「共」に「生」きる。 in 阿蘇

団体概要

名称 特定非営利活動法人 夢屋プラネットワークス
英文表記 NPO yumeya planetworks
電話・FAX 0967-34-0223
所在地 〒869-2224 熊本県阿蘇市蔵原626 (作業所「夢屋」)

    • 【代表】 宮本 誠一  1961年生まれ。5年間の小学校教員を経て、33歳で退職。自閉症の青年との出会いを経て「夢屋」を起こし、代表、支援員として運営に携わっていま す。教員時代から「つづり」教育に力を入れ、現在も、メンバーは「語ること」「記すこと」の大事さを話し、日記を書いてもらっています。本人も書評や小 説、ドキュメンタリーを発表し、部落解放文学賞に4度入選しています。

 

    • 【副代表】 竹原 ナホ子  1949年生まれ。二年半の臨採を経て、蓬莱小学校に初任。「算数」と「つづり」に力を入れ、つづく宮原小学校で「同和」教育に出会いました。その後、一貫して人権教育(部落差別、「障がい者差別など)を柱に実践し、15年前、代表の宮本らとともに夢屋を起こしました。2008年に退職し、現在は、簡易宿泊所『野菜ty(のなてぃー)』の運営を担当しながら、畑仕事、介護、夢屋の活動支援の日々を過ごしています。

 

  • 【アドバイザー】 波佐間 法男  1951年生まれ。13年間の工務店経営を経て、解体材の魅力に引きよせられ、1994年、古材の再生をテーマにした『ユーティーユー工房』を立ち上げられました。夢屋とは、簡易宿泊所『野菜ty(のなてぃー)』、作業棟(蔵原)の建設時に協力していただき、様々な角度から独自のアイデアを取り込み、障がい者や高齢者に優しい建物を建ててくださいました。

 

    • 【営業】 佐藤 清子 1941年生まれ。夢屋開所以来のメンバーです。「夢屋」の初代セールスレディーとして活躍し、15年間、自転車や徒歩で販路を広げてきました。現在は愛夫の運転により、二人三脚で常連客にこまめに配達しています。活動後は、散歩で体調をととのえ、小中学校への講話も積極的に行っています。

 

    • 【パン製造】 中島 地利世 1978年生まれ。幼いときの病気がきっかけで左耳の聴力を失いました。妹の小学校時代の担任から「夢屋」を紹介され、現在7年目です。手先が器用で、ビーズづくりは一級品です。パン作りも次々とマスターしてきました。パソコンの技能にも優れ、『メンバーの日記』を入力してくれています。文章を書くのも好きで、昨年、『心の輪を広げる体験作文』で熊本県より優秀賞をいただきました。

 

    • 【パン製造】 高倉 深雪 1962年生まれ。地元小学校に1年まで在籍し、2年から養護学校へ転入しました。養護学校卒業後は、実家にもどり、近所の漬物屋さんや縫製工場、野菜集荷場、授産施設などへ行き、その後、「夢屋」に来るまで、8年間在宅していました。現在は、夢屋でパンづくりや整理を担当し、あそびとバンドのボーカルをつとめ、オリジナル曲『みんなマイダーリン』を熱唱し、熱い投げキッスを飛ばしています。

 

    • 【パン製造】 池邊 美早 1990年生まれ。内牧小、阿蘇北中、阿蘇清峰高校を卒後後、常盤学園でパンやケーキづくりを本格的に学び、2010年3月から夢屋へ実習に来る。4月から正式メンバーとなり、現在は持ち前の笑顔とガッツで積極的に取り組み、得意のイラストで室内を飾ってくれるととともに夢屋を明るくしてくれています。

 

    • 【パン製造】 井上 拓郎 1978年生まれ。南阿蘇村から阿蘇駅までは電車で、それから歩いて「夢屋」へやってきています。DVDや本が好きで、夢屋きっての物知りです。パン工程では、醗酵器にパン生地を入れたり、配達したりしています。いつも笑顔で、明るいエプロンが似合っています。

 

    • 【企画】 竹下 舞 1988年生まれ。中学校のときから「夢屋」へ実習に来ていました。パンにつける「ありがとうカード」をていねいに色塗りしています。ご飯前のテーブルふきも上手です。家であったことやセーラームーンの話をよくしてくれます。  

 

    • 【企画】 小嶋 康揮 1993年生まれ。宮地小のとき、総合的学習で初めて夢屋に来、一の宮中では毎年、職場体験や交流学習で親交を深め、今年4月から通所。お得意の声やポーズでメンバーを励まし、メロン生地は手の甲で広げてくれます。昼食の「いただきます」は、絶妙のタイミングで手を叩き、他のメンバーお待ちかねの重要な仕事です。

 

