあることは確かで、その年は、『新たなるJUKU年間』とか『公キョウイクの終末』とかが叫ばれ、教師の志望者は、相かわらず根強かったものの、後退してきた景気の波も計算には入れるべきであったでしょうが、以前とおなじく一般企業への希望者は多く、中でも学生たちの就職の目玉として企業の上位に初めて実験的に有名なその民間教育施設の一つが上がったのもスクープとして各マスコミに取り上げられたほどです。
 総司令官閣下、参考までに、ここでこのJUKUのご紹介を一ついたしたいと思います。名前は、CAN進学センターです。センターは、本部をこの辺境の海岸沿いの都市に持ち、数多くあるJUKUの中でも近年急成長を遂げてきた会社で、ほぼ中堅の位置にあります。100%子どもたちの能力と学力のバック・アップを約束するという振れ文句で健常な小学、中学の児童だけを対象として出発した進学JUKUです。その基本理念は、社名も示すとおり「教育」という名称を取り払い、受験に向けての学習指導のみを徹底して行うことにあり、ある学者がかつて言った『どの教科でも知的な性格をそのままにたもって、どのような発達段階にある子どもにも効果的に教えることができる』ことを、受験に巧みに置き換えカリキュラム化し実践しようとする、いはば家庭教師とJUKUとを合せ持ったような受験集団なのです。
 代表という位置にいる片桐という男は、三十八を今年迎えたばかりの年齢で、彼自身中学から高校に至るまで或るJUKUに籍を置き、それが後の自分の人生に大いに役立ったということをしばしば表立ち口に上らせているそうですが、しかしそれは、彼がJUKU経営をやっていることからの手前、宣伝効果を考え勝手に公言していることだというのがもっぱらの評判です。彼の素性の本当のところは定かではなく、どのような経歴を持ち今に至ったのか、彼の出身が本部の置かれている場所の近くであるということのほか余り人に知られてはおりません。常務でもあり事務局長であるもうひとりの男、瀬上の存在は、今や代表にとってなくてはならない存在であり、良きアドバイザーであると同時に優秀な社員の位置もしめ、多くの保護者や生徒たちから信頼を受ける講師でもあるということです。もともと彼は、センターが契約していたビジネス・コンサルタントの社員でしたが、ひょんなことから代表に見込まれ五年ほど前にセンターの会員数約半分を領するBブロックというところの常務の肩書きをもらい、運営に関するほぼ全責任をまかせられるようになったということです。彼はその後、期待を裏切ることなく仕事に励み、むしろ最近では代表片桐以上に積極的にセンター運営に取り組み、その発展につくしております。今度、手を伸ばすことになったこの東部R地域進出も彼の業績に負うところが大きく、前途に於いても重要な鍵を握っていることは特筆すべき点です。
 JUKUの宣伝の方法はこうです。ビル管理会社や不動産との話も終え、メインの会場となり、今後子どもたちが学習することになる貸しビルの手配も終えた状態からすべては出発します。地元ではかなりのシェアを誇る有名百貨店の階上にある、陽光の燦々と降り注ぐスタジオ風ホールのできるだけ派手な場所を借り切って、第一回目の説明会というものはまず行われます。オーストラリアの大平原など、世界各地の解放的な景色をバックにその期その期に決められるテーマである、たとえばここでは「虹」と「滝」だとすれば、それをあしらった派手なポスターを作成し、およそ子どもたちの学習とは遠くかけ離れた旅行代理店のPRのため催された会合のようにもそれは映るとのことです。
 説明者が、常務瀬上から代表の片桐へと変わっていくときがもっとも、この会のクライマックスといってもいいようです。このときばかりは保護者たちを後方から取り囲むように立っている職員たちにとっても、一斉に壇上のステージに注目し緊張する一瞬です。ここからは、実際に一年前、行われたR地区での説明会を例にとりお話してまいりたいと思います。と申しますのは、このR地区のセンターの行方こそがこの報告文でも今後、重要な位置をもってくると思われるからです。
 そのときも、予定より少々早く瀬上の話が打ち切られたことでさえ誰もあまり気にならないかのように、シルクや麻のスーツを真新しく着込んだ入社したての進入社員たちが、ちらほら斑のように列をつくり会を盛りたてていたということです。一つ一つ服の袖や襟もとが光を受け、同じ色彩がかった濃緑色の壁に溶け、それを背に影と一体となりその輪郭をあたかも都会に生息するカメレヨンよろしく、保護色として和ませているのがそのときの彼らの特長といってもいいでしょう。中には、いかにも清潔感の漂ってきそうな地味ながらも若さをうまく引きだす薄手めの服を、自分の躰の細かな線とかさねながら無難に纏っている者もいるにはいますが、それはきわめてごく少数とのことです。他にもこの説明会のときだけはできるだけ大がかりに見せるため他の局から応援に駆けつけた社員が多く並んで立っていることは言うまでもありません。壇上に上がっている代表片桐のその時点からの話しぶりこそが、おそらく全てを決していく気配なのです。そのことを社員たちは、自らのやや緊張気味の表情や、腰の辺りを探るように組み直す腕の様子などで露にしていきます。しかし、動向を待ち受ける大半の保護者たちは、それとはまったく反対です。保護者のうち、その多くをしめる母親たちは椅子に腰を落ち着け全身に漲っていたこわばりをようやく解き始め、突然に緩み出した筋肉の始末をどうつけようかと、手慣れた動作で躰の持っていき場を試すふうにするのもこのときなのです。それでも筆記用具を勤勉に走らせつづける者も何人かいることは、親たちのいかにこのJUKUに賭ける熱情が凄まじいものであるかを物語っています。そんな状態から常務から代表へのスピーチの交替は、いくつもの説明会をこなしてきた職員たちの眼にはまさしく時を得ているように思われてくるものなのです。
