「共」に「生」きる。 in 阿蘇

おおづよごさんから、感想をいただきました。

11/2にトライトーンと出会った者です。
トライトーン、読みました。
「がんばれ」という言葉、普段の障害児とのかかわりの中でよく使ってしまっている言葉だったな、とか、もし自分が木村だったら、殴りかかったトオルに何と言い、車に乗せただろうか、とか、孔のつばはきに対して自分はどんな対応をするだろうかなど、日々のかかわりを振り返り、考えさせられました。
また、「あとがき」を読んで感じたことですが、普段私は、きっとできると信じる思い、そして、実際に相手ができた時、その時こそ、お互いに喜びを共有しあい、よりよい関係が築かれる瞬間ではないかと思っています。しかし、「信じる思い」のみでは、相手は負担?になることもあるでしょうし、もしくは相手が「できた喜び」を感じていても、一方では「当たり前?」程度しか感じられていない時には、何も生まれてこないのではないでしょうか。(しかし、私の場合、実際の日常生活の中で、このような場面がきっとたくさん起きていることでしょうが)片方だけでは成り立たない、だから「コミュニケーション」なのかな、と思いました。そして、言葉では簡単に言い表せても、実際は奥が深い、「偉大」なものだなと感じました。
ぜひ、職場でも「トライトーン」を紹介したいと思いました。
Posted by おおづよ at 2006年11月11日 00:17

コメントはまだありません

TrackBack URL

Leave a comment