「共」に「生」きる。 in 阿蘇

大阪のアンドウさんから夢屋だよりのお礼のメールいただきました。いつもいつもありがとうございます。

夢屋のみなさん

「夢屋だより」ありがとうございます。まず、90号、すごいですね、あと2年ばかりすると100号ですね。手づくりのあたたかさ、いつも伝わってきます。イラストもこころに届きます。でも、スミレのよこのほうにいる“白身” 思わず、笑ってしまいました。 

中島地利世さん「またまた偶然の再会♪」 なんとなく小学生の看護師さんを想像してしまいますが、新人の看護師さんで、専門の勉強もしたかたでしょうが、なんとも初々しくて、話が弾んでいる様子が読んでいるこちらまで、たのしくなってきました。素晴らしい出会い、中島さんや一緒にパンづくりをした少女のピャアーな心が嬉しいです。 

池邊美早さん「あっという間過ぎた4年目」チョコベベってなんですか。でも、なんとなくわかります。いろんな経験をして、着実に進んできたんだなと思いました。ボールペンでのヘビの年賀状どんなだったでしょうか。4年目、人から言われんでも、自分で拭き掃除が出来るようになりました。成長のあとですが、「言われんでも」という言葉の柔らかさ、ぼくはすきですね、こんな書きかた、話し方。 

井上拓郎さん「10年目を迎えて」同じことを続けることのむずかしさと、変わらないことで、こころは安らかになっているのでしょう。でも、その間にも、夢屋の場所が変わったり、集中豪雨や駅に職員がいなくなったこと。それを見つめながら、井上さんは夢屋に通っておられるんだなとわかります。 

「ユウキ&マイ日記」いつもユウキ君とマイちゃんの活躍と夢屋で中心にいる二人が伝わってきて、たのしくなります。 

Tさんの「編集後記」ぼくはここ一ヶ月ばかりまったく新聞を読まなくなりました。でも、何なくやっています。自分の足もとだけを見ています。

今日読んだばかりですが、1世紀に生きたエピクテトスの言葉がぼくの胸にしみわたりました。「ソクラテスは……自分のでくわすすべてのことに、理性以外のなにものにも注意しなかった。きみはたとえまだソクラテスでないとしても、少なくともソクラテスたらんとしているかのように生きるべきである」(エピクテトス「要録」より鹿野治助訳)

アンドウ

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