「共」に「生」きる。 in 阿蘇

大阪のMさんから、ご丁寧な感想をいただきました。ありがとうございました。

本を受け取りました。
ハガキとともに、たいへんありがとうございます。
初めて『トライトーン』を読んだとき、作者はエバタのような障害を持たれた方と、勝手に思っていたので、正直、びっくりしています。
まだ書くことには教えてもらいたい身の私でよければ、思うままに書いてみます。
文体が読みやすく、自然なので、入ってゆきやすかったです。
なぜ?
と考えてみると、エバタとモン、二人の圧倒的な個性が、この作品の魅力と思います。
仕事をしながら、障害者の駐車場を守ろうとする何か、必死なエバタは、心の動揺をかくしながら、しっかり行動していく生き方に共感を覚えながら、涙ぐましい。
モンは、もっと素直で、かわいい。
シマウマを見て、「アフリカサン」と言えるような、子どものような心の表現をおしみなくする。
木須という二重人格のような青年がストーカーや、いきなりエバタの家を訪ねるなど、たいへんびっくりした。怒りをおさえられず、行動する。エバタにわざわざいやらしい報復をする。
こんな人もめずらしいけど、何か、そうする彼の背後にはどんな現実があるのかと、考えさせられます。
ストーリーが、思わず急ピッチですすめられます。
エバタが園の中でたてこもる事件の前に、栄光園というところがどんなひどいのか、小さなエピソードがあれば、彼の反逆する理由がわかるのでは?
「自己コントロール」という言葉を、園の中で平気で言う。職員が自分のためにつくった言葉なのか、園の中で障害者同士の差別があるためなのかが、わからない。
意味深い言葉なので、なぜこんな言葉が出てくるのか?
同時に、園の中では人が人をおさえつける、よく見えない矛盾を感じます。
描写する対象を、作者なりによくとらえ、文章にしているのは、うまいと思います。
最後の方の「採光だけは考慮されているのか・・・・鳴り響く」「ベランダに面したガラスの・・・・立像を映し出す」
というところ、よく描けています。
ただ、私にはよくわかりませんが、こられのシーンは、遠くで落ち着き、正確で繊細な作者の目を感じてしまう。
作者と主人公のエバタはちがう人間である。
作者はエバタの声を聞かなくてはならない。
エバタの目を通した描写、エバタが本当にそう感じ、見ていたのか?
なぜか、作者がそう見えた文章のように思えます。
それがいいか、悪いとかはわかりません。
私なりの疑問です。
現代は人と人との関係が遮断せされ、生きる意味がわかりにくい。
生きにくい世の中だと感じています。
日常的にそう感じる私は、作品のテーマも、すこしうつで、心弱い脆弱な自分の姿です。
私なりの感想なので、えらそうでしたらすみません。
また、これからもどうぞよろしくおねがいします。
感想がだいぶかんちがいしてましたら、また教えてください。
他の作品は、またゆっくり読ませていただきます。

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