    • 【企画】 甲斐 誠 1976年生まれ。歌がうまく、長く「游人バンド」のメインボーカルをつづけてきました。甘い声で聴衆を惹きつけ、ステージを盛りたててくれます。お酒も強く、打ち上げのときなどは笑顔でアカペラで歌ってくれたりし、皆を楽しませてくれます。  

 

    • 【企画】 岩下 義生 1956年生まれ トレードマークの鼻ヒゲをふるわせて、演歌を口ずさみながら昔取った杵柄で、チャーハンなど手早くつくってくれます。後輩のお世話もすすんでしてくれます。オリジナル曲『いや違う節』は18番で、熱唱とともに場内を沸かせてくれます。町のいろんな情報を素早くキャッチしては「夢屋」へとどけてくれます。  

 

    • 【啓発】 竹原 幸範  1918年生まれ。中学校校長を経て、現在、蔵原地区で一番の長寿です。「夢屋」の活動に早くから理解を示していただき、現在の作業棟建築のため土地を提供して下さいました。阿蘇の自然の保護活動をライフ・ワークとしながら、2008年、自叙伝『前向きに阿蘇住まい』を自費出版したり、善意銀行に毎年寄付するなどボランティア精神にも充ち溢れておられます。

 

    • 【啓発】 松嶋 桂一 1947年生まれ。写真、歌舞伎、水泳と多趣味です。日本全国の石橋や名所を旅行されるなど、常に行動的です。「夢屋」設立時から、いろんな形で協力していただきました。現在は、監査も引き受けていただき、陰に日向に支えていただいています。 

 

    • 【啓発】 下村 津代1950年生まれ。阿蘇市内で唯一、盲導犬と暮らしています。積極的に外に出ることをモットーとし、これまで点字ブロックや音の出る交差点など、市役所や県の土木事務所に要望し、地道に実現してきました。また小中学校へ盲導犬のことをもっと理解してほしい思いで、講話活動も多く行ってきています。

 

熊本市内から東へ、国道57語号線がJR阿蘇駅を過ぎると、右手に往生岳や高岳の威容が迫ってきます。その山容は、一年をとおし風貌を変え、自然の威厳と繊細さを調和させながら、まるで一個の人格のような様相を見せてくれます。
スーパーやホームセンターを右横に、押しボタン式信号を左に折れ、200メートルほどいくと大きな欅の木が二本あらわれます。敷地には古い蔵を改装したオーガニックレストラン「オルモ・コッピア」と、その隣に三角屋根をした建物があります。一枚板の看板に屋号が刻まれ、茶色い腰板に白壁づくりで、まるでショコラケーキを連想させる可愛い一軒家です。そうです、そここそが作業所「夢屋」です。
夢屋は約一年間の準備期間(すでにパン販売は、このときから保健所の許可を得て開始していましたので、実質的な運営は1995年からです)を経て、1996年4月に、正式に福祉作業所としてオープンしました。
現在の利用登録者は12名と小じんまりとしたものですが、地域の子どもたちや福祉、教育に関心を持つ学生、大人、養護学校からの実習研修、教員の研修など多くの訪問者や利用者があります。玄関に入ると、大きなテーブルが目に入りますが、そこで顔を向き合わせ、和気合いあいとメンバーが食事をしたり、訪問者と作業所の日常やビジョンを語り合ったりと、様々な用途に役立つ、夢屋にとってのシンボル的役割を担っています。
一階の左奥には、パン製造の作業場があります。
注文販売しているパンに関しては、「夢屋のパンを食べだしたら、他の店じゃ買う気がせん」といわれるほど、無添加で、素朴な味が好評です。また、手作りのクリスマスケーキや卒業記念のケーキ(ショコラ)づくりなどを、学校から注文を受けつくったりもしています。こうした夢屋の活動が認められ、1998年には、第一回「くまもとやさしいまちづくり賞」を受賞させていただきました。
夢屋代表である宮本誠一(通称ミヤモッちゃん)は、日常の作業所活動、利用者へのサポートなど多岐にわたる役割を担っていますが、空いた時間には外部からの訪問者ひとりひとりの言葉を真摯にうけとり、応対しています。こうした人柄を慕っての訪問者も絶えません。また、ミヤモッちゃんには小説家としての顔もあり、作品には、
                                 

「真夜中の列車」(1998年、第24回部落解放文学賞小説部門入選)
「ウォール(=壁)」(1998年、第20回県民文芸賞小説部門第一席)
「水色の川」(1999年、第25回部落解放文学賞小説部門入選)
「坂の家」「海月」(2000年、詩と真実賞)
「お月様とゆず」(2004年、家の光童話賞優秀賞)        
「涅槃岳」(2007年、部落解放文学賞小説部門入選)        
「游人たちの歌」(2008年、部落解放文学賞記録部門入選) 
「蓬莱」(2011年、九州芸術祭文学賞熊本地区優秀賞)

