「共」に「生」きる。 in 阿蘇

『夢屋だより』 2018.2/27発行・向春号(109号)からの文章です。

〝冬来たりなば、春遠からず〟向春のご挨拶をさせていただきます。 
「夢屋」代表 宮本誠一
今年の冬は例年以上に寒く、インフルエンザの流行もさることながら、北陸を中心に大雪の被害も多くあったようです。私も阿蘇に来て25年になりますが、朝の送迎時や夕方の冷気がかなり身に沁みました。皆様も体調を崩されたり、風邪をめされ大変だった方も多かったのではないでしょうか。まだまだ寒の戻りも予想されますので、どうかくれぐれもお気を付け下さい。
そんな中、夢屋に関する出来事では二つの大きなことがありました。一つは古田弘子教授からのご依頼で、1月19日に熊本大学の『現代教育を考えるB』という一般教養の講義にゲストティーテャーとして呼ばれ、184名もの学生を前に、一時間半にわたりメンバーたちが自分たちの言葉で日頃の夢屋の活動や一人一人の生活の様子について語ってきました。受講生の皆さんの感想は6、7ページにほんの一部ではありますが、抜粋したものをお載せしております。私もすべて目を通させていただき、メンバーの生き生きした姿がかなり印象に残ったようで、それまで障がい者に抱いていたマイナスイメージがプラスへと変わったというものが多かったようです。中には他県から熊本へ来て、「夢屋」というところを知ってとても勉強になったと率直に述べられている方もおられ、夢屋を続けて来てよかったなあとしみじみ思うとともに日頃から支援して頂いているお客様、行政関係者、地域の皆様のおかげとつくづく感謝した次第です。
そして次の出来事が2月6日、これまで夢屋が大変お世話になってきた竹原幸範さんがついに念願の満100歳を迎えられたことです。思えば熊本地震一週間前に緊急に日赤病院へ入院され、その後数度の転院を含め紆余曲折ありながら、阿蘇市地域医療センターで無事、百寿を達成されましたことは喜びに堪えません。当日は佐藤市長を始め市役所職員、甲斐医院長も来て下さり、市と内閣総理大臣からの表彰がありました。若き師範学校時代は投擲と棒高跳びで九州制覇、教員時は優れた音感で音楽教師として活躍、校長では〝竹原土建〟の愛称のもと阿蘇北中や一の宮中の開校や移転の折り校庭整備に手腕を発揮、退職後は阿蘇町文化協会、阿蘇の自然を愛護する会、阿蘇少年少女合唱団と次々と文化の活動拠点を設立し、初代会長や団長を長きにわたり務めてこられました。役職を退いた後、自伝『前向きに阿蘇住まい』をまとめられ、編纂などの協力で私が親しくさせていただいたのはその頃からです。その後夢屋の移転の際、親身になって相談にのっていただき、土地の無償貸与を申し出て下さったときは感涙に堪えませんでした。あれから十年あまり、微力ではありますが、菜園づくりや散歩のお供、読み書きを含めたリフレッシュのための体操の補助などをさせていただき、ついに皆様の温かな祝福のもと、百寿を迎えられ、ご本人の努力もさることながら、愛に満ちた献身的介護を続けて来られたご家族に心より敬意と御祝いを申し上げる次第です。本当におめでとうございました。
それでは2月と3月の行事をご紹介させていただきます(予定を含む)。
2/19 山田小学校3、4年生(10名)との交流学習。
2/26 山田小学校5、6年生(13名)との交流学習。
3/21 山田小学校卒業式のお祝い菓子づくり。
芽吹きとともに皆様に、さらなるご健康とご多幸が来たらんことを祈念しております。

