ある水曜日のことだ。社長がめずらしくきげんがよく、「きょうは、はやくかえっていいぞ」と言ったらしい。ちょうどその日は、自分の息子の誕生日だったらしく、勇次たち三人は、残業日にあたっていたが、社長のその言葉をそのときは誠意とうけとり、五時半に仕事をおえ、かたづけとそうじにとりかかった。
つぎの木曜日、もちろん残業日にあたらない、その日とおなじ時刻にかえれる日だ。とうぜん勇次たちもそのことをまったくうたがわなかった。
ところがつぎの日、「おい、昨日ははやくかえったんだから、今日はのこっといてくれよな」
表情もかえずすました顔での、社長のひと言だった
三人はきつねにつままれたように目を見合わせしばらくだまってしまったそうだ。しかし思えばそれもこの社長にとっては当然かとおもえる言葉だ。
坂本と北沢は、『社長、それはおかしいんじゃないですか』という勇次の言葉をまった。勇次がおそらくはなにか言ってくれるという予感もあった。
ところが勇次はだまっていた。二人は不満をもった。だが、あとでふたをあけてみるとそうではなかったことがわかった。事務を手伝っている社長の娘の佳子が坂本におしえてくれたのだ。佳子は、父親にはないしょで坂本とつきあっていた。
勇次はひとりで社長に話をもちこみ、今後二度とこんなことがないようにという約束までさせていたのだ。人目につかぬところで、ひとりで行動する美意識がかれのなかにはあり、かたい決意のようなものが感じとれた。事実、それ以降、社長の横暴な業務の延長はなくなった。
「うちのお父さんも言ってたわ。あいつの目を見ているとこっちにウムをいわさずこわいときがあるって」
佳子は、シャッターもしめおわり、勇次のそのときの態度が納得できないと彼女に話し、車に乗りこもうとする坂本に、 「あなた、なんにも知らないのね」呆れながらおしえてくれたのだ。坂本は、あらためて自分たちが、勇次のほんとうの姿を理解していないことに愕然とさせられた。