「共」に「生」きる。 in 阿蘇

10/3、中通小へ地利世さんが人権学習の講話に行った感想を頂きました。二つご紹介します。大変ありがとうございました。

僕は、話をずっと聞いていて、僕は、あれに似ていると思ったことがありました。地利世さんは、阿蘇にきて、仕事をしているとき、いじめられて、どうせまたいじめられると思ったと言っていました。僕は小学校3年生のころ、体育などで、なわとびがうまくできずにどうせまたできないとあきらめていました。僕は、この「どうせ」という言葉があるから似ているなあと思いました。僕は、地利世さんは、今までの体験したことをくわしく話してくれたので、よくわかりました。夢屋に行くまでの地利世さんは、つらい思いで、笑顔が少なかったけど、今回は笑顔を絶やさずに話してくださったので、すごいなと尊敬しました。僕は、地利世さんが夢屋に行くことで、心が変わったように、僕も自分がよくなる場所を見つけたいと思いました。そして、僕も笑顔をもっと増やしたいと思います。僕はどんな障がいをもっている人にも、人は人として優しくしたいと思いました。今回の地利世さんの話は、ものすごく自分のためになりました。

今日は、わざわざ来て下さってありがとうございました。つらい話も一生懸命話して下さいました。私が一番心に残ったことは、なな学級のことです。小学校のその先生は、おもしろくてみんなが大好きな先生なんだろうなあ、自由気ままな先生なんだろうなあと思いました。私もこわい先生より、優しい先生の方がいいです。いじめが小学校から中学校まで、耳が聞こえずらいだけであったということは、とてもつらかったと思います。耳が聞こえずらいと話がよく聞けなかったり、働いている職場で聞きちがえたりするので、大変だなあと思いました。でも夢屋に入って温かい人たちだったから、安心したと思います。みゆきさんや他の人たちとも仲がいいから笑顔になったと思います。夢屋は、気持ちが落ち着くところと言ったけど、私は『家』が気持ちが落ち着いてあたたかいから大すきです。気持ちがわかります。ありがとうございました。

コメントはまだありません

TrackBack URL

Leave a comment