 「お母さん方は、子どもさんたちにまず何を望まれるでしょう」
 代表は、壇上に上がるや否や、タイピン式のマイクから常務とは若干違った高く透った声で話し始めます。それは、母親たちにとって、今最も神経を研がしている質問といえば言えないこともありません。躰を心持ち倒しかけていた母親もこの時ばかりは否応なくステージに視線を向けさせられます。代表の話はつづきます。
 「ただ、良い中学や高校、大学に合格してもらうだけで満足なのでしょうか。おそらくそうではないはずです。今やそれだけでは不十分なことはわかりきっています。子どもさんたちの幸せにとって、強いては親御さんの願いにとって、それではとても納得のいかないのは当然です。そのことは、この社会そのものが答えをだしてくれています。かつて半世紀以上前には紡績業で栄え、その後衰退し海岸を埋め立て安価な原料と資源を海外から手にいれることにより化学工業を興し、奇跡的に復活を遂げてきたこのR地区も、ここ四、五年都市部の不景気の影で泣かず飛ばずな状態がつづき、生産性は落ち込み、それに拍車をかける勢いで慢性的な底なしの不況に陥りました。その後は坂道を転ぶように輸出削減にコスト高、人員整理と約束された将来の姿はなく、前途多難であることは私どもが申すまでもなく保護者の方が最もよく御承知のことと思います」
 総司令官閣下、この時こそ、ステージ下の席で聞いていた常務をはじめ、多くの社員たちが、決まってハッとした思いに駆られるときはありません。代表の発言の中には、そのとき新しく取り込もうとした内容は全くなく、しかも会場に来ている保護者のうち、地元の化学産業に従事している者が少なくないという、前もって得ていたセンターの知識を彼は彼なりに独自に計算しての筋書きが話されていることが明らかだからです。まず、センターへの費用を払うのは親であること、その親を説得し、脅かすのだという今となっては忘れられてしまったJUKU産業の鉄則を、片桐の歯に衣着せぬ言葉は常務や社員たちの脳裏にまじまじと思い出させてくれるのです。閣下、なんということでしょう。ここでは、『脅迫』のあの心理戦が教育をとおして白昼どうどうとおこなわれているのです。
 かつて、そのセンターを他の私jukuと同じようにビルからビルへ部屋を借り運営していたとき、彼、すなわち片桐はある鉄則のようなもをつかんでいったと聞いています。それは、当然のことですが、地域性と産業とは大きく結びついているということです。特に、このJUKU産業の場合、不況地域であればあるほどその運営は旨くいくのはなんとも皮肉なことです。親の子どもへの期待は、自らが労苦を嘗めれば嘗めるほど、その都度大きく膨らんでいくかのようなのです。当然、それに見合うだけの代償もありますが……。同業相犇めく過当競争がそれです。そんな場所には、昔ながらの個人経営の根を張ったjukuが少なくないのです。代表は若い時分、それらを容赦なく包囲し根絶やしていったと聞きます。
 まず、さしずめ派手で、しかもすっきりした堅さのある文句で宣伝広告をやったあと説明会を開き、その後の第一陣乗り込みでは、今と同様徹底した個人指導を行ったと調査には明記されているのです。けっして現在のように華やかでないビルの一室を借り切り、生徒が一名であろうが二名であろうがその時講師は、つきっきりで指導していったそうです。もちろん、そのころセンターの職員は今ほど多くはなく、学生や一般者を講師としてそれに見合った賃金で雇い、五対一の比率で保たれていたと聞いています。子どもを指導していく場合、少しでも上のクラスへの進学が可能な子に対しては時間を惜しまず、深夜まで授業はつづけられるのがこの業界の常識とも言えました。確実に本人の成績を上げること、あるいは本人の希望する中学、高校へ合格させることが先鋒耕し組には義務づけられているのです。
 実績が一つ増え、二つ増えしていくうちに各々の口コミや評判によって、生徒数も十人、二十人へと増え、ある程度各学年の人数が満たされ、その地区での経営に見込みがついてくると、今までの個人指導からその内容は一変します。徹底したスパルタとできるだけ組織だって見せるためのテスト攻め、データー攻めです。テストは、毎週各教科ごとに行われ、その頃契約していたコンピューターの別会社によって各地区ごとに集計され、割り出された得点や偏差値が棒グラフとなって送られてくるのです。子どもたちは、毎週それを受け取ることにより、学力が前の週に比べどのくらいついたのか、一目でわかるようになっていて、同時に配られる全国版成績順位表に早く自分の名前を載せることが、センターの中でも特に「出来る」子どもたちの願いであると言っていいわけであります。

1件のコメント

  1. ワンタッチOCR

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    コメント by 飛語宇理日記 — 2007年4月3日 @ 9:24 PM

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