「共」に「生」きる。 in 阿蘇

『島』・その三

               謎
 男に案内されるままに、彼は島の中心寄りにあるという、この島の最近の様子を聞くには最も適人であろう、タケダという男のところへと向かった。
 タケダの存在をこのとき彼は、初めてこの男から聞いて知ったのだが、それもそのはずでタケダは三年前にはこの島にはいず、ちょうど彼たちが調査にやってきていたそのすぐ後に入れ代わるように島にやってきて住み着き、島の海岸沿いや畑のあたりをぶらつきながら小魚や季節折々の作物をいくらか安くしてもらい、自ら、空き家になった漁師の家を手に入れ島のどちらかと言えば中心に近い丘ぞいに立て替えたその場所で生活しているというのだった。がらくたは、やがて暮れかかった影のような木立ちに遮られた薄闇の中で、ぼんやりその向うから洩れ出てくる日に照り返っていた。だが、彼には、男が言ったように白くたしかに羽を広げ、今にも飛び立つかのような気配をその白い物体の中にに見つけることはできなかった。
 彼にとっては、やはりそれは、ただのがらくたに過ぎなかったのだ。太陽の位置が充分弧を描きながら海面近くへとなり、反射を強めることもなくその日自身にのまれ不確かなものへと自らその輪郭を変えてきていることだけは、彼にも今、はっきりうなずける事実だった。「あんまり長居は無用ですぜ」タケダの家の前にくると、男は彼に一言言ってもと来た道とは少しずれる角度と思われる竹藪とがらくたとが半々くらいに混ざりあい溶け合ったように位置と距離を保ち合うその中へすっぽり足を踏み入れ、姿を消していった。彼は一人残ったことに多少の違和感を持ったが、その違和感が周りと簡単に同調しようとしてもあまりできない自分自身知っている彼の性格からやって来ていることに薄々感づいていた。彼が何度か、目の前の戸を拳で叩いたとき、古びた材木と板で外に向かって少し反り返ったその扉は心なげに僅かばかり軋んだようだったが、すぐにその向こうからゆっくりとした足音が伝わってき、やがて目の前を隔てていたものが頼りない音を低く鳴らせ開いた。彼の足が入り込むぐらいの隙間の向こうに人影が見え、暗く沈みかかった家の中に残った光がつくりだすわずか数秒かの幻影のように、それはじっとして動かなかった。
 「だれだね」
 思ったより丁寧な応答に彼は、幾分緊張がとけ、この島にきてから終始無意識裡に一貫していた硬い表情をこのとき初めて弛めたように解いた。相手に自分の心意が伝われば、かなり良い結果がえられるのではないかという彼の考えがこの時、なんの前触れもなく湧上がってきた。
 「ちょっとお話が」
 彼は大胆に、ここに着く最初からそう決めていたように思いきりを出して、扉の隙間越しではあったが多少高揚に、それでも相手に悪い感情はあまり持たせないよう表情は抑えぎみで、冷静さを型どり訊ねた。
 「この島のことなんです。この島の……、」
 言いかけたとき、反応は向こうから返ってきた。扉は大きく内に開かれ、おそらく足を差し入れてもいいのであろう、その合図として招き入れられる形となった。彼はゆっくり体を移動させながら、同時に後ろ手で扉を閉めきり辺りを窺う姿勢をとった。外見はそうだったが、心情的には警戒心がそこに強く出ることはなく、初めて入る他人の家であっても彼にとっては、多少の緊張はあるにせよ、ごく普通の段取りにこなせられたことが不思議なくらいだった。
 タケダの表情は、暮れかかった外気とその闇につつまれかかった部屋全体の静けさと、その静けさが、やがては体のまわりに降り下ってくる重さと入り混ざったようで、それでいて、それらのおとずれと較べたとき、いくらか明るいものを持っていた。ただそれは、あくまで彼から見たときの場合で、あのがらくたを、生きたシロチョウなどと見るこの島の島民から眺められればタケダの目の前に佇む僅かに陰りを持つ顔がどううつるかは疑問だった。いや、もしかすると、島民たちは彼以上にこのタケダに深い思いを抱いているのかもしれない。島の外からやってきたよそ者であり、いつのまにか住み着いてしまったこの男を、この島の住民は羨望とどこか蔑視するような眼差しで見つめ、おそれのような気持ちをどこかにひそませ見ているとは言えないだろうか。きっとそれは、タケダにとり、自分にふりかかってくる随分余計なものであるに違いない。彼はそんなつまらないことを密かに、今、貴重な時間を費やしながら考えていた。彼は、簡単な自己紹介をし、そんなタケダの方に視線を向けた。
 「この島について、あなたがお書きになっている日記をぜひ読んでみたいと思いましてね」
 「ほお……」
 今度は、今までの態度から予想していたのとは逆に気のない返事が返ってきた。 「私の日記がそんなに役に立つのかな……」
 彼は、頷こうと思ったがすぐにその行為を考え直した。しばらくしてから、タケダが反対に訊ねた。
 「ところで、わたしがこの島の生活を日記に書いているなんて、誰から聞いたんだ」
 彼は、がらくたの中で出会った男の話をし、この小屋へやってくるまでの事の成り行きを話した。タケダは小屋の中にたった一つだけある窓とは言えぬような小さな採光口の前にその一部始終を聞きながら体を移した。既にそこには昼の光は散らばっておらず、闇の中にあいにくの曇り空か照らすものもなく、ただ空気が触れれば低い音を鳴らし落ちていく、そんな澱みに似た静けさを垂れ込ませているだけだった。タケダは、ゆっくりと彼の方を向き直した。
 「この島の者はわたしのやっていることは何でもお見通しのようだ」
 それから苦り切った顔で 「やはり、私をまだ『島民』とは思っていないんだな」と言った。
 彼は、暗闇の中に一筋浮かび上がったタケダの顔をその声といっしょに思い浮かべ、また目の前の像と結び合わせた。タケダの方もそんな彼のことを察してか、最近漁師からもらったというカンテラに灯をつけた。小さな明りが放射線状に伸び、辺りを小屋の広さからすると余分過ぎるほどに照らした。彼が動かず、ただそのままじっと背中を壁に凭れる格好でいると、それまで響いてこなかった鼓膜に何かの揺れが少しづつ微弱な音から徐々に大きさを広げながら伝わってきた。タケダと彼は、その正体が何なのか確かめるふうに、手も足も首もどこか反応を待つ受容器になったように先端を穿ったような構えた姿勢で待った。
 だが、タケダの方は、それはあくまで外面だけのことで実際のところ大した変化はとらず、それどころか押し殺しているのか謎のような落ち着きをいよいよ深めてきているかに思われた。
 彼自身、実のところ、一回目の、しかも突然のこのような訪問にあまり期待はしていなかったし、また男が言ったように長居しようとも、またその必要もないと考えていた。ただ彼は、タケダと出会い、タケダと自分との距離をお互いの記憶に残る程度に意識にとどめたかったし、それが何らかの形で次にやりとりを行うときの組みしやすさをもたらすと考えてもいた。そしてタケダの方も、彼が思ってもみなかった方向に言葉を紡ぎだすことはせず、あまりその後は口を開くことなく暗闇しか目にできない外の宙点をぼんやり見詰める姿勢となった。

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