「共」に「生」きる。 in 阿蘇

2008・冬号~《夢屋の住人》⑧~竹原ナホ子の巻!~

ナホ子さんとの出会いは、彼女が22・3才の頃かと思います。私が29才の頃でした。
どうしても障害児の教育が分からず、6ヶ月間の研修に行かせてもらった時の臨採の先生としてでした。初めての教師生活だったとのことです。私は、毎月一の宮中学校に給料をいただきにいくのですが、遠くから見ていると楽しく遊んでいるのです。
遊びながら算数の勉強をしていたにちがいありません。
こうしてナホ子さんの教師生活が始まったのですが、長い間は楽しいことばかりではなかったと思います。
今年、退職され、どうかさまざまなじゅばくから放たれ、ホッとした感じの生活を送られるよう祈ります。(キヨ)


ナホ子さんは、よくうごくひとです。夢屋にときどき花をもってきます。
家のしごとをよくみたり、おとうさんとおかあさんのめんどうをみたりしています。
そこで、ぼくたちのめんどうをみたりもしています。
ぼくからみたナホ子さんは、学校のときもいまのナホ子さんもとっても元気で、かぞくをまもっていくひとと思っています。
がんばってとぼくは、おうえんしています。(ヨシ)


私から見たナホ子さんを一言で表すと「癒しの素」です。(味の素じゃないですよ(笑)
覚えている人はいないかもしれませんが、私は以前、確か「夢屋便り」の原稿に「【夢屋】に来て良かった事は、こんな人になりたいという憧れの人に出会えたこと」と書いたと思いますが、その事について「誰!?..ねぇ..誰の事?」と自分の事とは全く気づかずに(鈍感な所もある!?)無邪気な笑顔で聞いてくるナホ子さんに、照れた私は「教えん!」とちょっとつっぱねた言い方をしてしまいました。
その時から今でも、そしてこれからも、ナホ子さんは私の永遠の憧れです。たくさんの愛情を、他人にも惜しみなく注ぐ事が出来る人柄や、ほっそりしたそのスタイル。
私が仕事で失敗した時や体調が悪い時、ナホ子さんの魅力的な笑顔を見るだけで不思議な事に、ストーンと何かが落ちた時みたいに気分もとてもスッキリ軽くなります。
私も誰かにそんな風に思ってもらえる存在でありたいです。来年の誕生日で、いよいよ還暦!50代最後の一年に、後悔のない過ごし方をされますように、微力ながら応援しています。(ちー)


①8年位ぐらい前、前の施設にいた時職員が部屋まで連れて来ました。
②その年の12月に野菜ty(ノナティ)に泊めてくれました。
③波野のピザ屋に連れて行ってくれました。
④いつもいろんな話をしてくれておもしろい人です。
これからもよろしくお願いします。(タク)


たまにりょうりやお花をもってきてくれます。
私のかれしにみつひろさんをしょうかいしてくれました。
はじめてたんじょうびプレゼントをあげました。
よろこんでスキップをしてたのでビックリしました。
はたけしごとをおしえてくれました。(ミユ)

タイミングよくでる励まし?の言葉、甘くもなく、辛くもなく。
ケイケン豊かな人生……、離婚、交通事故、介護、……すべてを踏破する勢い。
ハラハラドキドキ、時間ギリギリの「約束間に合い癖」は、かなり卒業。
ランランルンルン、退職後のゆとり期待するも、息子夫婦の店オープンで畑仕事に
大わらわ。
ナゼ? ドウシテ?!!納得のいかないことには、首のあたりが筋肉痛。
ホットケナイ!! 0困っている人を見ていると。我が身の不調もなんのその。(意外に母性も豊かかも……

コドモのような純真さ、実は持ってるのに、厳しい人と見られる損な人。(ミヤ)

コメントはまだありません

TrackBack URL

Leave a comment