「共」に「生」きる。 in 阿蘇

今さら……、かもしれませんが。

今さら50年近く生きてきて、書くことでもないのですが、当然、人それぞれにその日、朝起きて、夜寝るまでの間で、あれこれ心に引っかかったり、感覚がときめいたり、がっかりしたりする箇所ていうのは、各自で微妙に違うわけですよね。
ということは、この半世紀もの間、私は、他人だったらどうでもよくて素通りしているものを、へんに見捨てることができず、ポケットの奥に隠し持って帰って確かめたり、反対に別の人だったら飛びついてかぶりつくようなものに全然興味も示さず、それどころか睥睨するような態度で足蹴にしてたりと、そんな相違の中で生きてきたわけですね。
それってよくよく考えれば、とてつもなく恐ろしいというか、よくぞここまで生きてきたなという感慨も含め、これから先もまだ続くのかと思うと、なんとなくもう責任が持てないよなっていうか、変に重苦しい感じが最近しています。
で、今、試みようと思ってやっているのが、その逆に、自分はどんなことに、どうでもいいというか、あまり関心を示さず、忘れ去ろうとしているかを考えてみています。
するとですね、意外に、そちらにこそ自分自身が元気になりそうな貴重な体験の素があるようにも思えるのです。
まず、朝、メンバーを迎えに行くと、登校中の児童が「あっ、ミヤモッちゃんだ!!」と車に寄って来て、ハイ、タッチをしてくれました。これはそういう思考をしなければ既に忘れてしまいそうになっていた出来事です。それから今度はパンの配達の帰り、中学校に勤務しているALTの外国人講師でよくすれ違う女性がいるのですが、「ハローッ」と声をかけると西日が強く照りつける中、微笑んでくれました。
これらは、まあ、さり気ない挨拶の様子で、私にとってはやっぱりこうやって意識して振り返らなければ忘れちゃうことです。夢屋のメンバーたちとの挨拶もどんなふうにしたのか、いつもと同じパターンなこともあり、記憶は消えつつあります。でもそれは、あくまでも繰り返しますが私の場合であって、人によってはこんな何気ない日常を、けっこう印象にとどめ長時間、忘れずにいる人もいるわけですよね。そう考えれば、けっこうこの50年、もったいないことをしてきたのかなとも思います。
何せ私の場合、うまくいかなかったこと、つらかったこと、不安なこと、これからどうなるか心配なこと……、そんなことがやたら心の大部分をしめてしまいがちで、それをどうやったら解決できるか、本を読んでヒントを探したり、ぼやいたり、つぶやいたり、書きとめたりと、そうやって大方を過ごしてきているように思えます。
物事を楽しんだり、些細な人と人とのやりとりを愛しんだり、というのがやや苦手というか、若干、感覚が弱いんですよね。
でもこんなことを考えるようになったのも、50歳まであと一年という今になって、どこか自分でも気付かないような部分に変化が生まれてきているのかもしれません。
ああ、そうそう、さっき小学校へパンの配達に行った時、ミユさんがスリッパをもってきて、コウキさんを背中から抱きかかえるように歩いていた私の足元に差し出したのを思いだしました。これも、大切な一コマですよね。

コメントはまだありません

TrackBack URL

Leave a comment