などがあります。
実は、ミヤモッちゃんは、夢屋を始める前、小学校の教師だったのです。学校教育の様々な矛盾に直面し、悩んでいたところ、一人の自閉症の青年との出会いをきっかけに、夢に描いていた障害者と健常者との「共生」の場づくりに全力で取り組んでいこうと、33歳で辞職を決意したのでした。
それは、学校からのアプローチという方法ではなくて、「小規模作業所」という現場から、自らの人間観、教育観をもとにしながら、より地域の人たちや子どもたちと深くかかわりながら「共生」の場の具現化を図ろうという、むしろ積極的な転換でもあったのです。
皮肉にも、最後の勤務校が初代夢屋のすぐ向かいにあったので、つくっている当初は以前の教え子たちが夢屋の前をとおりすぎていく風景を複雑な思いで見ていましたが、そんな中でも18年たち、今でも訪ねてきてくれる教え子は少なくありません。
自立支援法が施行され、2006年には母体がNPO夢屋プラネットワークスとなり、地域活動支援センター(Ⅲ型)として阿蘇市から委託を受けながら新たな形での出発となりましたが、これからもメンバーや地域の方たちと協力しあいながら、「共生」の灯を絶やさぬように、やっていこうと一人一人が誓い合っているところです。

1995 4/1 2008 4/30

小学校教員だった代表と自閉症の青年が運命的な出会いをし、三十三歳で退職し、辞めた学校のほぼ正面にあった青年の自宅一階を改装し、オープンさせました。パンづくりを運営基盤にしながら、まだ珍しい喫茶方式だったため県内から多くの見学者がやってきました。障害者自らがつくったパンを配達し販売することで地域の人たちのつながりができ、一人ひとりの意欲と自立への自信へとつながっていきました。地域の小中学校との交流も盛んに行い、毎日つづる日誌によって日々の生活を伝えるようになりました。青年は2000年に亡くなりましたが、その後八年間、この場所で地道な運営をつづけさせていただき、次の蔵原(くらばる)の地へ、歴史を受け継いでもらうことになりました。活動期間はまる13年に及びます。

 2008 5/1 ~ 現在

一の宮町宮地の地から、NPOメンバーである理解者の土地をお借りするとともに、同じくメンバーである解体材を扱う仲間の力によって低コストによってつくっていただき、新たな生命(いのち)をいただくことになった「夢屋」です。

