「共」に「生」きる。 in 阿蘇

ミヤさんの家では、中学二年まで、海苔漁をやっていたのでした。

網からとってきた海苔を、スノコにはりつけ、それを枠をとった木にはめこんでいき、通称「乾燥釜」(乾燥室)に設置されたモーターで回転する機械にかけ、乾かすのです。もちろん、天気のいい日は、外にも干していたのを記憶しています。 […]

実家の畑も、白菜、大根、にんじん、ネギとたくさん実っていました。

さっそく収穫し、夢屋に持って帰り、メンバーたちとの新年の食材として役立ってくれます。健康で畑仕事をしてくれる両親に感謝、感謝です。

小学校六年のときに建った体育館は、そのままの姿でありました。

  かつて学んだ小学校も、どっぷりと夕もやに包まれていました。

玉名を過ぎる頃は、日が西に傾き、新幹線の高架橋が長く田園を貫いていました。

        新しいバイパスが通り、2011年の鹿児島ルートの新幹線開通に向け、交通網が整備されていました。

12月30日に阿蘇から荒尾へ出発したミヤさんは、まずは、いつものように今年たいへんお世話になった関敬さんにご挨拶をしに、菊池恵楓園へ向かったのでした。

      関さんから、とれたての大根や人参をいただきました。ありがとうございました。