「共」に「生」きる。 in 阿蘇

『缶詰屋』その六

 社長も、例のようにいつのまにか事務所に消え、佐伯が、いつものように工場をしばらく見学し、去ろうとしていたとき、一台のベンツが、横づけしてきた。滝川という、営業だけを専門にやっている男だ。かれは、後天的なハンディのもち主だ。 学生時代、山岳部にぞくしていて、北アルプスを走破しているとき、事故にあった。谷からころげおち、ワイヤーでしばらく宙づりになったあと、ふたたび落下し、奇跡的にたすかった。脊髄損傷による下半身不随というハンディがそのときからかれについてくるようになった。さいわい、当時からつきあっていた女性もいて、相手は、車椅子に世話にならなくなったかれを見ても、それまでの関係を絶とうとせず、それどころかかれの自立にむけてひたむきに協力してくれた……、かに見えた。 ところが、ある日、とつぜん滝川の目のまえから姿を消してしまったのだ。
 「けっきょく、すぐにはなれれば、世間の目もあったし、できなかったのさ。いや、もしかすると、実際、下半身不随の俺とつきあってみて、つかれてしまったのかもしれないな」
 それ以上、滝川はあまりしゃべらない。
 その後、かれは、上半身がしっかりしていれば運転できる改造車のことを知り、両親を説得して買ってもらい、それをつかい自分にこそできる車椅子の営業の仕事を福祉事務所の便宜で紹介してもらった。もともと活動的だったかれは、車で外に出ることが可能になると、もっていた力を発揮しはじめ、その後あれよあれよというまに営業成績をあげ、いまやついさきごろまでアメリカで使用されていたベンツの改造車に乗りこみ、西へ東へうごきまわっているのだった。
 「山ちゃん」
 滝川は勇次のことを親しみをこめそう呼んだ。
 「こないだ納車したやつ、すこし右まわりするとき、板のねじが一か所だけ指の甲にすれるところがあるって」
 顧客の女の子は、重度の肢体不自由の障害者だ。母親につれてこられ、納車したとき二人は、うれしさのあまり泣いていた。親の泣く姿は、勇次はよく見かけるが、本人がポロポロと涙をながすのはめずらしく、勇次もさすがに胸があつくなるものを覚えた。
 「どっちみちあの子の場合、少しつかってもらってから修正しようってかんがえてたから、見てみるよ」
 勇次は、仕事の手をやすめ、ゆっくり滝川の方に歩みよりながら言った。
「すまん、すまん。おれがもうすこし、きいておけばよかったんだけど」
 勇次は、そうやって金にならない仕事をよくやっていく。社長がもし、今のひと言をきいたら形相をかえ怒るにちがいない。
 「ひとつガワ板やりなおすのに、どれだけかかると思ってんだ。ねじがすれるぐらい大したことじゃないだろう」
 しかし、一か所でも突起物があることは、自分でコントロールできない肉体をもつ者には重大な問題だ。いつもそろばん勘定しかしない社長を見ていると、勇次たちは、ほとほと愛想がつきてしまう。
「社長、この車椅子、こんなによろこんでくれてるんだからタダでやったらどうです?」
 そう言いかえせるものならやってみたい。勇次たちはいつも一工員にすぎぬ自分の立場を思い、にがい思いをかみつぶしている。
 滝川がきたのは、あたらしい車椅子の発注をしにだ。
 ベンツの後部座席に、年が十六前後の男の子が乗っていた。滝川は、気さくにみんなにその子の名前を紹介した。男の子は、勇次たちに車から降りるのを手伝ってもらいながら、いままでつかっていた車椅子もトランクからだしてもらいすわった。
 無口かとおもわれた少年だったが、工場の雰囲気にも慣れ、時間がたつにつれ饒舌になった。
 自分の生活や、アメリカやヨーロッパのことを熱心に語りはじめた。
 母親の知ってる友人でアメリカにいっていた人間が、むこうでは自分が障害者だということをわすれたことをを感激しながら語ったらしい。だれもが自然に手をかしてくれ、視線も気にならなかった。施設設備もすばらしい。ところが、日本にかえって空港についたとたん、ああ自分はやはり障害者だったと思いしらされたという。
 「どんなところが、ちがうんだろうね」
工員のひとりでもあるかのように、北沢のとなりに立っていた佐伯が、いじわるげにたずねた。
 「ここがっていうときりがないけど、とにかく障害者に対するかんがえ方がそもそもちがうんだよ」
 「そもそもって?」
 佐伯がさらにきくと、そんなことわかりきってるというように、まわりにいる顔をまじまじと見つめた。
 佐伯は、つぎの日、ひさしぶりに缶詰屋にいた。
 車椅子工場の工員のなかにいても、やはり、かれはなじめないものを感じていたのだ。もちろん営業の仕事をやっているだけでは得られぬなにかがいつもそこにあるのは否定できない。だが、今日、このやすみの日に、缶詰屋にわざわざ足をはこぶものがなんなのか、わかるようでわからない。
 「ああ、どうも」
 佐伯の顔を見ると、缶詰屋はほほえみながらかるく会釈した。佐伯の手にひかれたふたりの子どもの表情は、まえとおなじだ。 缶詰屋は、以前きたときよりもかなり店らしくなっていた。佐伯を少しおどろいた。
 「やっぱり、少しずつやってたんですね」
 「ええ、そりゃまあ、あれじゃあ、仕事になりませんから」
 缶詰屋は、佐伯が言ったことが店のつくりのことであるとわかると、にが笑いしながら答えた。
 「なんとかなるもんですよ」
 佐伯は、ホッとした気分になった。

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