♪『久し振りの熊本大学』        ☆中島 地利世☆
また1つ新しい年が明けまして、2018年の「夢屋」が始まりました。
早速 依頼が入っていて、今年1番の行事は、1月19日に2度目(前回は2009年の7月7日)となる「熊本大学」にゲスト講師として、皆で行って来ました。
今回は大学という事で、いつも地域の小学生や中学生の人達と楽しく学ばせて貰っている時とは緊張感がかなり違って、当日まで何度も何度も原稿を読み返したり、自分の頭の中で予行練習してみたりするのですが、どうしても気持ちがザワザワして落ち着く事ができませんでした。(苦笑)それでも今回は、下村さんも一緒だったので、すごく心強かったです。まず、下村さんの新しい相棒である 盲導犬の「ロダン」に初めましての挨拶をして、ロダンもベロベロと、私の顔や手を舐めて返事をしてくれました。
2台の車に分かれて9時半に出発し、久し振りに行く市内は地震の影響で、道順が以前のコースと違うので、結構…時間がかかるかなぁと思いました。
大学に着くと、すぐに「くすの木 会館」というところに行き、ちょっと早い時間でしたが、
まず食堂に入り先に昼食を済ませる事になりました。
学食で食事をするのは、初めてではないのですが、注文の受け取り方とか忘れたので、学生さんが一緒にいて色々とお世話して下さって、とても有難かったです。昼食後、授業が始まるまで控え室で待ちました。そこでさらに、もう一人お世話してくれる学生さんが増えて、皆、楽しそうに雑談していました。
私は、時間が近づくと体が震えだして、自分の自己紹介すら考えがまとまらなくなってきたので、自己紹介の内容も紙に書いていると少し落ち着く事ができました。
いざ教室に入ると、およそ180人もの生徒さんがいて、最初に古田先生のご挨拶やご説明から始まり、授業が始まる前にまず皆さんで、歓迎のご挨拶を手話でして下さって嬉しかったです。
講話は、自分に順番が回ると口元が若干 震えながらも何とか全部お話できて、終わると汗だくになりましたが、ホッと一安心して力が抜けました。
古田先生の授業は2回目で、当たり前の事を大袈裟かもしれませんが、やっぱり、堂々とされていて余裕を感じるのでとても素敵でした。
授業が終わって、赤レンガの建物「五高記念館」の前で記念写真を撮る為に移動しました。
そこまで行く時、自転車で移動する人が多くて交通路の真ん中を歩いているようで、後ろから来られると聞こえないので、ちょっと怖かったです。
記念撮影も終わり、わざわざ駐車場まで見送りして下さった学生さんと握手してお別れした後、お疲れさま会という事でモスバーガーショップに寄りました。無事に終わって、気持ちに余裕があるからか、前に食べた時よりも何倍も美味しく感じました。
最後に,前もってわざわざ阿蘇まで打ち合わせに来て下さったり、その内容どおり色々と準備して下さった古田先生、本当にありがとうございました。そして、おつかれさまでした。
今年はいよいよ40代のドアを開く歳…、今まで以上に健康第一で頑張ります。

熊本大学へ行ってみて。      下村 津代
大学へ行くのは初めてでしたので、どんな感じの所かなと興味をもって、でかけました。自分としては、きっとにぎやかで派手な雰囲気なんだろうなあと思っていましたら、校内を歩いていても、また食堂で食事をしていても静かな感じで、質素な印象を受けました。ただ、学科が多いせいか、教室へ向かう時もけっこう歩かなくてはならず、敷地が広く、校舎も多いなあと思いました。古田教授も大変ハキハキした方で、いろいろ気さくに話しかけて下さり、ありがたかったです。いよいよ教室へ入ると、当然ですがこれまで何度か行った小学校とは違い、どよめきのような浮き立つような反応は返ってはきませんが、とても真剣な眼差しと、講話に対してもしっかり耳を傾けておられる空気が伝わってきて、やはり大人の方たちだなあと感心しました。それにしても今回、大学で話す機会が持てたことは私にとって貴重な体験になりました。本当にありがとうございました。

1月19日、ゲスト講師の講義を受けた熊大生の感想からほんの一部ですが抜粋し、ご紹介させていただきます。受講された全ての皆さん、本当に温かなお言葉ありがとうございました。

