「共」に「生」きる。 in 阿蘇

8/3の阿蘇市教職員人権・同和教育の研修会の先生方の感想をいくつかご紹介致します。貴重なご意見、有難うございました。

「わからない」という答えでもいいんじゃないか、というレポートの中の言葉が印象に残った。「わからない」という否定的なマイナスの言葉ではなく、一つの壁を乗り越え出された「わからない」という言葉は深い。今、目の前にいる子を見つめ、寄り添い、その子の生きやすさを考えた“幅”から生まれた「わからない」という言葉に力強さやたくましさを感じた。一人一人をしっかりと見つめ、その子にあった状況を考えることが“幅”という心のゆとりのように感じた。一人一人顔が違うように、感じ方や価値観が違う。できないという否定的な捉え方ではなく、考え尽くされた計画や思いや意図やねらいがあれば、計画通りにいかなくても、何らかの気づきや成長がある。私が教師としてやらなければならないことは、明確な意図を持って取り組むことである。一人一人が力を持っていると信じ、成長し続ける子どもたちのために、まずは教材研究に力を入れていきたい。学級経営や授業においても、一人一人のよさをいかしていくために、喜びをともに見つけていける教師を目指していきたい。本日は、誠にありがとうございました。

本日の研修、たいへんお世話になりました。私は今年の3月に大学を出たばかりなのですが、これまで“大人”の障がい者の方と触れ合う機会をもっていませんでした。それは、私自身に積極性がなかったことと、そして学校教育で障がい児の方にウェイトを置いた障がい者理解に関することを受けてきたことに原因があるように思います。ですので、今回、障がいを持った大人の方の生の声を聞きことが出来、非常にいい経験になりました。最後に、宮本さんが念を押されていた「幅」を持つ、この考え方は、自分の中で、ある種冷や汗が出るものでした。というのも、今の今まで、自分の意図した教育、自分の意図した成長の方ばかりに目を向けていて、子ども達のありのままの姿に気づくことができていなかったのではないかと感じました。今回の研修は私にとって大変勉強になるもので、とても感謝しています。本日は大変、ありがとうございました。

自分の中で、もやもやした部分が、発達保障か共生かというところ。どちらが重要かということではなく、どちらも重要と考えつつも、やはり共生が子どもにとって大きいかなと感じた。今、担任している子どもを見ていると、全く共感できた。支援学級では見せない表情……、笑顔や安心感の表情を交流学級ではたくさん見せてくれている。交流の子どもとは同じ内容の学習は難しいけれども、その中で何かを学んでいると思う。支援学級では、どちらかというと発達保障に偏っているが、それはそれで大切にしながらも、共生を見直して対応していきたいと思う。「幅」をもちつつ。○みゆきさんと宮本さんの牧伸二、とても楽しく聴かせてもらいました。これからもたくさんのバージョン(歌詞)をつくって、いろいろな場で聴かせてほしいです。次は歌にしようかなとなったときのみゆきさんの準備のすばやさ、手際のよさに思わず、オーッと声を出してしまいました。みゆきさんのレパートリーになっているようですね。○ちとせさんの手話の方言の説明、よくわかりました。私も初めて知ることで勉強になりました。○みさきさんの笑顔や受け答え、さわやかでした。○コウキくん、長時間がんばっていました。宮本さんの言うように、話がわかっている感じでした。

話が進むにつれて、今日のテーマの「幅」について、自分なりに考えをめぐらせていました。そして、最後に宮本さんがちょっと強い口調で言われたときに、ストンと落ちました。でも、わかっているつもりでも、言葉で説明できないうちはわかっていないのだと思います。私が、もう一度説明できたとき、今日の話しをしっかりわかったということなので、説明しに(遊びも兼ねて)夢屋さんに行きますね。コウキさんもミサキさんもミユキさんも、チトセさんも、とっても自分らしさが出ていて、輝いていました。いろんなことがありながら、しっかりつながっていることがよく見えて、すごいなあ……と。もちろん、知ってはいましたが、それ以上に今日はつながりを感じました。夢屋のスタッフの皆さん、お疲れ様でした。温かいだけではなく、状況の厳しさ、ここまでくるまでの大変さも伝わる、何というか……身の引き締まる会でした。ありがとうございました。

今日は、会場係(人権教育担当)ということで、最後に感想が書けず家に帰って、みなさんの感想に目を通して「さて!!」と自分の感想をカンチューハイを飲みながら書いています。夢屋さんの話は、知人の先生からよく聞いていました。(彼女とは前任校からの付き合いで10数年近い付き合いです)今日、研修が終わって、大観峰をのぼって、家に向かいながら、最後の私の発言の後の宮本さんの厳しい表情と鋭い口調の言葉がぐるぐると回っていました。あのときおっしゃっている意味がよくわからず、終了後、また話をさせてもらいましたが、それでもまだスッキリしなくて、最後に話した後、余計ににまたモヤモヤしてきました。今日の「共生の教育」の研修でお話を聞いて、ここ数年?? ずっと思ってきたことが少し整理できていた気がして、気持ちも少し軽くなっていたのですが、なんかまたドーンときました。自分が知ったかぶりをしているのか? 分かったふりをしているのか? 私自身の中の障がい者に対する偏見? 差別心? 私が本物に出会っていないから?……いろいろと考えました。でもいきついたところは、「くそ~~!!」「知ら~~ん」「わから~~ん!!」でした。……本当に「わかりません」。でも宮本さんのレポートの中にも「わかりません、で良い」ってあったよな~~。確かにこれまで勉強してきた解放運動、本物の同和教育に出会って『人間らしく、自分らしく生きること』のすばらしさを教えてもらったのですが、父が亡くなってからのこ2、3年、自分が今、何がやりたいのか? どう生きたいのか? ということが分からず宙ぶらりんの状態のわたしがいます。だから宮本さんの話を聞いても、何で先生を辞めてまで、ここまでできると?(すごいとおもうけど)、わたしはできん!! 何ががそこまであなたを突き動かしてると!? と卑屈な見方でしか見れない私がいます。本当に、人間って弱いです。でもこんな状態の今も、自分に与えられたものなのだと……。最後に本をすすめられましたが、本を読んでその人を理解したつもりになる自分も嫌でしたので、手が伸びませんでした。すいません。その人と会って、自分の目で見て、聞いて、感じて、心が震えないとその人に近づけた気がしないので……。全くつながり方が下手くそな私です。でもすてきな仲間はたくさんいます。宮本さんとは、ほろ苦い出会いになりましたが、やっぱり最後のあの表情が忘れられません。“言葉”って難しいですね。伝えるって難しいです。またいつかどこかで出会い直しができるといいなあと思っています。今、一番解放されていないのは私です……。

1件のコメント

  1. 先生 と呼ばれる方々でも、「わからない」という答えを出す事、また それを一歩前進として肯定的に考える事。僕自身「こうだ」という「答え」にとらわれいていました。自分にあっても、また人に対しても、その「わからない」を受け入れようと思いました。夢屋さんの記事、言葉 にはいつも心が洗われるようです。ありがとうございます。

    コメント by Moon75bank — 2011年9月4日 @ 1:26 PM

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