「共」に「生」きる。 in 阿蘇

熊日新聞(11/15)に、シリーズ~『「孤」を生きる』~で一人暮らしの高齢の男性をテーマに福井一基記者の記事が掲載されていました。


熊日新聞(11/15)に、シリーズ~『「孤」を生きる』~で一人暮らしの高齢の男性をテーマに福井一基記者の記事が掲載されていました。まさしく他人事ではありません。長らく明治以降の「家」制度を基本とした旧態然としたシステムのもと生活全般や両親を始め家族の介護など、負のスパイラルの比重の多くを「家族」という単位に担わせた結果、その中でのヒエラルキー構造、または役割分担のもと「長男」「長女」さらには「妻」という階層的段階での負荷とその限界がここにあるのではないでしょうか。〝差別化に支えられてきた構造の裏側の実態〟が待ったなしに基本的な最低限の生活さえ脅かし始めていると思います。「一日一日を終わらせるだけ。布団に入ったら不安でしょうがなくなるので、何も考えないようにしている」この言葉は自分自身とも重なります。「どうにかなる」と若いころは耳当たりのよかった科白が最近では「どうにもならん」「なるようにしかならん」というこだまを携え、呪いのように跳ね返ってくる日々です。分厚い中間層、もしくは血縁に過剰に頼らなくてもいい社会的コミュニティをつくることが緊急の課題ではないでしょうか。(夢屋代表 宮本誠一)

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