    • 1995年
      4月、下原猛さん宅一階で、作業所づくりに着手。内装、壁塗りは自分たちで行う。
      7月、奥の厨房を先に完成させ、パン作りを開始。旧一の宮町役場、学校などに販売。
    • 1996年
      4月、小規模作業所「夢屋」として正式オープンし、開所式を行う。
      8月、広報『夢屋だより』第1号を発行。その後、月1度編集作業を始める。
    • 1997年
      安田火災記念財団、新日本友の会、ヤマト福祉財団、電気通信普及財団、「24時間テレビ」「NHK・わかば基金」「朝日福祉助成」より様々な助成を受ける。
    • 1998年
      2月、第1回「くまもとやさしいまちづくり賞」受賞。
    • 1999年
      5月、猛さんの父親が交通事故死。その二週間後、下原猛さんが、入所していた施設2階から飛び降り事故を起こし腰椎粉砕骨折。2ヶ月半後奇跡的に下肢機能が回復し退院。
      10月、一の宮町の「差別をなくす子ども集会」の成人部門で発表。大きな反響を得る。
      12月、地域の子どもたちと交流するため「夢屋ウィズ・ユー・デイ」を始める。
    • 2000年
      2月に通所者の日野正徳さん、5月に下原猛さんが心不全のため死去。
      8月、日野さん、猛さんを偲び、「共生」について考える第1回『游人の日』を開催。
    • 2001年
      一の宮町在住の難病者の外出支援で阿蘇市や熊本市内、県外と出かける。
    • 2002年
      1月~12月「夢屋ウィズ・ユー・デイ」が軌道にのり、リース、ろうそく、野草をつかったおだんご、万華鏡、綿菓子づくりと幅を広げていく。
    • 2003年
      8月、第4回「游人の日」で自立を目指す障害者を描いた記録映画『障害者イズム』上映。
    • 2004年
      9月、ホンダ系の労組から発酵器の寄贈をうける。
      山田小学校へ、週1回、のべ35時間の総合的学習として授業参画。手話、パンづくり、絵本づくりの三本柱でメンバーが一丸となってやりとげる。
    • 2005年
      10月、第6回「游人の日」ピアニスト豊田隆博さんのコンサートを「野菜ty」で開催。メンバーらでつくる「游人バンド」もすっかり定着する。
    • 2006年
      4月、宮地小、山田小、中通小など総合的学習で交流を始める。
      6月、NPO夢屋プラネットワークスとして認可を受ける。
      10月、阿蘇市から「地域活動支援センター」の委託をうける。
      スペシャルオリンピックスのトーチランに参加。
      11月、小国養護、大津養護学校から実習生の受け入れ。
    • 2007年
      7月、阿蘇市学校人県・同和教育部会課題別研修会に「夢屋」全員で講師として参加。
      9月、阿蘇中学校、一の宮中学校生徒が福祉体験。
      10月、内牧小学校・しいのみ学級との交流。
      11月、熊本パイロットクラブ様より、チャリティーダンスパーティー企画によりご寄附をいただく。
      12月、第7回「游人の日」に熊本ふくし生協理事長の中村倭文夫さんを迎える。
  • 2008年
    1月、熊日新聞新春地域特集号の巻頭で夢屋の活動が「ほんなもんの力」として紹介される。
    5月、蔵原(竹原幸範さんから提供していただいた土地)へ移転。
    10月、阿蘇ふれあいフェスタなどへの参加が定着。
    12月、メンバー中島地利世が県ハートウィーク主催「心の輪を広げる体験作文」で優秀賞。
  • 2009年
    1月、山田小学校、一の宮中学校などから交流学習や職場体験に来る。
    2月、阿蘇ワイズメンズクラブで、代表宮本が「夢屋」の活動を講話。
    3月、宮地小学校との交流。
    7月、熊本大学教育学部特別支援教育学科の大学院生にメンバーが活動を報告。
    10月、阿蘇ふれあいフェスタのステージで『みんなマイダーリン』『坂道』『花』を披露。
  • 2010年
    2月、「野菜ty(のなてぃー)」が「簡易宿泊所」(旅館業法)として認可される。
    3月、ふれあいサロン大会に参加。
    6月、熊本県人教「進路保障(就労)研修会」で、レポーターとして活動を発表。
    9月、国際協力NGOボランティア・プラットフォームにHP制作を依頼。  

 

~ここからは17年目以降です。~

  • 2011年
    2月、部落解放第42回熊本県高校生集会の参加者(40名)、部落解放同盟甲佐支部の皆さんが来所。
    3月、夢屋スタジオで渡辺大さんが初ライブ。絵本の読み聞かせやトークも織り交ぜ盛況。
    6月、千葉県から被災者家族が野菜tyに一か月間宿泊し、居住地探しに協力する。
    8月、熊本県聾学校で「発達障がい者を取り巻く現状と作業所での取り組み」をテーマにメンバーとスタッフで講話。
    10月、ネットの『You  tube』で、夢屋の様子を動画配信開始。
  • 2012年
    2月、山田小学校6年生とのパンづくりをとおした交流学習。
    4月、中島地利世、高倉深雪さんの10年目を祝し、オルモ・コッピアで昼食会を開く。
    7月、益城町人権教育課題別研究会(本大会)に協力者として出席(竹原)する。                                 12月、『阿蘇市人権フェスティバル』に参加。パンや書籍の販売し、完売する。
  • 2013年
    1月、代表宮本の小説『有明』が熊日文学賞最終候補作に選ばれる。(2回目)。
    2月、熊本大学大学院教育学研究科修士課程の学生9名と教授1名が学習を兼ね来所。
    3月、中島地利世さん、高倉深雪さんが10年目を無事終了し、次年度より11年目へ。
    7月高倉深雪さんの今後を本人、市職員、相談支援センター長、家族、宮本で話し合う。
    益城町人権課題別研究会の協力者として宮本が出席。
    8 月、北海道からの自転車での一人旅の青年が「野菜ty(のなてぃー)」にご宿泊。
    9月、熊本学園から学生35名が災害要援護者の減災型地域社会リーダー学習のため訪問。代表宮本が『夢屋』の成り立ちを話した後、下村津代さんが盲導犬を連れて参加。視覚障がい者の日常と、災害に遭遇した場合の悩みや課題などを講話。
    10月、阿蘇市読書感想文コンクール審査会に出席(宮本)。厳正な審査と審議を行う。
  • 2014年
    1月、宮本著の絵本『お月さまとゆず』(夢屋ブックレット第3弾)が100点の中から、熊日出版文化賞候補作15点に選ばれる。
    2月、山田小から児童17名、職員3名が体験学習でパンづくりをしながら、「共生」の学習を行う。『夢屋』の歴史も学び、質疑応答もあり、充実した学  習を送る。
    4月、夢屋起工、パン工房を開始して20年目に入る。

 


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