「共」に「生」きる。 in 阿蘇

今年もいよいよあと二日。『夢屋だより』冬号の中からいくつか文章をご紹介させていただきます。

〇2016年も大変お世話になりました。今年最後のご挨拶をさせていただきたいと思います。
                  作業所「夢屋」代表宮本誠一
送迎やパンの配達で市内を運転していますと、家屋が解体された後の更地や、解体中の現場をよく目にします。そのたびに、内部や基礎の受けた損壊は相当なものだったのだなあと、外から見ただけでわからない地震被害の大きさに驚愕するとともに、思い出深い建物や家財の品々が撤去されていくのを目の当たりにしての家族の方々の心中を察し、只々胸が痛むばかりです。また最近、新聞で噴石による太陽光パネルの損害がかなり大きかったことも知りました。改めまして今年あった災禍に対して皆様に心よりお見舞いを申し上げたいと思います。
そんな中、夢屋はお客様や地域の方々はもとより、行政関係者、さらにはJDF(日本障害フォーラム)といった支援団体の皆様から格別のご厚恩をいただき、メンバー、スタッフともに大きな病気や怪我をすることもなく、日々の活動を続けられたことは感謝の念に堪えません。深く御礼申し上げ、またこの御支えを糧に来年へと繋げていけたらと思っております。どうか夢屋をこれからもよろしくお願いいたします。
それでは11月から12月までの行事等のご報告(予定も含む)をさせていただきます。

11/5スペシャルオリンピックス日本・熊本の馬術大会出場の皆様が『野菜ty(のなてぃー)』にご宿泊(14名)
11/12審査委員長として、阿蘇市読書感想文コンクールの『感想文』の発行をさせていただく。
11/14メンバーの下村津代さんと盲導犬のウルマ、宮本で阿蘇小学校4年生に講話。(感想は6ページに載せております)
11/17埼玉から「MCKコミュニティーぴーす」ご一行が『野菜ty』にご宿泊(7名)。
12/1阿蘇市人権フェスティバルで日頃の活動のパネル掲示とパン販売。好評のうちに完売。
12/6~9 一の宮中学校2名が体験学習。パン作りや昼食づくり等を障がい者と一緒に行う。
12/12一の宮小学校のたんぽぽクラスが自立活動「地域に出かけよう~パン作りを体験しよう~」。(児童7名、職員3名)パンづくりもさることながら、工夫を凝らした余興に盛り上がる。
12/27 夢屋の今年最後のパン作りと大掃除。

さて、今回7、8ページに新聞記事を掲載させていただいていますが、築20年近く、障がい者の仲間たちの集う場所として運営し、正式に簡易宿泊所になって6年目になる『野菜ty(のなてぃー)』が無事、再開できました。これはJDF様の働きかけをもとにJD(日本障害者協議会)様、マーシーリリーフ様、木口財団様、三菱電機様と多くのご支援をいただいた上、さらに全国からのボランティアの方々のお力によるもの以外の何ものでもありません。またこうしてご支援いただけたのも、日頃の夢屋の活動があったればこそですし、地道な積み重ねの結果であろうと思われますし、この場をかりてもう一度、日々、夢屋とかかわってくださっているすべての方々へ心より感謝申し上げる次第です。
いよいよ2016年もあと数日になりました。その残りわずかの期間に、まずは災害がないことを祈りつつ、そして来年が少しでも希望の持てる年になることを念じ、今年最後のご挨拶と代えさせていただきたいと思います。本当に一年間、ありがとうございました。

