「共」に「生」きる。 in 阿蘇

東日本大震災から14年、改めまして犠牲者への追悼と被災された方々、そして今もなお避難を余儀なくされている方々へのお見舞いと一日も早い復興を祈りたいと思います。

あの2011年3月11日のことは今なお鮮明に覚えていますが、同じく2011年の5月に発行した『夢屋だより』(新緑号)の代表挨拶で記させていただいており、当時の思いを忘れないためにもここに再掲載させていただきたいと思います。
~地域活動支援センター「夢屋」代表   宮本 誠一~
3月11日、私たちはいつものようにパンづくりをし、丁度、宮地小学校へ配達していました。私は、調子を少し落としていた康揮さんと車で待っていると、配達してきた地利世さん、深雪さんが、先生たちが皆テレビのところへ集まっていて、自分たちが職員室へ入っても最初気づかないくらいだったと言います。すぐに車のラジオをつけるとアナウンサーの動転した声、どうやら地震があったようです。これは相当大きな地震に違いないと、康揮さんの家につくや(お母さんがお仕事から帰られるのが遅い時、いつも三人で待つようにしています)テレビをつけ、画面一杯に広がる家屋や車、美しい田畑がいともたやすく濁流に押し流されていく姿に我が目を疑いました。これは映画の一コマではないか? でも悲しいことに、それは起きてしまったのです。
その後、一週間ほど、配達の先々でお客様と交わす言葉は、重苦しい中にも、お互いの健康や暮らしの無事の有りがたさを思い、これからも元気にやっていきましょうね、といった内容でした。おそらくその言葉の裏側には、自分たちの無力さもさることながら、被災地の方たちへの溢れるほどの思いがお一人お一人の苦渋の表情の中に込められていたように感じます。
言葉は確かに無力かもしれませんが、改めてこの場をかり、被災地の皆様へ、心からのお見舞いとお悔やみを申し上げたいと思います。

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