●夢屋では一人一人の気持ち、生き方を一番にし、優先していることがわかりました。全員を受け入れ、知ろうとする姿勢を持ち、共生社会を自然と形成している様子が伝わってきました。そのためか、夢屋で働いている皆さんの感性が豊かで素直で、思ったことを自由に発言する環境が整っているように思えました。
●10か月以上、日本という国で日本語を勉強し、文化体験をしながら最初の心構えと意欲は消えました。授業を聞いても集中できなかったし、私は勉強したい日本語と文化についてすべて学び終わったという安易な考えをしていました。そして留学のすべてが飽きていた状態でした。しかし今回の授業に来て下さった方には一日一日の日常に感謝し、社会人として誇りを持って生活していく姿がとても素敵でした。豊かな家庭環境で留学までできた私にとって大きな衝撃を与えました。(中略)外見だけ気になる現代社会人に投げるメッセージのように感じました。
●「自分を受け入れてくれる人たちに初めて会った」という言葉を聞いて、ありのままの自分を認めてくれる人たちがどれほどいるだろうかと思いました。
●今回、当事者の人々の話を聞いて、自分が思っている「普通」とは何なんだろうと考えさせられました。正直、障がいがある人は自分とは違う、日常生活を送るのにすごく支障のある人と言う認識がありました。しかし、今回講義を受けて、日々何を考えているかを知って、全然私たちと変わらないなと感じました。むしろ日常の中に楽しみをそれぞれに見つけていて、私より楽しく過ごしているなと思いました。
●私は授業時間の前にご一緒させていただきましたが、実際に障がいを持った方々とお話するのは初めてのことで緊張して、全然発言やお手伝いができなかったことを本当に申し訳なく思っています。お話や講演を通して障がいを持った方々に対する考えが大きく変わりました。(中略)「障がいを持っていても健常者となんら違わない」ということです。もちろん日常生活の中で何らかの支障はあると思いますが、私たちと同じように考えて同じように生活を送っているということがお話から伝わってきました。
●中島さんが「夢屋の人たちと関わるうちに心が強くなり、色々な人と積極的に関わっていけるようになった」とおっしゃったのを聞き、やはり大切なのは周りの人の障がいのある方への関わり方や環境づくりなのだと実感した。「具体的にはどのようにしていけばいいのだろう」と私が考えたとき、宮本さんの「普通に」関わるのではなく「差別しないように」関わるべきだという言葉が聞こえ、「なるほど」と納得しました。「自分の中の普通」で関わろうとすると無意識のうちに差別をしていることもありうる…。これは恐ろしい落とし穴だなと思いました。
●何より印象に残ったのは知的障がいの方々は日常の生活の中で感受性が非常に豊かだと思ったことである。一日の生活の中でもこと細かなことに気づき、将来に対する夢を持っていることに大きな感銘を受けた。この講演を通して夢屋に限らず障がい者、社会的弱者が私たちと同じように過ごすことができる生活のシステムの構築は重要であることを再確認し、それに対する課題と現状を明確にすることができた。
●私は今回の講義で「夢屋」の皆さんのお話を聞いて今まで自分が障がいのある方に対して持っていたイメージが覆されたように感じました。今まで私は、障がいのある方はサポートを「受ける」側であると漠然と考えていました。しかし夢屋で仕事をされている方は、自身も知的障がいや聴覚障がいのある方も家族の介護や他の従業員の方のサポートもしっかりされているということを知り、驚きました。またそういった方々の生活の様子を把握するため各人が日記をつけたり工夫されていることを知り、サポートする側の人もあまりその人の生活に介入しすぎないことが重要であり、それがその人の自立へとつながっていくということがわかりました。
●今日のお話を聞いて、自分が今まで障がいのある方に対して考えていたことは決めつけでしかなかったのだと思いました。私は障がいのある方に対してかわいそう! とか生活での苦労で、なかなか楽しめないんだろうなと思っていました。しかしお話を聞いてみるとパンフレットを集めたり絵を描くのが好きなど、皆さん趣味や夢を持っていて、そのために一生懸命に努力しているのはかっこいいと思いました。
●「ピーターパンになりたい」という気持ちから寄り道をする。とても素直ですてきな理由だと感じました。そういえば私も小学生の頃、公園で遊んでいたとき、「トトロになりたいなあ」と思っていたことを思い出しました。
●ミサキさんの話を聞き、一番印象に残っているのは「~しないと~になります」と言う言葉である。とても素敵な言葉だと思う。これを心の中に覚えているなら、「時間が間に合わない」や「そうすれば良かったのに」などの事態は避けられるし、言わなくなるだろう。また彼女が非常に充実している生活を送っていて、自分も見習うべきだと思っている。
●「障がいがあっては車の運転はできないだろう」とみくびったような考えを今までしてしまっていて、すごく申し訳なかったし、恥ずかしく思いました。
●体のどこかに障がいがある人はその他の器官でそれを補う、という話を聞いたことがあり、例えば目が見えない人は聴覚が鋭敏になり、脳に障がいがある方は絵が上手だったり芸術面で素晴らしい才能を発揮することがあると聞きました。見せてもらった絵はすばらしく、この講義で今まで聞いた話の中でも最たる例だと思いました。
●日常の話を聞いて、規則正しく自らのしたいことにちゃんと取り組んでいる生活を送っているなあと感じ、一般の人々よりもずっと人間らしく生きているのではないかとさえ思いました。
●4人の方のお話を伺って、皆さん個性にあふれているなあと思いました。
●視覚障がいを持っている方の話で、いじめをうけていたときの対応としてずっと無視し続け、何のリアクションもとらなかったと言うのを聞いて、強い人だなあと感じました。
●目が不自由で盲導犬を連れた人が今まで身の周りにいませんでした。講義の前に歩かれているのを見て盲導犬がおとなしいのに驚きました。さらに二人の信頼関係も見えました。横断歩道を渡る際に、音がないと不安だとおっしゃっていて、確かに便利な世の中に思えても実は、まだそうではないんだと感じました。横断歩道以外も日常生活では危険は沢山あるので、もし目の不自由な方を見かけたら声をかけようと思いました。
●実際の障がいを持っている人の声を聞くことができたのは、とても貴重な体験だと思った。

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