〇11月14日に、下村津代さん、そして盲導犬ウルマと一緒に阿蘇小学校4年生の皆さんに、日頃の暮らしについて話にいきました。感想をいただきました。本当は全部お載せしたいのですが、紙面の関係上そうもいかず、抜粋しご紹介させていただきます。
~夢屋の下村さん、宮本さんへ~
●今日は、もうどう犬のウルマちゃんをつれてきてくださったり、きちょうな話をたくさんしていただいてありがとうございました。わたしは写真などではもうどう犬を見たことがあるけど、本物のもうどう犬を実さいに見たのは初めてなので、とってもうれしかったです。わたしは阿蘇ぐんでもうどう犬とくらしているのは下村さんだけだということを聞いて、すごくびっくりしました。あと、宮本さんはしょうがいのある人達から学んでいると聞いて、わたしもしょうがいのある人たちをそんけいしたいし、すごいなあと思いました。これからも体に気をつけてすごしてください。本当にありがとうございました。
●もうどう犬が仕事中のときは、さわっちゃいけないということや英語でまねして命令すると、もうどう犬とくらしている人もこまるし、もうどう犬もまよってしまうからそんなことはしてはいけないことがわかってよかったです。しょうがいのある人の悪口を言わず、だれもが住みよい阿蘇になってほしいと思いました。
●宮本さんは、ゆめ屋をつくり、しょうがいのある方々をサポートしてあげて、やさしいなと思いました。ウルマちゃんが下村さんのささえになったりして、ウルマちゃんは下村さんのりっぱな家族だなと思いました。
●ぼくは、もうどう犬は、目が見えなくなると送られてくるのだと思っていました。けど、主人がきびしいテストをうけて、犬もくんれんをうけて一緒にくらせるようになるのだとはじめてしりました。宮本さんはしょうがいしゃの人から元気をもらうと言っていましたよね。ぼくもわかります。お母さんがマッサージで老人ホームに行っていて、そこに行くとぼくも老人の方々に元気をもらうので、似ているなあと思いました。ほんとうにありがとうございました。
●わたしはもうどう犬をかさでつっついたり、かってにめいれいする人がいることを知り、 なんでそんなことをするんだろうと思いました。
●下村さんは目が見えなくなっても、いろんなことにチャレンジしたからわたしはすごいなあと思いました。白じょうにチャレンジしたりして、すごいなあと思いました。私もできることがあったら、なんでもチャレンジしていきたいです。
●下村さんが目が見えなくて家にこもっていたとき、テレビをつけていてテレビを聞いたときに「もうどう犬」という言葉が聞こえてきて、目の見えない人が東京から沖なわまで歩いたというのを聞いて、自分もいっしょにもうどう犬と住みたいと思ったことがすごいなあと思いました。目が見えなくてもがんばれる強い気持ちがあるなら、なんでもがんばれるということを教えてもらいました。
ほんとうに4年生の皆さん、素晴らしい感想、ありがとうございました。道やお店などで会ったら、気軽に下村さんやみやもっちゃんには声をかけてくださいね。

〇『最悪な一年をふりかえって』    中島 地利世
毎年、最後の「夢屋便り」は一年間の出来事を振り返って書いていましたが今年ほど、「どう書こうか…」と思い出したくない事ばかりで、悩んだ事はありません。
まず、年明け早々、家族のトラブルに私まで巻き込まれる出来事があり、皆で協力して解決にむけてバタバタしていた矢先、とんでもない大災害!
まさか、こんなにも恐ろしい大地震を体験するとは予想もしませんでした。
いまだに爪痕がたくさん残り…次々と解体されていく家を見ていると胸がつまります。
大雨…連続の台風…大噴火と、自然災害が続き、「日本沈没するんじゃなかろうか…」と、不安のお声が周囲から、何度も聞こえてきました。
また、私の地元「対馬」では、50年に一度と言われるほどの豪雨に襲われ、4年前の「九州豪雨」を思いだし、すぐに伯母に電話をして安否確認をしました。
親戚みんな無事だった事がわかり、ホッとしたのも束の間…私の生まれ育った家のそばで軽く土砂崩れがあり、もともと古かった為、自宅が全壊してしまったと知らされました。
やっぱり思い出がたくさんつまった家を、こんな形で自分たちの意思関係なくいきなり失うというのは、つらく苦しかったです。
こんな同じような思いをされている方がたくさんいらっしゃるのに、ほとんどの方が「命があっただけでもありがたいね…」とたくさん励ましのお言葉をかけて下さりました。
その後も度々と余震に悩まされ、災害の影響で野菜などの値上がり問題まで出てきたりと、まだ今後の事を考えて眠れない日々を過ごされている方も少なくないと思います。
最初から最後まで頭痛に悩まされる、とんでもない一年でしたので、来年こそは、「明るい日本」である事を願わずにいられません。
どうか、皆様が、少しでも心から笑える事ができるお正月をお迎え出来ますように…。

〇浦上秀樹さんの実演会へ行ってみて     山内ユカリ(ユウコさんのお母さんです)
先日は、浦上さんにお会いさせていただき、たいへんありがとうございました。
声をかけていただいたことは、私たち親子にとってとても光栄でした。
はじめて『野菜ty(のなてぃー)』に通され、木の香りのたちこめた空間はとても気持ちがよく、生き返る気分になりました。
初めて行った家の、その奥に、これまた初めて会う浦上さんと、そのメンバーの方が皆さんやさしくほほ笑んで、温かく迎えてくださいました。私は嬉しさがわきあがってくるようでした。部屋の空間をふちどるように壁沿いに一文字一文字の漢字が展示してあり、字が字であって字ではない、そのことの不思議さにグングン引き込まれていきました。
「夢」という字なのにチョンチョンがあったり、「飛」という字なのに小さなドングリがそばで転がるような遊びごころがあちこちに散りばめられていたのです。
そうして、やがて実演が始まったのですが、私は思いました。
こんなに細かく書いてあるから、手で書いたのだろう。手で描かなければこんなにバランスはとれないと思っていました。
ところが浦上さんは、なんと筆を口でくわえて描き始められたのです。静かな湖のように澄んだ目になり、まるで絵のように草かんむりを書いていかれました。それで私は、いつか手が出るだろう、テーブルの下から、いつか手が出るだろう、そして手で筆を取って作品を完成させるに違いないと、内心、ずーっと、そう思っていたのです。でなければ、あんな細い線は口でなんて絶対に無理だ、きれいな文字が書けるわけはないと。
でも、浦上さんの手は、描き終わる最後の最後まで、とうとうテーブルの上に出ることはありませんでした。口だけで太く書いたり細く書いたり、字の余韻を思わせるほそ~~い線も、すべて書いていたのです。
筆の先は一度も震えたりしていませんでした。
ダイナミックな太い線、躍動感のあるつながり、それらが白い余白の部分とたわむれるように一枚の紙にまとまっていました。いったい、浦上さんの口の中はどうなっているんだろう。手で書いたわけでもないのに、手で書いた以上に「書」の枠をこえて、胸にひびいてくるものがあります。
字の中に言葉がかくされていて、書の文字に意味が添えられている、その奥深さにはもはや、なぞなぞを解くとんちも必要で、これまでにない作品としての創造性をもっていました。
従来のやり方にとらわれない次々にわき上がってくる自由な発想は、すごいなとほんとうに素敵だと思いました。
でもそれをあらわすのは大変なことではないか……。私は、ここまで来るにはそうとうがんばったのだと、浦上さんのこれまで努力されたことを思わずにはいられませんでした。
普通なら五本の指で書くのが、そうではないのです。コテの原理で力点、支点、作用点があればわずかな力で大きな働きもできるというものですが、浦上さんは口の先だけで全部こなしていました。たった一か所で五本の指の代わりを果たし、たくさんの文字を生み出していました。ハネの手前で筆を軽く持ち上げたり、筆を筆先をかえして、ぬり絵のように埋めていったり、自由自在でした。
口で字や絵を書く人なんて、浦上さんの周りにもきっといなかったと思います。どうすればいいんですかとコツを聞く相手がいたなら、その人に勉強を教えてもらったことでしょう。
でも、見本になる人がいなかった浦上さんは、どこにも求める人、求める場所がなくて、一人で道を切り開いてきたのだと思いました。発病してから浦上さんは困ったことにたくさん直面する中で、本当に何もかも変わってしまって、根本的に視野を変えていかれたのだと強く感じたのです。そして自由な生き方を求める挑戦者になったのだと思います。
結果を出せない時期もあった、まわりに受け入れられない時期もあったでしょう。でも浦上さんは挑戦をやめなかった、求めることをやめなかった。
どうしたらなめらかな線が出せるか。そのときの力関係を分析し、自分なりのテクニックをあみ出していったと思います。でも、もし腕があれば、〝脇を締めて〟とか〝手首を浮かせて〟とか、微調整を重ねたと、そんなことを想像したりしますが、口だけというのはどう考えても難しすぎる。
口の限られた狭い部分で、どう戦術を組立てられるというのか。
浦上さんは「書」にアートを取り入れ、そこにとことん可能性を見出していかれたのではないかと思いました。だから自然に自分からやりたい気持ちになり、主体的に自由に楽しんで続けてこられたのだと思います。それでも一か所から一か所へ直接力を入れ続けなければ字は成り立たず、100パーセントを出し続けて、ようやくあの美しい一文字は完成するのだと思いました。そんな実演を感銘をうけながら見ていました。
浦上さんの中には自分でつかんだコツがポケットにたくさん入っていて、創作をするときにそれを出しながらつなげていっているような気がします。
創作を繰り返しているうちに変化していき、作品は前と今では違うとおっしゃっていましたが、それは浦上さんが年齢を重ねながら時間をかけて確立していったのだと思いました。
浦上さんの個性的な書は本当に素晴らしいです。作品のひとつひとつが彼の自伝書そのものになっている気がします。作品全部が彼の生き方を象徴しています。作品を見ながら皆が同じ笑顔になれて「ことば」について話をし、楽しく過ごすことができます。
病をおして熊本まで来て下さった浦上さんに心から感謝したいです。世界にアピールできる奇跡の文字です。たくさんの人に見てもらいたいと思いました。
最後に娘のことを少しだけ書かせていただきます。
竹原さんが裕子の描いたちいさな絵を〝素晴らしい〟と「こころ文字」のメンバーの皆さんに話をされているのを聞いて、高く評価されているのだと感じました。母親としてとてもうれしかったです。宮本さんのイマジンの替え歌もとてもよかったです。障がい者も健常者もない、皆同じ人間なのだというメッセージでした。娘の姿が重なり、まったくそうだ、と思いました。何か縛られていたものがなくなったような感じになって、聞いていてとても解放感がありました。一昨年から夢屋さんに行くようになった娘は、パンづくりを始めいろんな活動をさせていただき、とてもかわいがられています。それは毎日の表情からわかります。
宮本さん、竹原さんにあんな子で申しわけないという頭が上がらない気持ちと、これからもよろしくお願いしますという気持ちでいっぱいです。
迷惑がそちらにかかっています。ほんとうにすいません。
でもしっかり言い聞かせながら家庭でも取り組んでいきます。
私も浦上さんの生きる姿を見せていただき、ますますがんばろうと思いました。
お誘いくださって本当に感謝しています。
ありがとうございました。

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